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シウアルマ(転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます)  作者: 福嶋莉佳
二章

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第1話 秤

執務室でラシードが葦筆を置き、静かに言った。


「……サーヒ様は実家へ還送。処罰としては軽いが、表向きはこれで落ち着くでしょうな」


ナヴァリスは印刻板を伏せる。


「後宮から外れた時点で再起は難しい。追放同然です」


「問題は女官長。印章の管理の不備に、侍女監督の怠慢。――それでも在籍のまま……これもまた軽い」


ナヴァリスは肩をすくめた。


「王妃殿下の庇護がある。駒を手放すおつもりはないのでしょう」


「……侍女筋から聞こえる限りでは、烈火のごとくお怒りだとか」


「ええ、外面では。だが“怒り”と“庇い”を両立させるのが王妃殿下らしさ。――表で叱責し、裏で守る」


沈黙が落ち、油皿の火が印刻板の影を壁に揺らした。


「……つまり我らは、制度で締めるしかない」


ラシードの結びに、ナヴァリスが短く頷く。


「静かに、確実に」


ふたりの沈黙が、執務室に冷えた気配を落とした。


ラシードが横目で笑みを寄越した。


「――そういえば、“皆で分担”という話はどうなった? 

財政に政務に娯楽に……立派な座は並んでいたが」


ナヴァリスは首を僅かに振り、淡々と答える。


「見事に形骸化しました。  

政務は文書整理に留まり、財政は印章の管理に収まり、娯楽は場の演出に終始している。  

――制度としての責務を、誰も引き受けておりません」


「つまり、泥をかぶるのは――」


ナヴァリスはわずかに目を細めた。


「本来、記録板に触れるのは女官長か年長の妃。若輩の候補が手を出せば“出過ぎた”と笑われるものです。……ええ、ルナワの姫君お一人です」


「飾りの光は皆で守り、雑務は姫様へ押し付けられた形ですな」


口元に笑みを浮かべながらも、二人の眼差しは冷えたまま、 その先へと、静かに据え置かれていた。





暖かな陽が差し込む書庫で、セレナは記録板の山に埋れながら、心の内でため息をついた。


――どうして、こんなことになったの?


ナヴァリスとも話していたけれど、本来こうした正妃の務めは古株の候補たちが“やりたがる”ものだと思っていた。


けれど現実は違った。


「殿下が選ぶのは、あの武官でしょ? もう決まっているのに、わざわざ泥をかぶる必要はないわ」

彼女たちはそう言わんばかりに、誰も手を伸ばさない。


そしてナヴァリス――あの柔らかな笑顔のまま、

迷いもなく、それらをセレナの机に積み上げてきたのだ。


確かに、言い出したのはセレナだった。

だから責任がないとは言えない。


粘土板を見下ろし、セレナは小さく唸った。

最初はナヴァリスの方が乗り気ではなかったはずなのに。


そのとき、書庫の扉が音を立てて開いた。


「おや……ずいぶん賑やかですな」


低い声に振り返れば、ラシードが腕を組んで立っていた。

薄く笑い、セレナとリサを見やる。


「これはまた……若い姫が、記録板の墓場で殉職なさったのかと」


リサが慌てて姿勢を正した。


「さ、宰相閣下……! い、いえ、セレナ様は殉職など――!」


セレナは苦笑し、葦筆を机に伏せる。


ラシードはゆるりと歩み寄り、記録板の山を覗き込んだ。


「侍女の配分表に、各座の運営報告、ああ……儀式の進行案まで。なるほど、“皆で分担”とは名ばかりだ」


ちらとセレナを見やる。

「見事に、どろ役を一身に引き受けさせられましたな」


乾いた笑いが短く弾んだ。


「励ましに来てくれたわけではないのですね……ただの冷やかしだけですか?」


恨めしそうに視線を送ると、ラシードは唇の端を上げた。


「ひとつ、お伝えしたい事がありましてな」


ラシードは一歩、前に出た。


「あの検問所の仕組み。物資は量と品に応じて賦課、馬や荷車は定額、人と荷は動線を分ける……実際に回せば、渋滞は減り徴収漏れも少ない。なかなかの成果ですよ」


セレナが瞬きをする間に、ラシードの灰色の目に冷えが差した。


「そこに私が通行札と記録を加えた。通過した荷の番号と時刻を残させたのです。すると――面白いものが見えてきた。積んだ荷より“軽くなる”便がある」


セレナは首をかしげ、葦筆を握ったまま見上げた。


「……どういう意味ですか?」


「横領ですよ。積んだ荷と着いた荷を照らせば、抜かれたか否かが一目瞭然ですからな。番号と時刻を残すだけで、横領は格段にしづらくなる」


ラシードは指先で机上の羊皮紙を二度、軽く叩く。


「これまで好き勝手に荷を抜いていた豪族や役人どもは、さぞひやひやしていることでしょう」


「……では、私の発案がお役に立てた、と受け取ってもよろしいでしょうか?」


「ええ。少なくとも、この宰相の机の上では“役立っている”と申し上げて差し支えない」


言葉を曖昧にしたまま、目元だけで微かに笑った。


「外に名が出ることはありません。功績は静かに、しかし確かに積み重なっておりますよ」


リサはぱっと顔を明るくし、嬉しそうにセレナを見上げる。


「セレナ様のお考えが、ちゃんと役に立っているのですね……!」


その横顔につられ、セレナも小さく微笑んだ。


私は、突出した能力も知識もない。

――だからこそ、地道に積み重ねるしかない。


よし、と息を整え、再び目の前の記録板へ視線を落とす。

燭台の火に揺れる刻みの列を追いながら、握った葦筆に静かな力を込めた。





政務室の窓から差す西日が、床に長い影を引いていた。


扉が軽く鳴り、ラシードが入ってきた。目尻だけを笑わせ、灰の眼差しを寄越す。


「殿下。後宮の書庫で、あのルナワの姫君を見かけましたが……記録板の山にすっかり埋もれておられましたぞ」


アルシオンは眉間を押さえ、低く問う。


「……なぜ、彼女がその役を負っている?」


「女官長の手に記録板一式を残せぬと判断したナヴァリス殿が、すっと回収しましてな。

 ……で、何も知らぬ姫君の机に、さりげなく積んでいったわけです」


アルシオンは一度だけ視線を落とし、机上の印章から窓の外へと目を逸らす。

夕日の明るさを受け、アルシオンは唇を引き結んだ。


本来なら、正妃候補が触れる必要などない役目だ。


前の妻もそうだった。

印章だけは欠かさず整え、実務には背を向ける。

形式だけを守り、後宮の采配は空洞のまま――それが自分の婚姻の記憶。


だからこそ、その光景は異質だ。

取るに足らぬはずなのに――なぜか胸に残る。


侍女と肩を並べ、羊皮紙に身を折って向き合う異国の姫。

飾りではなく、必要とあれば泥に手を伸ばす姿。


拳が机上で、音もなく結ばれた。


サフィアは、俺のために剣を抜く女だ。

だが、この娘は……俺の知らぬところで、場の足元を支えている。


胸の奥でざわめきが広がる。


これは正妃の姿に近いのか。

それとも、ただの自己満足か――


口端が、ごくわずかに緩んだ。


「……厄介な娘だ」





書庫は静まり返り、灯心の明かりが机上の用紙を淡く撫でていた。

セレナはまだ、書庫で記録板と格闘していた。


「……こんなに大変だとは思わなかったわ」


アウレナ式の帳は、ルナワと勝手が違う。


油皿の油の受領数、祭祀の香の減り、侍女たちの織物の支給――

前月の残りと今月の受領を合わせ、使った分を差し引く数の締め。


しかも……何故か侍女のシフトまで私が付けさせられてるし。

本来これは、後宮監の仕事でしょう……!?


眉を寄せ、視線を走らせる。


数字を揃えるのは侍女や記録官の役目、正妃の務めは最後に印章を押すだけ――そう聞いてきたのに。


葦筆の穂先を止め、ふっと息を吐く。


「まあ……これもいずれ、私の力になるはず……よね」


隣でリサが写しを取り、小皿の小石を仕訳に合わせて移している。


軋む音に、リサが顔を上げた。

扉の前に、アルシオンが立っていた。


振り返ったセレナは、思わず息を呑んだ。


アルシオンの視線が机上へ落ちた。

散らばる数字と、墨で汚れた指先を、黙って追う。


「……本当に、記録板に埋もれているのか」


リサは慌てて立ち上がり、一礼する。


セレナは扇を胸に当て、静かに頭を下げた。


秋の宴以来、言葉を交わすことはないと思っていた。


「……他の候補たちが避ける務めを、一人で引き受けているのか」


原因は――あなたが寵姫ひとりを贔屓しているから、でしょうに。


喉元まで出かかった言葉を、セレナは飲み込んだ。


「……他の妃候補の方々は、それぞれの“座”をお楽しみです。

 せっかく後宮に活気が出てきたところ、私が水を差したくはありません」


短い間を置いて、視線を落とす。


「それに……これは自分のためにやっていること。

 大変ではありますが、苦ではありません」


アルシオンはその言葉を黙って受け止め、長い睫の影から見据えた。


「……自分のため、か」


掌の上で、指が一度だけ強く折りたたまれる。


「他の候補が避けた務めを“自分のため”と受け止めるか……」


「……ですので、殿下はどうかお気になさらず」


私は自分のためにやっているもん。だから、放っておいて――


そう言い聞かせつつ、どうしても思い出してしまう。

――秋の宴以来、この人が苦手になった。

人を嫌うことなんて、神父に諭されてからなかったのに。

なぜ、この人だけは。


視線を落とし、扇を握り直す。

落ち着いているふりをしながら、胸のざわめきは沈まない。


「……『苦ではない』と口にする者ほど、いちばん苦労しているものだ」


アルシオンはそれだけ残し、視線を外す。

長身の影が踵を返し、夕光の向こうへ消えた。





寝室には、静かな夜気が漂っていた。

サフィアはアルシオンに身を寄せ、沈黙に耐えかねて口を開く。


「……ねえ、アルシオン」


琥珀の瞳がわずかに曇る。


「あの夜――サーヒ様が還送されてからのあなた、少し変わった気がする。

……何を考えているの?」


自分を見る目は、変わらずやさしい。

けれど、ふとした瞬間だけ――視線が深い底へ沈んでいく。


アルシオンは短く息を吐き、サフィアの頭に手を置いた。


「……考えることが多いだけだ。政務や国境の情勢もな」


指先が髪を撫で、視線が柔らかく向く。


「お前を忘れたことはない。

お前がいてくれるから、俺は迷わずにいられる」


――ほんとうに?


胸の奥が、ちくりと痛んだ。

けれど、その感覚を言葉にしない。


「……なら、よかった」


小さく笑い、肩を預ける。


「無理はしないで。あなたは、ひとりで抱え込みすぎるから」


アルシオンは応えず、ただその背を抱き寄せた。


アルシオンがそう言うなら……

それ以上を疑うのは、私の弱さだ。


だから――サフィアは気づかないふりを選んだ。


アルシオンの隣にいると、決めたのだから。





ラシードが巻物を置いた。


「殿下……秋の宴の件ですが、各国の使節が一斉に不満を申し立てております」


「……不満?」


「『正妃の座が不明瞭では、国の姿勢が疑わしい』と。

サフィア殿を妃席に座らせたことが、“情を盾にした統治”と受け取られたようでして」


アルシオンは短く息を吐き、わずかに目を細めた。


「……やはり来たか」


好きな女を正妃に据えるなど、理想にすぎないと分かっているつもりだった。


アルシオンは窓辺へ歩み、沈みゆく陽を仰いだ。

西日に照らされた横顔に、深い影が落ちる。


「……セレナを呼べ」


控えていた近衛が頭を垂れ、回廊へ駆けていく。

夕風が帷を撫で、油皿の炎が小さく脈打った。

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