1:プロローグ
「私と結婚して欲しい」
下町路地にひっそりと居を構える名もなき鍛冶屋で、辺境伯の一人娘であるオヒメサマが膝をついて、刀鍛冶の青年に求婚した。
その場に運悪く立ち会うことになったのは、鍛冶屋の親方と女将さん、そしてオヒメサマの側付きと、オヒメサマの幼馴染である高位貴族の子息二人。彼らは一様にして、突然に始まったオヒメサマの求婚劇に、顎を外すほどに驚いて声を無くした。
鍛冶屋の親方と女将さんに至っては腰を抜かして石床に崩れ落ち、その場の時は止まったが、炉の炎だけが赤々と燃え盛りごうごうと音をたてていた。
その絵面は、物凄いインパクトである。
求婚を受けた刀鍛冶は、人ならざる者の証である青い髪を手ぬぐいで巻いた汗だくの作業着姿で、手にした金槌を握り締め、目の前のオヒメサマを見下ろしてぽかんと口を開く。
対するオヒメサマのお姿は、完全無欠の騎士スタイルである。
墨のように艶やかな黒髪に似合う、黒地に銀糸の刺繍が施された辺境伯家の美麗な騎士服に身を包んだ彼女は、どんなドレスを身に纏うよりも美しく輝いていた。
オヒメサマは騎士がよくやる膝をついてのスタンダードな求婚スタイルをとっており、左手は心臓の上に、右手は刀鍛冶に差し出して、優美に微笑む。その尊顔は、そこらの貴婦人が裸足で逃げ出しそうに美しいのだが、どちらかと言えば、美人というよりかは大変に……男前である。
きりりとした強い意志を感じさせる細いが凛々しい眉と、それに似合う涼やかな目元。
男に比べれば身体つきは華奢ではあるが長身で、女性というよりは、物語に出て来る主役級の美青年騎士と言った風情だ。艶めく黒髪は顎のあたりから耳に掛かるように短く切り揃えられた短髪で、瞳はルビーの様に深い赤色。そんな男前な美人に真っ直ぐに求婚されては、刀鍛冶も溜まったものではなく、頬が赤く染まるのを止めようもなかった。
「――ば、罰ゲームか何か、デスカ? お貴族様のお遊びの」
「違う。貴公が研磨した私の剣を見て決めた。どうか私と婚姻を結んで欲しい」
オヒメサマ騎士の目は、真剣だった。
美しく輝くルビーの瞳に射られた刀鍛冶は、あまりの驚きに全身を震わせ、ついには手にした金槌が右手から滑り落ちた。
ごとん! と金槌が石床を砕く音が、鍛冶場に響き渡った。
オヒメサマの名前は、カナーン・グレイス・アスガルド。
皇家に繋がる古き血と歴史を持つ、由緒正しきアスガルド辺境伯の珠玉の一人娘にして、次期辺境女伯を指名される、「辺境の魔女」との二つ名を持つ騎士にして剣士である。
対する刀鍛冶の青年の名前は、アスール。
両親も知れない孤児だが、人ならざる青い髪から、人外の血を持つ者と忌み嫌われ、腕を買われて鍛冶屋の親方に拾われるまで、ドワーフに育てられ、鋼の扱いを叩き込まれた変わり種。
二人が対面するのは、今、この時が初めてである。
アスールが生き返らせ研磨した剣を携えた大貴族が、下町の忘れ去られた路地裏にある鍛冶屋にやって来ただけで、親方と女将さんはひれ伏し詫びた。
剣士の命ともいえる大切な剣に、人外の血を持つ刀鍛冶が触れた事への抗議と制裁で断罪される。斬り捨てご免で命を絶たれる、と、「死」を覚悟し息を飲んだアスール達だ。カナーンからの予想だにしないアスールへの求婚に、思考はストップし、息をすることすらままならない。
誰もが凍り付き、誰かが口を開くのを待つ、永遠とも一瞬とも感じる、時が流れた。
時が止まった空間を打開する様に、最初に一声を上げたのは、時を止める爆弾を落とした戦犯だった。
「私は、貴公に手を取ってもらうまで、この場を動く気はない」
女神のような神々しい微笑みで、悪魔のセリフを吐く男前なオヒメサマに、アスールは滝のような脂汗を流し、その場に倒れ伏し、昏倒した。
これが良策だったのか、悪策となったのかは、神のみぞ知るトコロである。
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