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シウアルマ(転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます)  作者: 福嶋莉佳
二章

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第12話 帰路

翌朝、ルナワ王宮の謁見の間。

静寂だけが満ち、光が床の上で淡く揺れていた。


アウレナに戻ると決めたはずなのに、

胸の奥に、小さな不安が残っていた。


裾を整え、セレナは深く頭を垂れた。


「……父上。お願いがございます」


玉座から注がれる視線が、わずかに動く。


「何だ、セレナ」


「……アウレナに戻らせていただきたく存じます」


謁見の間がざわめいた。

父王の眉がわずかに寄る。


「……戻るだと? 戦が始まったばかりだぞ。王都にいる方が安全だ。

そもそも、あんな見る目のない男のもとへ戻る必要などない!」


セレナは顔を上げ、静かに微笑んだ。


「私は正妃候補としてアウレナに籍を置いております。

その責務を放棄すれば――ルナワの名が傷つきます」


「そんなものはどうでもよい!」


父王は玉座から半ば身を乗り出した。


「お前の身のほうが大事だ!」


その言葉に、セレナの胸が熱くなる。


「父上……確かに、アウレナの後宮では私はまだ一正妃候補にすぎません。

けれどあの場所には、私を信じて動き始めた人たちがいます。

彼女たちを残したまま離れることは……どうしてもできません」


静かに息を吸い、目を伏せた。


「私は……彼女たちを守りたいのです。

 ですから、どうか——戻ることをお許しください」


静寂が落ちた。


父王は腕を組み、しばし黙り込んだ。


「……やはり我が娘は見事だ。

己の務めをここまで自覚して言葉にするとは……」


低く息を吐く。


「だが……本当にあの盲目の王太子のもとへ返す必要があるのか。

……いや、嫌だぞ……」


肘掛けを軽く指で叩きながら、セレナをじっと見つめる。


「王として言えば、戦時に娘を遠地へ戻すのは愚策だ」


セレナはぐっと身を正した。


その姿を見つめ、父王の指の動きが止まる。


「だが父としては——己の務めを自ら求めるお前を誇らしく思う」


父王は椅子に背を預けた。


「よかろう。ただし条件がある。護衛を必ず連れ、我が名の書状を携えて動け。

 勝手な振る舞いは許さぬ。それを守れるなら……戻るを許す」


セレナは深く頭を垂れた。


「謹んで承ります、父上」


「まったく……我が娘ながら手のかかる女だ。だが、それがまた誇らしい」


その笑い声のあと、謁見の間の端で静かな声がした。


「……姉上。戻られるのですか?」


振り向けば、ラディウスが立っていた。

両手を胸の前で固く握りしめている。


セレナはゆっくりと歩み寄り、そっと弟を抱きしめた。

ラディウスは一瞬ためらったあと、小さく腕を回してくる。


「ラディウス……元気でね。あなたの成長を楽しみにしているわ」


「……姉上こそ、お気をつけて。アウレナで……どうか無事に」


その言葉に、セレナは胸の奥が静かに温まるのを感じた。


前世とは違う。

今は、私を想ってくれる家族がいる——


だから、頑張れる。





出立の支度は、静かに進められていた。

几帳の陰で衣装箱が開かれ、旅装束が取り出されていく。

リサは慣れた手つきで布を整えながら、ちらりとセレナの横顔を盗み見た。


……どうして、戻ろうと決められたのだろう。


けれど、指先は止まらない。

セレナが「戻る」と決めたなら、それに従うのが自分の務めだった。


「……準備が整いました、セレナ様」


声をかけると、セレナは柔らかな笑みを見せる。


「ありがとう、リサ。あなたがいてくれて心強いわ」


その一言に、胸が熱くなった。


……そう。私は、セレナ様に仕えている。

けれど——アウレナには、私の家族もいる。


無事を知りたい。会いたい。

その願いを、口に出すことはできなかった。


リサは胸の奥で、そっと息を吐く。


だから……ありがたいの。

セレナ様が“戻る”と決めてくださったことが。

私ひとりでは、決して言えなかった願いを……


セレナは腰帯をきゅっと締め、鏡に映る自分を見つめて顎を上げた。


その凛とした背に、リサは改めて深く頭を垂れた。





政務殿にざわめきが走った。

伝令の言葉が終わるより早く、アルシオンの胸に冷たい予感が沈む。


「……押し返された敵軍、なお砦の前に陣を敷き、焚火の列はむしろ増えております」


巻物を受け取り、目を走らせる。


退かない……?

本来、押し返された側は一度距離を取り、陣を立て直すものだ。


机上の地図へ手を伸ばし、砦から王都までの街道をなぞった。


この砦を抜かれれば、丘陵帯は途切れ、王都まで平地続き。

数年前の侵攻戦でも、敵は真っ先にこの道筋を狙ってきた。

――この地形の価値を、知らぬはずがない。


胸の奥に、かつての戦火の匂いが微かに蘇る。


だが――なおさら不自然だ。

長く居座る構えなら、後続と荷駄がもっと目に見えて増えるはずだ。

斥候の報告でも、後方に大規模な補給隊の影はない……

滞陣にしては、影が軽すぎる。


巻物から視線を上げ、焚火の列を示す印に指先を押し当てる。


それなのに退きどころを作らず、じわじわと貼り付き続けている……

何を待っている?

胸の奥に、嫌な予感だけがじわじわと積もっていく。


ラシードが静かに口を開いた。

「殿下。敵は……何を狙っているとお考えに?」


アルシオンは短く息を吐いた。


「長期消耗を望むには補給が軽い。

 かといって、短期決戦にしては踏み込みが浅い。

 ……あいつらは“判断している最中だ”。こちらと同じく」


地図上で止めた指をわずかに押し込む。


「ただ一つだけ確かだ。

 砦が落ちれば、王都は平野に晒される。

 隙を窺い続けている」


俺が前に出れば、敵の癖も布陣の意図も読める。

前線を何度も踏んだ経験が、そういう勘だけは磨いてくれた。

だが今は政務に縛られて動けない。

――読めているのに手を出せない。それが一番堪える。


巻物を閉じ、強く言い切った。


「――だからこそ補給を絶やすな。

 サフィアが砦を守るなら、俺は都を守る。

 武と政、双方が揃って初めてこの戦は持つ」


廷臣たちが一斉に頭を下げる。


その中でただひとり、ラシードだけが殿下を見ていた。





国境を越えた途端、空気が変わった。

風が乾いている。道端の草も、ルナワよりわずかに色が薄い。


煙や焼け跡こそ見えないのに、人々の表情には落ち着きがない。

行き交う荷車の軋む音が絶えず、荷を抱えた旅人たちは皆、そわそわと周囲を窺っている。


すれ違う人々は声を潜め、噂を交わしていた。

「北の砦が危ない」「王都の値が上がった」「祈祷所が混んでいる」――。

誰もが何かに追われるように早足だ。


やがて、丘の向こうにアウレナ西部の町が見えた。

門の前では荷車を引く人々が列をなし、巡回中の兵が往来を確かめている。

道端では、数人が咳き込みながら腰を下ろしていた。


布にくるまれた荷を抱える者、子どもを抱えた母親――

誰も足を止めず、前だけを見て歩いている。


「西の末端の町なのに……避難民がこんなにも?」


胸の奥に、ひやりとした感触が広がった。

答えは出ない。

ただ、前世の記憶がぼんやりと脳裏をよぎり、いやな予感だけが残る。


リサが隣でそっと息をのむ。


遠くで祈祷の声が響く。

人々のざわめきと、薄い咳が重なって、町全体をじっとりと包み込んでいた。




本砦の上から、サフィアは後方を振り返った。

町へと続く道には担架の列が続き、喉を押さえて咳き込む者や、水を求めて崩れる者も交じっていた。


「……病が広がっているそうです、サフィア様」


副官が声を落として告げた。

戦場の荒事に慣れた男の声が、わずかに掠れていた。


……ここ数日、兵の中に熱と咳を訴える者が散発している。

ただの疲労か、乾いた風のせいか――判断がつかない。


サフィアは短く頷いた。


「医師と補給役に任せろ。今は砦に集中だ」


兵の心が弱るのは速い。

揺らげば前が砕ける。私は、立つしかない。


そこへ、別の兵が駆け込んだ。

「報告! 物資、まだ到着いたしません! 街道で足止めを食っている様子!」


サフィアは拳を固く握った。骨が軋むほど、力をこめる。


……最悪の順で、崩れていく。

だが――ここで折れれば王都まで一気に道が開く。


彼女は城壁に立ち、兵全体に響く声で叫んだ。


「聞け! 病も遅延も後方の課題だ!

 我らが為すべきはただひとつ、砦を守り抜くこと!

 ここを抜かれれば、王都の喉元に刃が届く!

 砦を支えきれば、まだ戦は続く! まだ勝てる!!」


兵たちの目に緊張が戻り、槍を握り直す音がいくつも重なった。

夕風が鎧の隙間を抜け、金属と血の匂いをわずかに運ぶ。


サフィアはその気配を感じ取りながら、胸の奥で静かに息を吐いた。


殿下……


拳を解かないまま、サフィアは槍を握り直した。





町に入った途端、通りを覆う空気に息苦しさを覚えた。

露店の布は垂れ下がり、壺や穀の棚も半ば空のまま。

道端では、壁にもたれて咳き込み、肩を震わせる者――

そして、倒れたまま動かぬ影までもがあった。


「……なに、この空気……」


思わず息をのむ。胸の奥がひやりと冷えた。


この感じ……前世でも、どこかで……


言葉にならない予感が、脳裏を横切った。


広場には香煙が漂っていた。

神官が香を高く掲げ、祈祷を途切れなく唱え続けている。

人々は咳や呻きを漏らしながら列をなし、救いを求めるように手を合わせていた。


隣で、リサが青ざめた顔で呟く。

「……お父さん……お母さん……」


「リサ。家族がこの町の近くなんだったわね」


「はい……でも、セレナ様のお側を離れるわけには……」


セレナは静かに首を振った。


「わかってる。でも、まずは町の状況を知らないと動けないわ。

 代官に会いましょう。現状を把握してからよ」


「……はい」


リサは胸の前で手を握りしめ、深く頭を下げた。


セレナは広場を見渡した。

祈祷の煙、途切れない咳、怯えた群衆のざわめき。

そのすべてが、町の空気をじっとりと重く押しつぶしていた。


今までも上手くいったもの。

今回も大丈夫。きっと……


小さく息を整えると、セレナは馬車を進めさせ、

代官の邸宅へ向かった。

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