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シウアルマ(転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます)  作者: 福嶋莉佳
一章

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9/29

第9話 痕

アルシオン王太子の正妃――

それは、次期王妃を意味する。


他にも王子はいるけれど、殿下が抜きん出て優れている。


飢饉の折には倉を開き、民を救ったと聞く。

隣国の侵略では、名将を相手にしながら前線で退けたと噂されている。


その経歴は国を越えて轟き、

まるで太陽のように照らし導く人――。


そんな方の正妃候補だと告げられたとき、

私でいいのだろうかと怯みながらも、ときめいていた。


……では、王妃にふさわしいのは、どんな人だろう。


サフィア。

あの武官が、迷いなく殿下の隣に立つ姿を思い浮かべる。


孤独な王にも、

真っ直ぐに寄り添い続けられる人。

――きっと、彼女だ。


けれど――それだけでいいのかな。

小さなざわめきが残り、

問いかけが消えない。





後宮に暮らし始めて、しばらく経つ。

妃候補たちと馴れ合うことはないけれど、特に

争いごともなく――比較的、穏やかに過ごせている。


「さて……

 今日は本を閉じて、散歩にでも行きますか」


リサを連れて回廊を歩き出す。


最近、リサは少しずつ文字を読めるようになってきた。

山岳地帯の出身だからか、特に植物の本を好んで手にしている。


散歩の途中でも、花や草を見ると立ち止まり、名前や効能を教えてくれる。

私が本で読んでもいまいち実感が湧かないことも、

リサから聞くと不思議と頭にすっと入ってくる。


ちらりと横に立つリサを見やり、自然に口元がほころぶ。


リサも気づいたのか、小さく笑い返してきた。


その時――


回廊の角を曲がった先に、壁際を伝うように歩く侍女の姿が目に入った。


足取りが妙におぼつかない。

「……大丈夫?」


セレナが声をかけると、侍女はびくりと肩を揺らし、慌てて振り向いた。

「ひ、姫様……な、なんでもありません」


俯いたままそう言うが、袖口の隙間から、不自然な紫の痕がちらりと覗いた。

「それ……どうしたの」


指先で示すと、侍女は一瞬ためらってから、小さく答えた。


「仕事中に……棚にぶつけて」


「仕事中の怪我なのに、休ませてもらえないの?」


口では穏やかに問いかけつつ、

その痣が、答えを語っていた。


隣にいたリサが、抑えきれない様子で口を開く。

「そんな痣になるまでぶつけるなんて、

おかしいですよ!」


侍女は顔を伏せ、消えるような声で

「本当に……なんでもないんです」と繰り返す。


「……女官長には報告したの?」


「……いえ、その……」


言葉を濁すと、侍女は一礼して、足早に立ち去ってしまった。


「あれは絶対誰かにやられたんですよ!」

リサが声を潜めながらも、憤りを隠せない様子で言う。


「侍女に暴行するなんて……誰が、こんなことを」


足を止めてリサを振り返る。

「……女官長は何をしているのかしら」


「きっと、見て見ぬふりですよ」

リサは唇を噛み、声をさらに落とす。

「あの方、ザリーナ王妃の派閥ですから」


「ザリーナ王妃の?」セレナは眉を顰める。


「派閥がどうであれ、怪我人を放置するのは駄目で

しょう」


リサは「そうですね」と頷きながらも、不安げに目を逸らした。


セレナは扇を抱き寄せる。

「――放ってはおけないわ」


「でも、セレナ様が動いたら……」


「大丈夫。私一人の問題じゃないし、これは

後宮全体の問題よ」


セレナは踵を返し、女官長の執務室がある棟へと

向かい始めた。


疑問と怒りを抱いたまま、歩調を緩めることなく進む。


リサが慌てて後を追いながら、小声で囁いた。

「……セレナ様、顔が怖いです」


「え、そう?」

目だけで返し、歩みは緩めなかった。





女官長マリシェの執務室前に着くと、扉の前で控えていた若い侍女が慌てて姿勢を正した。


「姫様……どういったご用件で?」


「女官長にお話があります」


きっぱりした返答に、侍女は戸惑いながらも中へ声をかける。


「――入りなさい」

低く張った声が返り、扉が静かに開いた。


部屋の奥にある、立派な長机の前に、

マリシェは冷ややかな顔で座していた。


「姫様が、わざわざこちらに?」


「後宮内で怪我をした侍女を見かけました。

把握しておられるのですか?」


マリシェは顔を上げたが、すぐに書類へ戻した。

「怪我は日常茶飯事です。転倒や不注意によるものも多い」


「では、治療や休養は?」


「規則に従い、業務に支障が出ない限りは許可して

おりません」


セレナは、驚きの色をあえて大きく見せた。

「仕事中の怪我なのに、ですか?」


「後宮は大所帯です。一人休めば他が負担を負う。

軽傷であれば従事してもらうのが常です」


侍女の怯えた姿が脳裏に浮かぶ。あれが軽いはずがない。


「それは改めるべきです。あの様子では再発も――」


「姫様」

机越しに、ぴしゃりと落ちる声。


女官長の眉がわずかに動き、その瞳の奥に冷えた刃が光った。

「後宮の運営は私の職務です。お気持ちはありがたい。ですが……まずはご自分のお立場を」


背後でリサが身を縮める。


セレナはその冷たい視線を正面から受け止めても、一歩も退かなかった。

「……では、私が直接確認します」


「それは――」


「女官長、これは職責を怠っているも同然です。

その責は逃れませんよ」


張り詰めた空気が、

乾いた石に細かな亀裂が走るように軋んだ。


マリシェの瞳の奥に宿った色は、怒りか、それとも

警戒か――読み取りづらい。


「……お言葉ですが、姫様」


マリシェは目を細めた。


「後宮の采配は私の務めにございます。姫様が口を

挟まれるのは……」


「後宮の秩序を保つのは私たちの務めでも

あります……そうでしょう?」


女官長の唇が硬く結ばれる。


リサのごくりと喉を鳴らす音が、やけに大きく感じられた。





後宮奥の人気のない洗濯場。

水桶に布を沈めていた侍女が、物音に気づき、

肩を跳ねさせた。


セレナはゆっくりと歩み寄り、その前に立つ。

「こんにちは。昼間に会ったわよね」


侍女は視線を彷徨わせ、

「は、はい」と小さく返す。


「腕の痣――あれ、仕事中にぶつけたのよね?

なのに、まだ働いているの? 休まないと」


侍女は小さく身を固くし、返事の代わりに濡れた布を強く握った。

水面が、ぱしゃりと音を立てる。


横でリサが、唇を噛んだ。

「……こんな痣になってるのに、休まないなんておかしいです」


セレナはうなずき、声を落とす。

「勤務中の怪我なのに働かせるなんて……

後宮にとって、許されないことよ」


そっと手を差し伸べる。

「さあ、一緒にいらっしゃい。

後宮監に話を通して、休ませてもらわないと」


侍女は首を振った。

「……お気持ちは嬉しいのですが、

本当に……大丈夫ですから」


リサがすかさず一歩踏み出す。

「無理をすれば、もっと悪くなります。

私も同行しますから」


その言葉に、侍女の瞳が揺れ、

袖口を強く握りしめた。


セレナは、侍女に一歩近づいた。


「さっき、ふらついていたでしょう?

――助けたいだけなの」


侍女は唇を震わせた。

「……本当に、助けてくださるんですか」


「ええ」セレナはためらいなく頷いた。


その言葉に、侍女の肩が震えた。

リサがその背に手を添え立ち上がらせる。


三人は回廊へ進んだ。


セレナは歩きながら問いかける。

「……その腕の傷、どうやってできたの?」


「……本当に、転んだだけです」


セレナは歩みを止め、侍女の前に立った。


「……もし本当に転んだだけなら、

一時的な保護で終わるわ。それでもいい?」


はっきりと言葉を継ぐ。


「でも――違うのなら、私は必ずあなたを守る。

だから、ちゃんと教えて」


沈黙が落ち、石床に靴音だけが響いた。

リサが小さく頷き、侍女を見守る。


やがて、押し殺した声がこぼれた。

「……サーヒ様に……」


セレナの背骨に冷たいものが走った。


サーヒ……正妃候補の一人……!


「……話してくれて、ありがとう」


セレナは侍女の手を取った。


「心配しないで。私が必ず守るから」


三人は足並みを揃えて踏み出した。


セレナは袖口を押さえ、歩調を上げた。

「後宮監に会わないと」


足音を石床に響かせながら、

後宮監の執務棟へと向かった。

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