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シウアルマ(転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます)  作者: 福嶋莉佳
一章

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最終話 月光

午後の訓練場は風がゆるみ、砂を敷き詰めた地面は陽に熱されて、乾いた匂いが漂っていた。


木剣を振るい終えたアルシオンは、額の汗を拭い、軽く息を整える。

「……ふぅ、やっぱりお前を相手にすると気が抜けないな」


視線を上げると、アルシオンがこちらを見て笑っている。

木剣を支えたまま、サフィアは肩で息をしていた。


「殿下こそ……本気を隠すの、ずるいです」


アルシオンは剣を地に突き立て、そのままサフィアの額に手を伸ばして汗を拭った。


「無茶をするな。顔が真っ赤じゃないか」


「れ、練習ですから……!」


慌てて身を引こうとしたが、手首を取られて一瞬で引き寄せられる。


「練習も大事だが――」


距離が一気に詰まり、息がかかるほど近くなる。


「……こうしてると、戦うよりずっと楽しい」


「な、なにを……昼間ですよ!」


真っ赤になって抗議したが、声は思ったより弱かった。


「昼間だろうが夜だろうが、関係ない」


アルシオンが苦笑しながら離すと、サフィアは剣を抱えてごまかすように視線を逸らす。


そのとき、土を蹴る急ぎ足が訓練場へと駆け込む。

若い武官が膝をつき、胸に手を当てて声を張る。


「殿下! 後宮にて急を要する事態が――!」


「何事だ?」


アルシオンの声が低く場を切った。

武官は顔を上げ、言葉を絞る。


「……正妃候補のサーヒ様の周りで、侍女を巡る騒ぎが起きているとの報が……!

 同じく正妃候補のセレナ様も、その場におられます!」


一瞬、空気が張り詰めた。


アルシオンの表情が硬く引き締まる。


「なんだと……!?」


サフィアは木剣を放り出し、鞘ごと腰に手をかけ、すでに一歩を踏み出していた。


「殿下、急ぎましょう!」


訓練場の喧噪は背後に置き去りにし、二人は走った。





「姫様、どうか……お下がりください!」


それでも、セレナは足を止めなかった。

回廊の角を曲がった、そのとき――。


「姫様!」


振り返ると、黒革の軍衣をまとったサフィアが、剣を片手に駆けてきていた。


「あなたは……」


セレナが息を呑むより早く、サフィアはその前に立つ。

そして、一歩前へ出た。


「報告を聞きました。――ここから先は、私が前に立ちます。

 殿下の名誉を、決して汚させはいたしません」


セレナは一瞬だけ目を見開き、すぐに頷く。

「……お願いします」


二人は並んで駆け出した。

人々のざわめきが近づくにつれ、張り詰めた気配が肌を刺す。


やがて人だかりの奥から、侍女の悲鳴がかすかに届いた。

サフィアは剣を握り直し、

セレナは胸に扇を抱きしめる。


騒ぎの渦へと踏み込んでいった。





開け放たれた部屋の前に人垣ができていた。

悲鳴が漏れ、侍女たちが顔を強ばらせて中をのぞき込んでいる。


その視線の先――床に押し倒された侍女の上に、サーヒが馬乗りになっていた。


「告げ口をする下衆が――後宮に要るものですか!」


鞭が振り下ろされ、鋭い音が響く。


「サーヒ様……どうか……!」


「黙れ! 裏切り者は誰でも同じ! 叩き出す前に思い知らせてやる!」


再び鞭を振り上げ、打ち据えようとするその瞬間――。


「――やめなさい!」


セレナの声が、鋭く部屋に響いた。


サーヒの手が宙で止まり、周囲の侍女たちが一斉に息を呑んだ。


ゆっくりと振り返ったその瞳が、おおきく揺れる。


「……何ですって?」


押さえつけていた侍女を突き放し、サーヒは立ち上がった。

唇に、冷たい笑みを浮かべて。


「ルナワの姫風情が、この後宮の秩序に口を挟むと?」


セレナは一歩踏み出した。


その瞳を見た瞬間、

サーヒの足が、無意識に止まる。


――かつて、異形を退けたときと同じ眼。


「あなたが秩序を語るの?――恥を知りなさい」


しんと、静まり返った。


サーヒの足が、半歩引いた。 


「……言ってくれるじゃないの、異国の姫が」


しかし、その声は震えており、周囲の侍女たちは小さく息を呑んだ。


「下がれ」


背後から、サフィアが現れた。


セレナの前に立ち、片腕をわずかに広げて庇う。


「姫様に刃を向けるような真似――

殿下の名誉を汚すどころか、後宮そのものを踏みにじる行いだ」


琥珀色の瞳が、サーヒを射抜く。


「これ以上は、私が許さない」


「っ……」


サーヒの瞳が、わずかに揺れた。


だが、次の瞬間には顔を歪めて叫んだ。


「何よあなた……!

武官風情が私に指図するつもり!?

殿下に取り入っているだけの小娘が――!」

 

鞭が振り上げられる。


だが――


鞭が振り下ろされるより早く、

サフィアの身体が一歩、間合いに踏み込んだ。


乾いた音は、鳴らない。


サーヒの肘を掴む指が、ぴたりと止まっていた。


「……もうよせ」


低く、抑えた声。


「殿下の御名を語り、後宮を穢すのはやめろ」


「……っ、触るな!

殿下に抱かれてるだけの女が、何を気取って……!」


言葉が途中で途切れ、声が裏返る。


その二人の影から、セレナが静かに歩み出た。

床に崩れた侍女の前に膝をつき、そっと肩を抱く。


「……遅くなって、ごめんね」


その声に、張り詰めていたものがほどけ、

侍女は嗚咽を漏らし、セレナの衣に縋りついた。


「――そこまでだ」


鋭い声が、石壁に反響した。


兵を従えたアルシオンが進み出る。


「……殿下!」


サーヒが顔色を変え、慌てて裾を整えようとする。

だが、その動きはサフィアに掴まれた腕によって止められていた。


兵たちは即座に左右へ散り、場を囲む。


サフィアはアルシオンの姿を認めると、掴んでいた腕を放し、一歩下がって姿勢を正した。


重い足音とともに歩み出たアルシオンの視線は、

床に崩れた侍女と、その身を庇うように寄り添うセレナへ向けられる。

そして、ゆっくりと――サーヒへと移った。


「正妃候補が、侍女を鞭打つとは」


低く落ちた声は、場の温度を一段落とした。


「これが、後宮の品格か」


サーヒは言葉を失い、肩を震わせていた。


その間も、セレナは侍女の背に手を添えたまま、視線を逸らさなかった。


アルシオンの拳が、無意識に握られる。


――サフィアは、俺のために剣を取る。

だが、この娘は……


静かに息を吐き、アルシオンは告げた。


「……侍女を立たせてやれ」


その声は、兵だけでなく――セレナにも向けられていた。


「ここからは、私が裁く」


アルシオンは一歩、前へ出た。

そのまま進みながらも、

視界の端に映る光景から、どうしても目を逸らせなかった。


怒りで硬くなっていた拳が、ゆっくりと力を緩めていく。


その熱は、もはやサーヒだけに向けられたものではなかった。





執務室に、夜の静けさと冷たい空気が漂っていた。


長卓の上には木板と問題の小瓶が置かれ、燭火だけが、木板の印影を浮かび上がらせていた。


ナヴァリスが姿勢を正し、口を開いた。


「……まずご報告申し上げます。件の小瓶は後宮搬入の木板に記録があり、女官長の印が押されておりました。

 ただし本人は手違いで印を押した可能性があると主張しており、関与を断定できません」


アルシオンの眉が険しく寄る。


「……手違いで毒物を通した、だと」


「はい、殿下。管理責任は重大ですが、この段階で黒幕と断ずるのは尚早かと。

 加えて、女官長が過去の侍女暴行事案を把握しながら、正式な報告を怠っていた記録も確認しております」


ナヴァリスは、淡々と続けた。


「女官長につきましては、王妃殿下にご報告を上げております。

 本日の件も含め、事実関係はすでに――」


アルシオンは言葉を発さず、ただ視線だけを向けた。


「……ただし、処遇についてはまだ結論は出ておりません。

 現在は、後宮の内規に基づく“当面の措置”のみです」


そこでラシードが筆を置き、視線を上げる。


「しかし、サーヒ様本人については別筋でございますな」


ナヴァリスが深く頷いた。


「……複数の侍女が、彼女が自ら手を挙げて暴行する場面を目撃しております。

 後宮の規律を破った罪は、明白でございます」


ラシードは静かに言葉を継いだ。


「毒の件はまだ霧の中ですが、暴行の咎だけでも後宮に留め置く理由はございません。

 ……以前にも同様の疑いがございましたな。

 今回は目撃証言が揃っております。

 しかるべき処置が必要でしょう」


重苦しい沈黙が落ちた。


やがてアルシオンは視線を上げ、言い放った。


「――サーヒは追放だ」


ナヴァリスは声を落とし、黒い瞳を細めた。


「ただし殿下。サーヒ様は“王妃派”に名を連ねる正妃候補。

 その処分は一族だけでなく、王妃殿下ご自身の立場にも響きましょう」


短い沈黙ののち、ナヴァリスは言葉を継ぐ。


「ゆえに即刻の放逐ではなく、“謹慎ののちに実家へ還す”という形が妥当かと。

 外聞を保ちつつ、秩序を守る道でございます」


ラシードが腕を組み、静かに添える。


「処遇の理は二つ。

 厳罰か、外聞を保った追放か――

 いずれも殿下の威信に関わります」


アルシオンの青い瞳が、わずかに細められた。


「ならば――後者だ。謹慎を命じ、然るのち実家へ還せ。

 二度と後宮へ戻すな」


ナヴァリスが深く頭を垂れる。


「御意」


ラシードは灰色の瞳を細め、燭火に揺れる影を見つめながら筆を走らせた。


やがて記録束を閉じ、低く息を吐いた。


「あとはセレナ様へ、経緯を――」


ナヴァリスが一歩、前へ出る。


「では私が責を負い、後宮の内規としてセレナ様に申し上げましょうか」


そのとき、アルシオンの瞳が鋭く動いた。


「いや……俺が行く」


二人がわずかに目を見張る。


「殿下自ら、ですか」


ラシードが一度だけ瞬いた。


アルシオンは頷き、椅子から立ち上がる。


「セレナは己が侍女を守った。

 その働きを、後宮監の口から伝えるのでは違う。

 語るなら――俺の言葉でなければならない」


その言葉に、室内が一瞬、静まり返った。

ナヴァリスが深く頭を垂れる。


「……承知いたしました」


アルシオンは外套を羽織り、振り返らぬまま部屋を後にした。


サーヒの件は、俺の言葉で伝えねばならない。


そう刻み、歩みを止めぬまま、回廊を進んだ。


そのとき。


「……殿下?」


前方から足音が近づき、黒髪を揺らしたサフィアが現れた。

訓練帰りの気配を残し、剣を背に負っている。


「サフィアか」


「どちらへ……」


「セレナのもとへ行く。サーヒの件を伝える」


「でしたら、私も――」


「いや」


アルシオンは静かに首を振った。


「これは俺の責だ。俺の言葉で伝える。

 お前には……お前の役目がある」


一瞬の沈黙ののち、サフィアは背筋を伸ばし、深く頭を垂れた。


「……承知しました」


アルシオンは頷き、そのまま歩みを進めた。





医務室の奥に設えられた小さな静養室には、

煎じた香草の、かすかな匂いが漂っていた。


厚手の織布を掛けられた侍女は、

まだ怯えの名残を瞳に宿したまま、

セレナの手を強く握りしめている。


その細い指を包み込みながら、

セレナは声を落として微笑んだ。


「眠れないなら……お話ししようか?」


小さな頷きを受け、

セレナは視線を少し遠くへ投げ、

ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。


「昔、とても小さな国に、

継母と姉たちに仕えて暮らす姫がいたそうです。

灰にまみれて働いていたけれど……

ただひとつ、心だけは偽らなかった」


声は夜更けの空気へと溶けていく。


「――いつか光が降りてくると、

そう信じていたの」


侍女の呼吸が、次第に穏やかになっていく。


「やがて姫は舞踏会で王子に出会います。

灰に隠れていた自分を、

ひとりの“人”として見つけてもらえたのです」


そこで言葉を切り、

セレナはほんのわずか、口元を緩めた。


私は、お姫様じゃなかった。

けど、夢を見るくらいは許されるよね。


侍女が眠りに落ちたのを確かめ、

そっと掛け布を整える。


その様子を、

アルシオンは扉の陰から見ていた。


眠る侍女に寄り添い、

何も求めず、ただ傍にいる姿。


胸の奥に、名を持たない感情が沈む。


……なぜだ。


彼女はただ、

誰かを落ち着かせているだけだ。

それだけなのに、

視線を逸らすことができない。


理由を探そうとして、

言葉にならないまま、思考が止まる。


アルシオンは扉の外で立ち尽くしながら、

セレナという存在を、

初めて正妃候補ではなく、

ひとりの人として意識していた。

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