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シウアルマ(転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます)  作者: 福嶋莉佳
一章

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第7話 基盤

陽の高い中庭を渡ると、眩しさに思わず目を細めた。

訓練場からは剣戟と号令が響いてくる。


リサが瞬きをし、ぽつりと漏らす。

「……相変わらず、賑やかですね」


回廊を進んでいたセレナは、リサとともに足を止めた。


訓練場の門が開き、黒髪の長身の男――

アルシオンが、数名の従卒を従えて現れた。


軽装の軍衣は汗を含み、

鍛え上げられた腕と胸板が、

陽光を受けて浮き彫りになる。


途端、後宮の女たちの気配が一斉に立つ。


「殿下……!」

「今日は訓練上がりなのね」


回廊の帳の陰が、いっせいに色めき立つ。

アルシオンは額の汗を袖で拭い、

無造作に黒髪をかき上げた。


その一動作に、扇が揺れ、

押し殺した声があちこちでほどけた。


リサが目を丸くする。

「……やっぱり、注目されますね」


セレナはその言葉に、口元をわずかに引いた。


声をかけられれば、

アルシオンは軽く頷くだけ。


けれど、素っ気ない態度ひとつで、

女たちの熱が増す。


そして――

その流れを断ち切るように、

渡り廊下の影からサフィアが姿を現した。


武官の制服に身を包み、

髪をきっちりと束ねたその姿に、

場の空気が一気に張り詰める。


周囲の妃候補たちは、表情を整え、

険のある目つきへと変わった。


「殿下、装備の整備はすでに済ませました」


「ご苦労」


アルシオンは短く返し、

身体ごとサフィアへと向き直った。


青い目が長く彼女を捉え、

口角がほんの少しだけ緩む。


続けて低く、周囲には聞き取れないほどの声で囁いた。

「……後で話そう」


サフィアは小さく頷き、

唇の端をわずかに持ち上げた。


その間、女たちは息を潜めて見ていた。


「見た?」

「今、耳打ちしたわよ」


――囁きが、あちこちで弾ける。


「また、あの女が殿下の隣に……」

「剣しか能がないくせに」

「どうせ後宮には馴染めないわ」


リサは身をすくめ、

セレナの袖口をつまんだ。


セレナは手元の扇を、わずかに動かす。


アルシオンの歩みに合わせ、

サフィアは王宮へと続く回廊へ足を向けた。


背後では、名残惜しげな囁きと、

冷えた沈黙とが入り交じり、

二人の歩みを包み込んでいた。





そんなものは、もう何年も聞き慣れている。


殿下は王太子なのだから、

女たちが惹かれるのは当然だ。


正妃になるのは……私じゃない。


それは変えられない事実。

王族の血も、有力な家柄もない私は、

彼の「隣」に立つ資格を持たない。


わかっている。ずっと、わかっている。


それでも――

殿下が振り返った時、

最初に見つける場所にはいたい。


危ない時には必ず間に立ち、

背中を預けられる存在でいたい。


正妃の座は渡しても、

この距離だけは渡さない。


誰が来ようと、

私とアルシオンの間にある、

戦場を共にした時間は割り込めない。


横を歩く殿下が、ふと歩調を緩める。


「殿下、午後の視察、私も同行します」


「……ああ」


その返事とともに、

口元がほんのわずか形を変えた。


……やめてよ、そういう顔は。


心臓が落ち着くまで、

呼吸をほんの少しだけ浅くする。


この距離さえあればいい。

――たとえ未来が、私のものじゃなくなっても。





セレナは、去りゆく二人の背を眺め、


「なんだかんだ言って……お似合いね」


そっと口元をほころばせた。


二人の姿は微笑ましく、

胸の内が、僅かに疼いた。


――その瞬間、

ひとつの記憶がよみがえる。


彼との出会いは、中学三年の頃。

年上の彼は、悪魔祓いをする私を恐れなかった。


何度も告げられた「好きだ」という言葉に、

気づけば心が傾いていた。


――私は、押しに弱い。


「疲れたな」とこぼし、

「傍にいてくれ」と抱き寄せる。


年上なのに隙を見せるところが、可愛くて、

支えたいと、心から思った。


そして、彼も私を支えてくれた。


愛を与え合う日々の中で、

私はますます彼に惹かれていった。


悪魔祓いを続けていたことに、

後悔はない。


けれど――

私がいなくなったあと、

彼は大丈夫だったのだろうか。


陽光に目を細めながら、

セレナは胸の奥に小さな痛みを抱いた。


その痛みを押し隠すように視線を戻すと、

二人の後ろ姿の周囲に、

まだ人の気配がまとわりついていた。


お二人は、どうぞ幸せに……

私は、今回は――

自力で幸せを探しにいかないとね。


「……セレナ様?」


すぐそばで控えていたリサが、

小首を傾げて覗き込む。


セレナははっとして表情を整え、

柔らかく微笑んだ。


「……なんでもないよ。

少し、眩しかっただけ」


リサは安心したように頷き、

それ以上は何も聞かず、そっと寄り添った。





遠くで侍女たちの笑い声がして、

現実の空気が肌を刺すように戻ってきた。


午後の光が薄く差し込む自室。


窓辺の机には昨日の花瓶が、

水の交換もされぬまま、置き去りにされ、

壁際の棚には、埃がうっすらと積もっている。


化粧台の引き出しは半端に閉じられ、

床には繊細な刺繍糸が数本こぼれていた。


ああ……今の私、そのものみたいね。


改めて周囲を見渡す。


それにしても……最近はずっとこの有様が続いてる。


セレナは机の花をそっと持ち上げた。


「別に毎日掃除しなくてもいいけれど……

 後宮の侍女の仕事ぶりとしては、

 これは駄目なのでは?」


その横で、リサが申し訳なさそうに身を縮めていた。


「セレナ様……最近、こちらに回される侍女は

新人ばかりで……言いつけも聞かず、

掃除も半端で……」


セレナは肩を落としつつも、

リサを見て、微笑んだ。


「リサは十分に頑張ってくれているわ。

他の子たちの分までね」


リサの目が潤み、深く頭を下げる。


リサにこれ以上負担をかけるわけにはいかない……。

対策を考えないと。


その時、木扉の向こうから打音が響いた。


「失礼いたします。後宮監、

ナヴァリス・エフェンディでございます」


滑らかな声とともに、

黒髪の長官が静かに入室する。


切れ長の瞳を持つ端整な顔立ち。

濃紺の礼服を隙なく着こなし、無駄のない立ち振る舞い。


その柔らかな笑みの奥には、

冷ややかな計算が潜んでいるようだった。


セレナの隣で、リサが身を強張らせる。


後宮監――

後宮の人事と予算を一手に握る、実質的な支配者。


……ああ、女官長の上司にあたるのよね。


ナヴァリスの視線は花瓶から机、棚、床へと移った。


セレナは呼吸を整え、口を開く。


「お目にかかれて光栄です、

ナヴァリス・エフェンディ様」


男の微笑はそのまま、

だが瞳の奥に、かすかな興味の色が灯る。


「……なるほど」


ナヴァリスは軽く顎を傾け、

もう一度、部屋全体を観察するように見渡した。


「どうやら、

姫様の周囲には少しばかり

気の緩みが見られるようですね」


声音は穏やかだが、含むものは鋭い。


「後宮は『住まい』であると同時に、

王家の威信を示す場。

乱れは、たとえ小さくとも外に漏れれば、

姫様のお立場に直結いたします」


懐から細長い帳面を取り出し、

さらさらと筆を走らせた。


「ですので――

本日付で、ここの侍女の半数を入れ替えます」


指先で帳面の縁を、かつ、と軽く叩いた。


「新しい者は訓練を受けた侍女です。

掃除も、衣の手入れも、礼儀も、

より厳しく整えられるでしょう」


セレナはその圧を感じながら、短く瞬いた。


仕事が早くてありがたい……!

けれど、頭の片隅に、小さな引っかかりが残る。


思考を巡らせ、目を伏せてから口を開いた。


「ひとつ、提案なのですが――

新人と経験のある侍女を二人一組にして、

互いの作業を確認させてみてはいかがでしょうか。

教育と監督を同時に行えるかと」


そうよね……。

アルバイトだって、こうやって覚えさせてた。


そばで控えていたリサは、

思わず胸元を握りしめて固まった。


ナヴァリスの眉が、わずかに動いた。


「……人を増やす必要もなく、

怠慢も抑えられる。

……ですから、

私の部屋の侍女はそのままで十分かと存じます」


数秒の沈黙が広がる。


やがてナヴァリスの口元に、

浅い笑みが浮かんだ。


「なるほど。

費用も増やさず、効率も上がる。

すぐに試してみましょう」


一礼すると、静かに退室する。


そんなあっさりでいいの……?


セレナはその背を見送った。


……それにしても。

あの人、何しに来たのかしら。


その隣で、リサがぱっと顔を輝かせ、小声で囁く。


「さすが、セレナ様……!」


セレナは、言葉を失ったように目を見開き、

それから、つられるように口元をほころばせた。





回廊を進みながら、ナヴァリスは歩調を崩さない。


……あの姫は、

ただのお飾りでは終わらぬかもしれない。

軽口に等しい案を、即座に形にできる者は多くない。

育て甲斐があるのか――

それとも、摘むべき芽か。


唇の端をわずかに上げた、その時。


前方の柱影から、すらりとした男が姿を現した。


「これは、後宮監殿。

珍しく姫様のお部屋からの帰り道ですかな」


宰相ラシードだった。


ナヴァリスは一礼し、歩調を緩めずに答えた。


「宰相殿こそ、こんな時刻に回廊を散策とは。

政務の合間に、涼を取られて?」


「ええ。暑さは人の理性を鈍らせますからね。

頭を冷やすのも、仕事のうちですよ」


ラシードの唇の端が、ほんの少し上がった。


「ところで……

ルナワの姫様のお部屋を見に行かれたとか。

どのように映りましたかな?」


ナヴァリスは顔を前に向けたまま、静かに返す。


「見たところ――

あの方は、与えられたものをただ受け取るだけの姫君ではなさそうでした。

即興の一策で怠慢を抑えようとした。

……それだけで、十分に値打ちはある」


「ほう」


ラシードの灰色の瞳が、わずかに細められる。


「殿下がお気に召している武官殿とは、

まるで正反対ですな。


正妃の座は、すでに決まったようなもの――

ですが、異国の姫はただ朽ちる石ではない。


飾りで終わらず、盤面を少しは揺らしてくれる。

……その行く末を眺める分には、実に面白い」


ナヴァリスは目を伏せ、喉の奥で短く音を転がした。


「面白い、で済む間は良いのですが。

私の務めは、後宮を“機能”させること。

使える者は使う。

摘むべき芽があれば、摘む。

ただ、それだけです」


「相変わらず、情のない言いようですな」


ラシードは肩を竦める。


「もっとも――

その冷徹さが、宮廷を保つ柱でもある。

私の役目は……

盤面を眺めながら、時に駒を一つ動かす程度」


ナヴァリスはふと足を止め、

横目で宰相を見た。


「……宰相殿。

殿下の“盲目”ぶりを、

どこまで容認なさるおつもりで?」


ラシードは空を仰ぎ、間を置いて言葉を継いだ。


「盲目であろうと、

歩みが真っ直ぐなら、それもまた道。

……ただし、転べば拾う者が要るでしょう。

私がその役なら、退屈はせぬでしょう」


「退屈しのぎで済めば良いのですが」


「まぁ、火消役はいつも私。

あなたは火種を摘む係。

お互い、愉快とは言い難い務めを

楽しんでいる」


ナヴァリスは答えず、歩を進めた。


その様子を、柱の陰からひとりの女が見ていた。


濃紺の長衣をまとい、

黒曜石のような瞳を細める――サーヒ。


視線は一瞬だけ、

セレナの部屋付きの侍女のひとりをかすめる。


サーヒの内に、焦げつくような苛立ちが走った。


乾いた舌打ちをひとつ残し、

裾を翻して背を向ける。


足音だけが、石床に冷たく残った。

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