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シウアルマ(転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます)  作者: 福嶋莉佳
二章

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第10話 影

今日は少し気分を変え、セレナはリサに城下町を案内することにした。


「リサにとっては初めての海外だものね」


城壁を抜け、石畳の通りへ出ると、香草と樹脂の“温い甘さ”が流れこんだ。


市場では葡萄の房が籠に盛られ、羊毛を量る分銅が青銅皿で乾いた音を打つ。

子どもたちの笑いが屋台の布天幕に跳ね返っていた。


リサは目を輝かせて左右をきょろきょろと見回した。

「セレナ様……すごいです! どこ見ても楽しくて……!」


セレナは思わず微笑んだ。

「ふふっ、そうね」


私も……前世の記憶が戻ってから、こんなふうに城下町を歩くのは初めてね。


リサが屋台の前で足を止め、乾いた葉束──香料草こうりょうそうを抱えた女商人に話しかけていた。


その姿を眺めながら、セレナの胸にふわりと温かなものが広がる。


みんな、生き生きしてる——


セレナは、市場を見渡した。

荷を担ぐ女たち。値を交わす声。肩を寄せて歩く母娘。


この場の誰もが“務め”ではなく、自分の生きるためにここにいる。


今……すごく、解放された気分——


後宮では、妃候補達の役割は殆ど残されていないのに、

古い縛りだけが今も残り続けていた。


リサの声がして、セレナは息をつく。


「後宮も、あんなふうに自由だったらいいのに……」


二人が染織の店先で脚を止めたとき、

陽焼けした店主が人懐こい笑みを浮かべ、布束を揺らした。


「おや、綺麗なお嬢さん方。絹の新柄はいかがだ? 今なら“おまけ”つけとくよ」


リサは慌てて両手を振る。

「い、いえ、見るだけで……!」


セレナは笑って、差し出された布をそっと指にすべらせた。


金糸が光を弾き、織り込まれた樹脂香がふわりと立ちのぼる。


「上手な事言って、交渉が上手ね。

……おまけしてくれるなら買おうかしら……!!」


商人の笑顔。その口上。その“誘導の仕方”。


ぱちん、と頭のどこかで火がついた。


これ……豪族の説得に使えるのでは!?


胸の奥がひとつ跳ね、セレナは布を静かに戻した。





ルナワ王宮の政務室。

セレナは呼吸を整え、バルネスの前へ歩み出る。


このアイデアは小説から得たものだけど……やってみる価値はあるはず。


「バルネス様、倉庫の件で……豪族の方々を納得させる案を考えてまいりました」


バルネスがわずかに眉を上げる。セレナは言葉を続けた。


「宴を開き、豪族の皆さまの功績をお讃えする場を設けます。

その中で高床式倉庫の話を持ち出し……まずは一人、あらかじめ賛同してくださる方を“仕込んで”おくのです」


「……仕込む、とな」


「はい。最初の賛成の声があれば、周りは“空気”に従います。

さらに宴で賛同を表明してくださった方に褒美を授ければ……王宮からの恩寵だと皆が見て、反対はしづらくなるはずです」


バルネスは顎をゆっくり撫でた。

「なるほど……姫様は興味深いことを考えられる」


「……やはり無茶でしょうか」


「無茶ではありません。むしろ、人心の理に適っております。

ただし――“仕込み”と悟られてはならぬ。最初の声が自然でなければ、逆効果です」


「!そうですか……」


よかった!……ちょっと詐欺っぽいけど、豪族も民も得をするなら、いいよね?


バルネスは筆を走らせた。

「では姫様。宴の段取りと“最初の一人”は、我らにお任せを」


「……ありがとうございます」


セレナは深く礼を執り、胸の内で小さく拳を握った。


失敗すれば、いろんな意味で痛い……! 必ず成功させないと!





政務を終え、部屋へ戻る途中。

廊下の先で待っていたリサが、申し訳なさそうに手を上げた。


「……あの、セレナ様。さっき市場で見た絹布が、どうしても気になってしまって……。

もう一度だけ見に行っても、よろしいですか?」


「ふふ、いいわ。一緒に行きましょう」


再び2人は市場に向かった。


――夕刻の市場は、店主たちは店仕舞いを始め、通りのざわめきが沈みつつあった。


リサが絹布を手に取りながら、嬉しそうに頬を染める。

「セレナ様……買ってくださりありがとうございます……!」


「喜んでくれてよかったわ」


いつの時代も、女の子は買い物好きよね。そんな事を思っていると、背後から男たちの声が耳に入ってきた。


「……聞いたか? 北で戦の噂が立ってる」

「街道の荷が滞ってるらしいぞ。商人が皆ざわついてる」

「葡萄酒の値が今朝から少し上がったってよ。明日は布も吊り上がるかもな」


リサの笑みがふっと翳る。

「戦……ですか」


「……嫌だわ」


この時代は戦が身近であることを、喧騒の只中で思い知らされる。


リサが袖をそっとつまむ。

「……戦だなんて、怖いですね」


セレナは微笑を作り、その手を握り返した。

「今すぐルナワに関わる話じゃないわ。心配しないで」


……どこの国同士の戦争なのかしら……。


北を流れる大河から吹き下ろす乾いた風が、二人の影を寄せて揺らした。





アウレナ王宮の回廊。

夕刻の光が青灰石の柱を染めるなか、兵が駆け寄ってきた。


「殿下、急報にございます!」


アルシオンは歩を止め、身体を兵に向ける。

兵は巻物を捧げ持ち、声を震わせた。


「北の砦が……敵軍に抜かれたと!」


「……何だと」


脇に控えていたラシードが王印を割り、巻物に目を走らせる。

アルシオンは拳を握り、低く息を吐いた。


「……政務殿へ向かう。軍議を開け」


――政務殿では、急報が告げられるや否やざわめきが満ちた。

ラシードが巻物を睨み、低く告げる。


「……三千。砦を抜き、そのまま進軍中。次は本砦が危うい」


廷臣達が慌てて声を張る。

「なぜ、この時節に――?」


「……秋の宴だ。あの場にいた他国の使節、皆見ていた。殿下が女武官を妃席に座らせたのを……」


「“秩序が崩れた王国”と見られたのでしょう。そこを突かれたのです!」


アルシオンは拳を握り締め、声を荒らげた。

「馬鹿な。俺は心に従ったまでだ!」


だが、その瞳の奥で一瞬、迷いが揺れた。


……秋の宴。あれが火種になったのか……?


廷臣たちの声が渦を巻くのを、ラシードが机を叩いて断つ。

「静まれ。まず敵の意図を読むべきだ。これはただの小競り合いでは済まぬ」


重苦しい沈黙が、部屋を満たした。





翌朝の訓練場。

サフィアは桶の水に手を浸し、指先をこすり合わせる。

血と油の混じった汚れは、水だけではなかなか落ちない。


背後で、従兵たちがひそひそと声を交わした。


「北から急報だ……砦が抜かれたらしい」

「三千の軍勢だと。駐屯兵は退いたってよ」


その言葉が耳に届いた瞬間、サフィアの動きが止まった。


「……進軍、だと?」


胸の底に冷たいものが走る。

だが表情は変えず、額の汗を拭い、何事もなかったように訓練場を後にした。


回廊に出ると、帳の影から、上質な絹をまとった侍女たちの笑い声がこぼれていた。


通りすぎるつもりだった――だが、耳に入った言葉が背を縫いとめた。


「ねえ聞いた? 国境で戦が始まったんだって」

「ほんと? さっき急報が届いたって」

「でも殿下は政務を執ってるし、出陣なんて無理よね」

「だよねー。だから正妃さまがいれば支えられるのに……」


息が詰まり、足が動かない。


「……それに、このあいだの秋の宴よ」

「そうそう。他国の使節、全部見てたんでしょう? 殿下が女武官を妃席に座らせたの」

「そりゃ笑われるわよ。王宮の格が落ちたって」

「その隙、突かれたんじゃない?」

「セレナ様がいればねー。あの方なら後宮も宮も回ったのに……」


拳を握り締めても震えが止まらない。


私が……殿下を危うくしている?


笑い声が遠ざかるまで、その場に立ち尽くしていた。

胸に渦巻くのは、嫉妬、劣等感、そして――殿下を支えたい一心の焦燥。


「……どうすれば、私は――」


握り締めた拳をほどく。

洗い流したはずの指先に、まだ薄く汚れが残っていた。





政務殿には地図が広げられ、

廷臣たちが声を荒らげていた。


「敵軍三千、進軍が速い! 本砦が落ちれば平原の都市が危うい!」

「なぜ止められなかったのだ。防壁の補修は終えていたはずだ!」

「偵察線も敷いていたのに……まさか一晩で突破されるとは!」


ラシードが机を叩いた。

「殿下。兵の動員を急ぎ定めねばなりません」


そのとき、扉が軋み、革甲冑に身を固めたサフィアが現れた。


一瞬でざわめきが跳ねる。


「女武官が軍議に……!」

「何事だ、退け!」


サフィアは迷いなく進み、アルシオンの前に膝を突いた。

「殿下。どうかおん自ら軍を率いてください。砦を守れるのは殿下しかおりません!」



廷臣が声を荒らげた。

「!女武官が……何を言っている!?」

他の廷臣たちも「正気か」「殿下は宮廷を離れられぬ」と口々に叫ぶ。


――その時。


「静まれ」


王妃ザリーナが扉前に立っていた。

ゆるやかに歩み出て、上段に立つ。


「国が揺れているのです。王妃がここに立つことに、何か不都合がありますか」


廷臣たちは言葉を失い、膝を折る。

ザリーナはアルシオンに目を向けた。


「殿下。戦況を見誤られてはなりません。

 今や前線は“誰が出るか”で国の命運が決まります。

 殿下が最も信を置いてきた者こそ、任せるにふさわしいはず」


革甲冑の肩がわずかに震え、サフィアの瞳はまっすぐ主君を映す。


アルシオンは机の縁を掴んだまま沈黙した。


……前線を率いる将は他にもいる。歴戦の将軍も、家柄を誇る貴族も。

だが彼らは家名を掲げ、功績を奪い合う。

勝っても王国の誉れではなく、己の誉れに変えてしまう……。


ひと呼吸置いて、思考は別の方向へ沈む。


俺が行くべきだろう……。

だが陛下に代わって政を執る今の俺は、宮廷を離れられぬ。

政を空ければ、たとえ戦に勝っても国は回らない。


視線の先――サフィアの瞳は、

王太子でも男でもなく、ただ“主”を見ていた。


ならば……俺が前に出られぬ以上、前へ行くべきは――。


やがてアルシオンは静かに顔を上げた。


「俺は陛下に代わり政を執っている。軽々に宮廷を離れることはできぬ」


言葉を切り、サフィアを真っ直ぐに見据える。


「だが――俺の剣はお前だ。サフィア。前線を託す。

 俺の名誉を、その刃で守れ」


ざわめきが波打ち、すぐに呑み込まれた。


サフィアは深く頭を垂れ、震える声で答える。


「必ずや……殿下の御名にかけて」





軍議が終わると、回廊の影にカリムが立っていた。険しい顔でこちらを見る。


「……本当に行くのか、サフィア」


一瞬胸がざわつく。サフィアは足を止めず、胸甲の肩を軽く叩いた。


「殿下が託してくださった。迷う理由はない」


「お前ひとりで背負えるものじゃない。戦は剣だけじゃないんだ」


「……私の力量は、お前が誰より知っているはずだろ」


カリムは一歩近寄り、低く囁く。

「じゃあ俺は、都で殿下を守る。だから……生きて帰れ」


その言葉が妙に重く胸に沈む。サフィアは答えず、歩みを速めた。



――執務室。


サフィアは胸甲のまま扉前で膝を折る。

「……殿下。お呼びと伺いました」


アルシオンは机に肘を突き、しばし見つめ、低く問う。

「……怖くはないのか」


サフィアは瞳を伏せ、すぐに顔を上げた。

「怖いですよ。死ぬのは。……でも、殿下のために戦えるなら、それでいい」


アルシオンは立ち上がり、サフィアの肩に手を置く。

掌の熱が胸甲越しに伝わる。

「……お前を行かせたくはない。本音を言えば、ここにいてほしい」


その声に、サフィアの胸がきゅっと詰まった。

けれど微笑む。

「殿下。そんな顔しないでください」


そっと手を伸ばし、彼の胸に触れた。

「ここに誓います。必ず生きて戻る。殿下の名を守って」


青の瞳が揺れる。次の瞬間、アルシオンは彼女を強く抱きしめた。

「……戻ってこい。必ずだ」


冷たい夜風が帳を揺らす中、額を寄せた呼吸だけが、かろうじて温かさを残していた。





同じ頃、王宮の一室。


ラシードが盃をくゆらせ、口の端を上げる。

「……しかし、驚きましたな。王妃殿下が軍議にまで顔を出されるとは」


ナヴァリスは筆を止め、静かに言った。

「驚くには当たりません。王妃殿下は“序列の乱れ”を誰より嫌われる御方。

 あの場で口を開かれたのも、むしろ当然でしょう」


「ふむ……だが、“あの女”を推したのは?」


「サフィア殿は殿下の寵愛を一身に受けている。戦で功を立てれば、

 “愛する女を正妃に据える”という大義名分が整います」


ナヴァリスの筆先がわずかに揺れる。

「ですが――狙いが透けて見えるのは危ういこと。功績を立てられねば、

 ただの無謀と笑われる」


硯に筆を浸しながら、ナヴァリスは数字を記す。

ラシードは肩をすくめ、盃を揺らした。


「戦の理由など後からいくらでも飾れる。だが世間は“分かりやすい物語”を好む。

 ……いずれにせよ、退屈はしませんな」





城門前に軍鼓が鳴り響く。

槍の穂先が朝日に光り、二輪戦車の列が連なる。


サフィアは馬上に身を預け、戦装束の重みを胸に受け止めた。

振り返ると、政務殿の石段にアルシオンの姿がある。真っ直ぐにこちらを見つめていた。


……殿下。必ず戦果を挙げて戻る。殿下の剣として、そして――正妃として隣に立つために。


王宮の回廊から、王妃ザリーナがこちらを見下ろしていた。

口元には微笑みが浮かんでいる。

その視線が一瞬だけ、冷たく感じられるのは気のせいだろうか。


土埃が白く舞い、軍旗が乾いた音を打つ。

胸に渦巻く不安を押し殺し、サフィアは手綱を強く握った。

号令が列を走り、進軍が始まった。

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