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Last note (②ワタシと僕)

13.

目覚めると異様な匂いがしていた。

生臭い、厭な匂い。

いや、目覚める前から、この匂いを嗅いでいた気もする。

この匂いのせいで、目覚めたのかもしれない。

ワタシはうつぶせに倒れていた。

目を開く。

視界が霞む。

顔を上げて、周りを見る。

目の焦点が合う。

その瞬間、吐き気が喉をせり上がってきた。

吐いた。

お昼に大学の中庭で食べたサンドイッチ。

咳き込む。

ワタシの周りには、この匂いの元が転がっていた。

人間の死体。

たくさんの死体。

手や、首が千切れ、内臓がはみ出した人間の死体が、そこら中に転がっている。

叫び声が出そうになったが、何故か、すぐに冷静になった。

ここは何処だ?

音が聞こえている。

たくさんの人が移動してる音。

何かがぶつかる音。

地面に何かが落ちる音。

ワタシは上半身を起こして、音のする方を見た。

人だかり──

たくさんの人間が集まっている。

ドグァ

大きな音が響き、人々が飛び散った。

ズガ、ダキャ

手や足が、首が飛び散る。

人だかりが割れた。

その中心に、アレはいた。

色んな人種、男も女も、子供から老人まで、アレに向かって行く。

アレは、虫でもはらうように、手を振る。

バギャラ

ゲガァ

軽く手を振っているように見えるが、その手に触れた人間達は、吹っ飛び、体が千切れる。

アレは何だ?

そうだ、声を聞いたのだ。

頭に響く声。

それは、声と言うより、意味だった。

自分なんかより、遥かに高く大きな存在。

“勇者になれ”

その存在は、私に言った。

そうだ、私は勇者になるのだ。

どうすればなれる?

簡単だ、こいつらを全員殺せばいい。

勇者だけが残る。

それだけだ。

ああ、力がみなぎる。

ワタシは立ち上がった。

アレに向かって歩を進める。

まずはアレを殺さななければならない。

ドズ

何かがぶつかってきた。

足がもつれる。

すぐ横に、ワタシにぶつかった人間が歩いていた。

こいつも、アレを殺しに行くのだ。

思いながら、ワタシは斜めになり…

「グイァッ!」

叫んだ。

左目に激痛が走った。

ワタシはバランスを崩し、そのまま、顔から地面に倒れたのだ。

その左目の場所に、ちょうど石があったらしい。

「グゥ、ハァ、ヴゥ」

ワタシは暫く左目を抑えて、うずくまった。

痛い

痛い

痛い

さっきまであった、アレを殺さなければならないと言う激情が消えていた。

ドズ、ガキャ、バグィ、ドガガ

アレが人を殺している。

ワタシと同じように、アレを殺して、勇者になろうとしている人達を、アレが殺している。

殺して、殺して、殺している。

ガチガチカチ、ガチャ、カチ

何の音だ?

ワタシだ、ワタシの口の中で鳴っている。

歯がカチカチと鳴っている。

体が震えている。

ガタガタと震えている。

アレが、怖い。

怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

アレは駄目だ。

あんなモノを殺せるわけがない。

違う。

関わってもいけない。

近づいてもいけない。

見てもいけない。

アレを見たら、また、アレを殺したくなる。

勇者になる為に…。

ワタシはうつ伏せのまま、死体の山の間に体を潜り込ませる。

堅く目を閉じる。

死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない

なんでこんな事になった?

ワタシは、大学の図書館の端で、大好きな推理小説を読んでいたはずだ。

ああ、あの声だ。

あの得体の知れない声のせいで、こんな事になっているのだ。

バガァ、ドグア、ベキャラ、ドグュ

アレに向かって行った人達が、殺されてゆく。

ダメだ、アレの事を考えてはいけない。

立ち上がって、再びアレに向かって行きたくなる。


どれくらいの時間が経ったのか。

ひたすら、死体の山の間で、じっとしていた。

排泄は垂れ流し。

死体の血と内容物の匂いの中で、すでに鼻はバカになっている。

狂ってもよさそうなのに、何故か冷静な自分がいた。

これが、勇者候補とやらの特典なのだろうか?

暗くなっていた。

この世界には、昼と夜があるらしい。

少し肌寒い。

ワタシは近くの死体達から、服を何枚かはぎ取る。

それを体に巻き付け、寒さをしのぐ。

いつか国語の授業で読んだ『羅生門』が頭に浮かんだ。

アレと群集の音が、遠くから、微かに聞こえる。

ワタシは仰向けになる。

思ってたより、この世界の夜は明るかった。

月も星も無い。

光の帯が、空にかかっている。

ほぼ平行に2本と、それに重なるように斜めに1本。

角度は30度くらいか。

上半身を起こし、周りを見る。

意外とすぐ近くに、壁があった。

高い壁だ。

目測で20メートルはありそうだ。

その壁が、左右に続き、弧を描いている。

ワタシ達は、この高い壁の中にいるらしい。

反対側の壁は、この夜の明るさでは、確認できない。

相当に広い場所を壁が囲っているようだ。

私はそのまま仰向け倒れ、目を閉じる。

この先どうなるにしろ、アレに向かっていって殺されては、どうにもならない。

ワタシは眠っていた。


ハッ、ハッ、ハッ、ハァ、

夢の中?

息が苦しい。

苦しい。

違う、

これは、

渇いているのだ、

喉が渇いて

バヂャ!

顔に何かがぶつかる。

液体?

ワタシは反射的に、唇のまわりのそれを舐める。

少しだけ、少しだけ、口の中が潤う。

ワタシは両手で顔についたそれを拭い、指を舐める。

ワタシはまだ、目を閉じていた。

寝ぼけたままだったらしい。

目を開ける。

ワタシの顔のすぐそばに、手があった。

手首から先の、手があった。

その千切れた断面から、血が流れてていた。

気付くと、ワタシは、その断面に口を付け、舐めまわしていた。

吸い付いていた。

喉の渇きが消えた。

幸せだった。

美味しかった。

ワタシは涙を流していた。

泣きながら、人間の千切れた手首から、血を吸っていた。

グゥ、ググ

腹が鳴った。

血を飲んで、内臓が動いたらしい。

空腹以上のもの。

飢え。

目の前には千切れた誰かの手首。

ああ、そうだな、そうだよな、他には無いよな。

ワタシは、人間を、やめた。


バギャ、ドガ、ビギャラ、ゴツ

音が聞こえる。

知っている音だ。

アレが人を殺す音。

さっきまでは聞こえていなかった。

そう言えばそうだ。

アレが近くにいたから、ワタシのそばに誰かの手首が落ちてきたのだ。

その時は、この音が聞こえないくらい、喉の渇きと飢えが勝っていたのだろう。

今は違う。

喉も潤い、飢えもおさまった。

心身の余裕が出来たから、周りの状況が耳に入ってきたのだ。

餓死する心配は無くなった。

あとは、どうやってアレに関わらず、ここから出られるのか、だ。

考えても、今はどうしようも無い。

とにかく、生き残る事だ。


2度の夜が過ぎ、2度目の朝が来た。

ほとんどの人間は、アレに殺されたようだ。

もう、あの音が聞こえてこない。

ワタシのように、死体の山の間で、息を殺している連中もいるようだ。

ドグァギャガ!

ガラヴィギヤ!

ガル、ガラ、ズギャラ!

ひときわ大きな音が響いた。

ワタシはその方向に顔を向ける。

壁から、土煙が上がっていた。

距離はそこそこある。

土煙がおさまると、壁に空いた大きな穴が見えた。

そして、鎧のような物をまとった、おそらく人間が、何人も何人も、その穴から中に入って来る。

壊して入って来たという事は、ここを囲った壁には、出入り口が無いと言う事だろう。

とんだ設計ミスだ。

ワタシは頭を低くして、壁の穴に近づく。

鎧の人間達は、アレの方に向かっているようだ。

死体の山に隠れながら、ゆっくりと慎重に前に進む。

あの鎧達が味方なのか敵なのか解らない。

30人ほどの本隊らしき集団は、アレの方へ行き、穴の辺りには、数人しか残っていない。

ワタシは走りだした。

とにかく、真っ直ぐに、穴に向かって。

すると、同じように、穴に向かって走る人影がいくつか現れた。

なるほど、ワタシと同じで、人間をやめた連中が、何人かいたらしい。

穴が目の前だ。

鎧が目の前に立ちふさがる、ワタシは両手を出して、鎧を突き飛ばす。

鎧は予想以上に吹っ飛んで、穴の外に転がっていった。

ワタシは走る。

壁の外に出た。

目の前には、たくさんの木が見えた。

森だ。

後ろから何か叫び声が聞こえている。

無視して森の中に飛び込んだ。

そして、走る。

走る。

不思議とまったく疲れないし、息も上がらない。

本来は、読書好きの運動嫌いだったのに。

これもまた、勇者候補の特典みたいなモノか?

走り続けていると、川があった。

迷わずに飛び込んだ。


流れた。

流れた。

何もせず、ただ流されるままに流れた。

そのうち、全身にこびりついた糞尿や、血や肉片が洗い流されていった。

いつの間にか、水の匂いや、木や土、空気の匂いが感じられるようになった。

水の味が解るようになった。

馬鹿になっていた鼻と舌が、水で洗われて、機能を回復したようだ。

その内、ワタシは、流されたまま、眠っていた。


背中に何かが当たっている。

私は目を覚ました。

背中に当たっているのは、いくつもの堅くて丸い物。

石だ。

川は浅瀬になっていた。

体を起こす。

ワタシは体の半分だけ水に浸かって、川岸で眠っていたのだ。

ザズ、ザッザ、ガジャ、ダダ

足音が聞こえる。

数人の人間が、こちらに向かって歩いて来る。

鎧は着ていない。

長い布を体に巻きつけたような服を着ている。

何かを喋っているが、この世界の言葉は理解できない。

ワタシは立ち上がり、歩き出した。

そいつらは私を囲む。

お構いなしで、私は歩く。

ここは大きな河原だった。

目の前は土手。

草で覆われた土手を上り、周りを見渡す。

流れて来た川の向こう側には、森が広がっている。

反対側は、ずいぶんと開けていた。

畑だろうか、緑や茶色い平地が続き、遠くには建物がいくつもあった。

ワタシを取り囲んでいる連中に、遠くの建物の辺りを指差してみせる。

連中は驚いたようだが、何か返事をした。

たぶん、肯定の意味だと理解して、ワタシはそちらへ歩き出す。

慌てたように、連中もワタシに着いて来た。

その内2人が、先導するように、前を歩く。

とりあえず、この世界の事を知らなければならない。

どこに連れて行かれるかは分からないが、すぐに殺さないって事は、超危険というわけでも無いのだろう。

それに、こちらも勇者候補のはしくれだ、危険が迫れば、全員ぶっ飛ばせばいい。


案内されたのは、大きな屋敷だった。

端的に言えば、その屋敷の主人は、金持ちのデブで実力者だった。

金持ちのデブは、ワタシを気に入ったようだった。

それから、私はペットになり、オモチャになった。

外国語を覚えるのに最適な場所はベッドの上だと、何時か何処かで読んだ記憶がある。

確かに、それは本当だった。

元々、読書が好きで、外国語も嫌いじゃなかった。

この世界の20日ほどで、カタコトながら、この世界の日常会話なら出来るようになっていた。

この金持ちのデブの屋敷には、図書室があった。

本がたくさんあった。

なんて素敵な事だろう!

電気や蒸気機関なんかは見当たらないこの世界だが、印刷技術や製本技術はあるらしい。

私は図書室に入り浸った。

この世界の文字や言葉、文化や風習、歴史を学んだ。

その中には、魔王と勇者について書かれた本もあった。

“魔王は発生する、勇者は現れる”

そんな言葉を見つけた。


この世界で30回ほど昼と夜がめぐった頃、興味深い本を見つけた。

人外についての本だ。

この世界には、地球人に似た人間とは別に、少し違う種族がいる。

エルフやドワーフと言った、ワタシ的にはファンタジーな種族達。

総じて人類種とでも呼ぶのだろう。

その中に、吸血鬼がいた。

人の血を吸って生きる化け物。

この世界における吸血鬼も、不死に近い種族で、長命種らしい。

そして、今では伝説となっている、始祖なる存在についても書かれていた。

嘘か本当か、その始祖が住む森の情報まで書いてある。

「これだ」

ワタシは思った。

どうせなら、この世界の事をたくさん知りたい。

その為には、長生きしなければならない。

年老いて長生きするんじゃダメだ。

できれば今のまま、若いまま、ひたすら長生きしたい。

その夜、ワタシはベッドの上で、太った金持ちをぶん殴った。

手加減したので、死んではいないだろう。

それから、退職金と餞別がわりに、金目の物と服をかき集め、屋敷を後にした。

大ざっぱな地図を頼りに、ワタシは歩いた。

街から街を渡り歩く途中、自分の純日本人な黒髪が、この世界では目立つ事を知った。

立ち寄った街で、怪しげな染料を教えてもらい、髪を染める。

まだらで、錆っぽい金髪になった。

生まれて初めての金髪で、気分が高まる。


吸血鬼の始祖が住むという森の近くには、小さな集落があった。

太った金持ちの屋敷を出て、この世界の10日ほどが過ぎていた。

集落の人々に始祖の事を訊ねてみた。

始祖の存在は信じているが、この百年、始祖を見た者はいないという。


深い森だった。

木々が何重にも覆い被さって、日の光が森の底まで届かない。

昼も夜も分からない。

泥や分厚い苔の上を、ひたすら歩いた。

疲れるまで歩いて、そのまま倒れて寝た。

そして、起きて、歩いた。

それを何度も繰り返す。

体力はあった。

食べ物はどうにでもなった。

何でも食べる。

一度人間の尊厳を棄て、人間をやめると、衣食住を気にしなくて良くなる。


それは、大きな樹だった。

大きな大きな樹。

最初は、森の中に突如現れた壁に見えた。

苔や草で覆われ、木々が繁った壁──

だが、違った。

その壁には巨大な根があった。

平らな壁ではなく、巨大な円柱。

全体像は分からない。

頭の中に浮かんだのは、野球場のグランドいっぱいに、みっちりと生えた一本の樹だった。

とりあえず、その壁に左手をつけながら、樹にそって歩く。

何となく、確信があった。

この先に、吸血鬼の始祖がいる。


それは樹のウロだった。

近くで見ると、樹のウロと言うより、トンネルのような穴だった。

樹が巨大過ぎるから、樹のウロもまた巨大だった。

トンネルは、下へ、地下へと続いていた。

土の匂いが濃くなる。

ワタシはランプに火を点す。

すぐに下り坂のトンネルは終わり、平らな場所に出た。

ランプを掲げて、周囲を見回す。

学校の教室程度の広さだろうか。

足下は、柔らかい土と、ゴツゴツとした樹の根。

壁と天井も、数えきれない根が絡み合っていた。

ランプの薄明かりに照らされ、そこはまるで、樹の内臓のように見えた。

“誰だい?”

声が聞こえた。

いや、聞こえたのではない。

脳に直接、声が響いた感じだ。

この世界に連れて来られた時にも、脳に直接、声が届いた。

しかしあれは、言葉では無く、意味だけが届いて来た。

今聞こえた無音の声は、確かに言葉だった。

あの、圧倒的な上位存在とは違い、もっと近い。

距離が、そして、存在感も。

“誰だい”

ワタシはあたりを見回す。

複雑に絡んだ樹の根の間に、それはあった。

顔だ。

土気色で、皺だらけで、まわりの根と区別がつきにくい。

意識して、目を凝らして、何とか、年老いた人の顔だと分かる。

「あなたが、始祖ですか?」

私は、その顔に向けて、声をかける。

“そうだよ、で、お前は何者だい?“

「あの~、ワタシを吸血鬼にしてもらえません?」

“いいよ”

「え?ホントに?」

“もちろんさ”

ギ、ギギ、ゴキャ、バキパギ

その顔の少し下にある根が動いた。

根の先は、細く枝分かれしていた。

それは、手だった。

まるで樹の根のような、土気色の節くれだった手だ。

その手がこちらへ伸ばされた。

手の平が上。

指を内側に軽くまげている。

ギギィ

親指が動き、人差し指の先を擦ったように見えた。

人差し指の先から、薄い赤色の液体が流れたす。

“飲みな”

「じゃ、遠慮なく」

私は口を開け、舌を出し、血がこぼれ落ちる指の下に、顔を突き出した。

私は調子に乗っていたのだ。

この世界に来て50日ほど過ぎている。

その中で、自分の心身の耐久性を知った。

勇者候補になった自分に、脅威になるモノは、ほとんど無かった。

アレから逃げ切ったのだ。

アレに比べれば、どんな恐怖も苦痛も、鼻歌で乗り越えて行ける。

そう思っていた。

だから、考え無しに、吸血鬼の血を、舌で受け止めたのだ。

それが舌に触れた瞬間、全身の血管が膨れ上がった気がした。

脳が沸騰したと思った。

心臓が爆発したと思った。

息が出来ない。

全身が硬直する。

激痛。

激痛。

声も上げられない。

視界が消えた。

意識が消えた。


カハッ!

グハゥ

ケグ!

咳き込む。

咽に違和感があった。

ワタシは目覚めた。

目の前は泥色。

地面にうつ伏せに倒れていた。

両手をつき、体を起こす。

“起きたね”

頭の中に声が届く。

前より、クリアに響く。

寝起きなのに、妙に頭がすっきりしている。

内蔵、背骨から、指の先まで、自分自身の存在をしっかり認識できる。

息を吐く。

吸う。

トッ

両手とつま先で、地面を押す。

体が宙に浮く。

スト

まるで体重が無いかのように、音も無く両足で地面に立つ。

やけに体中に力がみなぎっている。

視界が鮮明だ。

ワタシは両の手の平を見る。

「まるで、レベルアップだな…、レベルアップした事無いけど」

感覚が研ぎ澄まされている。

嗅覚も…

臭い。

下半身を見る。

酷い状況だ。

“2日半くらいだね”

始祖が声無き声で話しかけてくる。

「てめえ!、こんな死にそうな目にあうなんて、言ってなかったじゃねーか!」

“急に口が悪くなったね、あんたが何も聞かずに血を飲んだんだろ、簡単に人間が始祖の血を受けられるわきゃないんだよ”

「もしかして、生きるか死ぬかのレベルだった?」

“もちろん”

「どれくらい…?」

“八割方は”

「どっちだよ」

“死んでるね”

「てめえ!ふざけんなよ!、長生きするためにここに来たんだぞ!、サドンデスで終わったかもしれなかったのか!?、この人殺し!」

“落ち着きな、八割死ぬのは普通の人間だよ、わたしは見えない目でお前を見てるからね、まあ、あんたは死なないだろうと思ってたよ”

「え?、そうなの?何で?」

“そんな事より、水浴びでもしてきたらどうだい?、あんた、臭いよ”

「む、ぐぐ、近くに川とかある?」

“ここを出て、左の方に小川があるよ、近くの小屋に、前に着てた服があるから、それを着たらいいよ”

「これは、何から何まで」


小川の水は冷たかった。

全裸になって、何度も頭まで浸かる。

山の中を歩き回った汚れや、糞尿が、綺麗な水に流れてゆく。

水は冷たかったが、始祖の血の影響だろうか、冷たくても平気だった。

ワタシは立ち上がり、体中を眺める。

見た目に変化は無い。

水面に顔を近づけてみる。

久しぶりに自分の顔を見た。

髪が伸びている。

頭の頂点が、伸びた分だけ黒くなって、プリン状態になっている。

変化はあった。

「目が、赤い?」

揺れる水面に映る自分の顔の、両の黒目部分が、赤く見える。

よく見ると、左右で色が違う。

右目は血のように真っ赤な色だが、左目は少し薄い、マゼンタっぽい色だ。

「別に視界は赤くないな、って、声が少し変だな」

咽の違和感は無くなったが、声が前よりハスキーになった気がする。

CV(キャラクターボイス)が変更になった感じ。

そうだな、自分は、この世界で、再び生まれ変わったのだろう。

よし、ワタシは、ワタシを捨てる。

「僕、うん、僕はこれから、世界を見てまわろう」


それから、始祖とたくさん話をした。

この世界の事、この世界の見えない部分の事、始祖自身の事、そして、勇者の事。

お互い眠らなくても平気だから、ずっと話していられた。

二人とも長命種の吸血鬼だ、時間は無限のようにある。

そう思っていた。

だんだん、始祖の声が聞こえづらくなった。

始祖が言うには、この世界から、さらに上の世界へ進むのだという。

この、“世界の根”と呼ばれる巨大な樹に溶けて、もっと高次元の世界に流れて行くらしい。

その理屈はよく分からないが、始祖の存在感が、この世界に喚ばれた時に聞いた上位存在と、少し似てきた気がする。

始祖によれば、最盛期には世界でも並ぶ者はほとんどいない強者だったそうだ。

しかし、魔王が発生し、勇者が人々の前に現れた時、その、あまりにも桁違いの力に、自信を無くしたのだという。

碧眼の勇者──

魔王を倒し、勇者が死んだ後、始祖はこの“世界の根”に引きこもり、ずっと、想と無想の間にいたのだという。


最後に届いた始祖の言葉は、

「ところで、お前は誰なんだい?」

だった。


僕は“世界の根”を離れた。

こちらの吸血鬼は、日の光も平気だった。

港町に辿り着いた。

噂によると、辺境の魔族を片付けた勇者パーティーが、この港町から、海を渡り魔王の城へ向かうとの事だ。

あてもなく街から街へとぶらついているつもりだったが、知らぬ間に勇者へ近づいていたのは、勇者候補の因縁だろうか。

僕は、勇者パーティーを待つ事にした。

遠くから眺めるだけ。

あの壁の中での地獄は、ちゃんと覚えている。

しかし、今ではこちらも、人をやめ、それ以上の存在になっている。

不老不死に近い体になっている。

それでも、近くにいたら、面倒な事が起こるかもしれない。

何かあったら、今後の暮らしにも影響が出る。

だから、遠くから眺めるだけでいい。

二日後、勇者パーティーは来た。

僕は、港から少し離れた高台の、作物を納める小屋の陰から見ていた。

ああ、分かる。

遠くからでも、ちゃんと分かる。

アレがいる。

数十人のパーティーメンバーに囲まれ、アレが歩いている。

その周りで、人々が喝采の声を上げている。

気づくと、すぐ近くで、カチカチと音が鳴っていた。

何だ?

自分だ。

僕の口の中で、上の歯と下の歯がぶつかって、カチカチと鳴っているのだ。

知らぬ間に、全身が細かく震えていた。

ああ、そうか、僕は、恐怖に震えているのだ。

アレが、顔を上げた。

こちらを見た、気がした。

怖い、怖い、怖い、怖い!

アレはダメだ!

ダメだ、ダメだ、ダメだダメだダメだ!

ダメだダメだダメだダメだダメだ

近寄っちゃいけなかった!

見てはいけなかった!

関わってはいけなかった!

逃げなきゃ!

一歩、後ろに下がった。

ブーツの中から、ギョチョッと、湿った音がした。

両腿が温かい。

それが、ブーツの中まで続いている。

小便を漏らしていた。

ヒッ

叫びそうになるのを、なんとかこらえた。

足がもつれる。

転んで、尻をついた。

ベチャ

厭な音と、匂い。

糞まで漏らしていた。

早く逃げないと!

逃げないと!

僕は四つん這いで、必死になって、その場を離れようとした。

怖い怖い怖い怖い怖い怖い!

はうぁぁぁ!あぁ、はあァァァァ!

我慢したはずの叫び声を上げていた。

強い風が吹いた。

自分の糞の匂いと、潮の香りの中に、僅かに、甘い花の香りがあった。

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