第1話 王になった私に「王はいらない」と言われました
思想が国を揺らし、
経済が削られ、
静かな戦争が始まります。
そして物語は、世代交代へ向かいます。
均衡は、完成して終わるものではありません。
どうぞ最後までお付き合いください。
王は、完成した制度の上に座る存在ではない。
それを知ったのは、戴冠から五年が経った春のことだった。
王城の窓から見下ろす王都は、穏やかだった。
市場は開き、荷馬車は列をなし、港には帆船が並ぶ。かつて暴動が起きた広場では、子どもが走り回っている。
均衡は、保たれていた。
「北部自治評議の報告書です」
静かな声でフィオナが書類を差し出す。
「税収は安定。地方からの不満も特にありません」
「ありがとう」
私は目を通し、印を押す。
王権は制限され、評議を経なければ決定はできない。だがそれでいい。独断しないことこそが、再編王制の根幹だ。
レティシアが壁にもたれて言う。
「平和だな」
「ええ」
「退屈か?」
「いいえ」
退屈であることは、良いことだ。
剣が抜かれず、怒号も上がらず、数字が静かに整っている。王として、それ以上に望むことはない。
少なくとも――そう思っていた。
*
午後、外交評議の定例報告が始まる。
宰相アルヴェルトが淡々と告げた。
「セレスタ公国で政変がありました」
私は顔を上げる。
「政変?」
「はい。穏健派が退き、新指導者が就任」
「エリオットは」
「失脚しました」
短い沈黙が落ちる。
エリオットは、かつて王国を“観測”していた男だ。敵ではなかった。むしろ、均衡を理解していた数少ない隣国の政治家だった。
「新指導者は?」
アルヴェルトが書簡を差し出す。
「カイエル・ヴァン・セレスタ。三十二歳。共和思想家です」
書簡の一文が、目に刺さる。
――王制は、民を未成熟にする。
私はゆっくりと読み進める。
――民が自ら選び、民が自ら責任を負う。それこそが国家の成熟である。
レティシアが鼻を鳴らす。
「挑発か」
「思想です」
フィオナが冷静に言う。
「公国は共和制への移行を宣言しました。加えて――」
彼女は別の紙を置く。
「王国への公開書簡を発表」
そこには、はっきりと書かれていた。
――王制の正当性を論証せよ。
評議室の空気がわずかに変わる。
これは宣戦布告ではない。
思想戦だ。
*
その夜、王都の一角にある商会会館。
「……王はいらないのではないか」
若い声が上がる。
リリア・ヴァルテは、腕を組んでその議論を聞いていた。
「王がいるから安心だ、と言うが」
「制度があるなら、王は不要だろう?」
机の上には、セレスタの声明書。
共和思想は刺激的だ。明快で、わかりやすい。
リリアは口を開く。
「王がいらないと言うのは簡単です」
「なら必要だと?」
「必要かどうかは、結果で決まります」
視線が集まる。
「王がいるから安定しているのか。制度があるから安定しているのか」
その問いは、彼女自身にも向いていた。
*
翌日。
私は王城の庭を歩きながら、レオンハルトと並んでいた。
彼は今、地方統治官として王都に戻っている。
「書簡は読んだ」
「ええ」
「正論だな」
私は足を止める。
「どの部分が?」
「王は選挙を経ていない。民の直接的な承認を受けていない」
レオンハルトは空を見上げる。
「王制は、常に疑われる制度だ」
疑われること自体は、悪くない。
問題は、その疑いが均衡を崩すときだ。
「……王は必要でしょうか」
思わず口にしていた。
レオンハルトがこちらを見る。
「王が必要かどうかは知らない」
率直な言葉。
「だが、均衡を担う存在は必要だ」
「それが王でなくても?」
「お前でなくても?」
逆に問われる。
私は答えられない。
王制は制度だ。
だが私は、その制度を体現している。
王が不要だと言われるとき、それは制度への疑問なのか、それとも――私への疑問なのか。
*
三日後。
王都広場で、小規模な集会が開かれた。
「王制不要!」
「選挙を!」
若者が声を上げる。
暴力はない。怒号も少ない。
だが、確実に広がっている。
評議室に戻ると、フィオナが報告した。
「通貨市場に不自然な動きがあります」
「思想と連動している?」
「可能性が高いです」
アルヴェルトが腕を組む。
「思想は武器になる。経済は刃になる」
私は窓の外を見る。
市場はまだ平穏だ。
だが、見えないところで削られている。
カイエルは剣を抜いていない。
だが確実に、こちらの足元を揺らしている。
公開討論の招待状が届いたのは、その日の夕刻だった。
――王制の正当性を論証せよ。
私は封を閉じる。
「応じます」
レティシアが眉をひそめる。
「罠だぞ」
「思想に罠はありません」
思想は、拒否すれば敗北だ。
向き合うしかない。
夜、執務室に一人残る。
王冠は机の上に置いたまま。
私はそれを見つめる。
王は、支配者ではない。
均衡の責任者だ。
だが――
もし民が、均衡を自ら担うと言うのなら。
王は、本当に必要なのか。
静かな風が窓から入り込む。
王国は安定している。
だがその安定は、今、問われ始めている。
王になった私に、こう言われたのだ。
――王はいらない。
それでも。
均衡は、手放せない。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
当面の間は、1日に3話を投稿予定です。
ブックマークをして、続きを楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。




