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シウアルマ(転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます)  作者: 福嶋莉佳
一章

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第14話 余燼

夜の冷気が石畳を伝い、回廊に満ちる。

笛や太鼓の音が、耳の奥に余韻のように残っていた。


サフィアは胸の奥に熱を抱えたまま、早足で歩いていた。


殿下……きっと今夜は、私を呼んでくださる。


角を曲がった瞬間、薄明かりの中に人影が立っていた。

揺れる燭火に照らされたのは、セレナだった。


足音が近づき、サフィアは思わず立ち止まる。


セレナが立ち止まり、サフィアを見据えた。

視線が、言葉を介さず静かに絡んだ。


「……あなたに、お尋ねしたいことがあったのです」


少し間を置き、彼女は扇を胸に抱くようにして続けた。

「今宵の宴での振る舞い――

 あれは、殿下の正妃になる覚悟をもっての行いでいらしたのですね」


サフィアは、一瞬も目を逸らさない。


「……はい」


セレナはそっと瞳を伏せ、扇の縁を細い指でなぞりながら、静かに言葉を落とす。

「……貴女は、国や民の事をどうお考えですか」


夜気が二人の衣を、かすかに揺らした。


サフィアは一瞬、息を詰めた。

それでも逃げずに、セレナを見返す。


「……私には、政のことはまだ未熟でございます。

 民や国のことも、殿下や賢き方々に学ばねばならぬことばかりです」


正直に吐き出したその声は、崩れなかった。


「けれど――」


小さく息を呑み、胸に手を当てる。


「殿下が疲れて戻られるとき、傷ついて帰られるとき……

 寄り添うのは、誰かひとりでなければなりません。

 その役目だけは、私にしか果たせないのだと……そう信じております」


瞳の奥が、わずかに潤んでいた。


「命を懸けて殿下の隣にいること。

 それが私の全てです。正妃の価値になりませんか」


黒髪が夜風に揺れる。


セレナの胸に、かつての夜の光景が閃く。


慕っていた呪術師は、取り憑かれた少女を救えぬまま血に沈んだ。

泣き叫ぶ少女を抱きとめ、嗚咽を呑み込みながら悪魔を祓ったとき――


――守れるのは、私しか残っていない。


その瞬間、自分が背負わねばならぬものの重みを知った。


「……殿下の隣に立つということは、

 殿下が背負う重みもまた、共に受け止めることになるはずです」


サフィアは、わずかに顎を引いた。 


「……どんな務めが待ち受けていようと、どんなに険しい道であっても……

 私は殿下についていきます。

 殿下の隣にいるために……そのためなら、何も惜しくはありません」


その眩しさに、セレナの心の奥がふと揺れた。


「……そうですか」


短く落とした声は、静かに回廊へ溶けていく。


一礼して背を翻すその足取りは、最後まで何ひとつ乱れてはいなかった。





燭台の炎の中にアルシオンの姿を見つけるなり、

サフィアはためらいもなく駆け寄った。


「アルシオン……!」


彼が振り返るより早く、その胸に飛び込む。張りつめていた心が一気にほどけていった。


「……サフィア」


「さっき……妃席に呼ばれたとき、胸が張り裂けそうだった。

みんなの前で、アルシオンの隣が私の場所だって示してくれたんだもの……」


アルシオンは低く笑った。

「当然だ、俺はもう迷わない。お前が隣にいる。それだけでいい」


「……ほんとに? 私でいいの?」


潤んだ瞳で、そっと見上げる。


「他に誰がいる。俺が欲しいのはお前だけだ」


彼女の髪に口づけを落とす。

胸の奥が熱くなり、サフィアの声が震えた。


「……アルシオン……私ね、あの場で全部わかった。

何があっても、何を言われても、私はアルシオンのものだって。

……だから、もう放さないで」


「放すわけがない」


顔を上げさせ、その唇を深く奪う。

燭火の揺らめきに包まれ、世界は二人分だけの熱を宿した。





夜更けの後宮、月の光が細く差し込んでいる。


セレナの居室には香炉の煙がほのかに漂い、

燭火が低く揺れていた。


リサは机に葦筆を片づけ、

香草を浸した温い葡萄酒を、小さな陶杯に注ぎ、盆に載せる。


「セレナ様……お疲れでございますね」


セレナは窓辺に立ち、月明かりを見つめている。

白い指先が帯の端をいじり、小さく吐息を零した。


やがて視線を落とし、部屋の静けさに向けてぽつりと呟く。


「……私たち、正妃候補って……何の意味があるんだろうね」


リサは息を呑んだ。


セレナは杯に口をつけぬまま、指で縁をなぞった。


「……ここに来てからの生活で、もう分かっていたつもりだったのに」


帯の端をぎゅっと握る。


「いざ……どうでもいい存在として扱われると、

こんなにも……つらいものなのね」


香炉の煙だけが、細く立ち昇っていた。


リサは杯をそっと卓に置いた。

膝の上で指先が震え、唇がわずかに動く。


「……セレナ様」


呼びかける声は小さいが、確かだった。


「私……侍女ですから、難しいことは分かりません。

けれど……どうでもいい存在なんて、そんなはずございません」


潤んだ瞳で、まっすぐに見上げる。


「セレナ様は……私にとって、光でございます」


胸の前で指を強く組み、言葉を紡ぐ。


「たとえ、どれほどお辛くても……

私にとってセレナ様は、意味のあるお方です。

……大切なお方なのです」


声は震え、最後は俯いた。

背筋だけは、セレナへと真っ直ぐに向けられていた。


セレナは瞼を閉じてから、ゆっくりと開く。

滲んだ涙は頬を濡らす前に、かすかな笑みに変わった。


「……そっか」


指先を胸元に寄せ、瞳の奥に柔らかな灯が宿る。


「私の後宮での日々は……無意味なんかじゃなかったんだね」


震えながらも、はっきりとした声で。


「……ありがとう、リサ」


涙を含んだ笑顔が、燭火に照らされる。


静かな部屋に、その温もりが、夜の冷えを静かに押し返していった。





翌朝の政務室には、すでに静かな緊張が満ちていた。

積み上げられた羊皮紙の束の向こうで、ラシードは淡々と葦筆を走らせている。


「……殿下」


呼ばれて顔を上げると、宰相はいつもの柔らかな微笑を浮かべた。


「昨夜のご振る舞い、実に見事でしたな。

――広間が一斉にざわめいたのは、なかなかの見物でございました」


アルシオンは机に肘をつき、視線を外さずに応じる。

「見物とは軽い。俺は己の心を示しただけだ」


「心、ですか」


ラシードは書簡を整えながら、曖昧に繰り返した。

「王座に近いお方が、公衆の面前で“心”を優先なさる。

諸侯や老臣が、どう受け止めるか――ご想像は?」


「どう受け止めようと、俺は迷わない。

 サフィアを隣に置く。それだけだ」


「ええ。殿下のお心が揺らがぬことは、よく伝わっております。しかし……」


ラシードの筆先が止まる。


「政は心だけで動くものではありません。

戦も、租税も、人心も――昨夜の一手が盤をどう揺らすか。

それを見極めるのも、王の務めにございます」


言葉を区切り、声を一段落とす。


「愛を貫かれるのは結構。

……ですが、お忘れなきよう。

王は、ただ一人に愛されて成り立つものではありません」


アルシオンは深く息を吸い、机に置いた拳を静かに握り込んだ。

「ラシード。お前の言うことは正しい。

王は、一人の女に愛されるだけで務まるものじゃない。

だが――俺はもう二度と嘘をつかない」


言葉が、低く震える。


「心を偽って選んだ結婚が、どうなったか。

俺は骨身に染みている。

心を偽る王に従う民などおらん。

……ならば、そんな王座に何の価値がある」


ラシードは、言葉を挟まずに聞いていた。


「盤が揺らぐなら、揺らげばいい。

俺が支える。俺が導く。

その隣にサフィアがいれば、それでいい」


その言葉に、ラシードの筆先がぴたりと止まる。


ラシードは灰色の瞳を細め、無言のままアルシオンを見据えた。


「……殿下。

盲目は、ときに剣よりも鋭い刃となりますぞ」


声は穏やかなままだった。


「愛に突き動かされるお心、その尊さは疑いようもありません。

しかし――その熱が視界を曇らせれば、

敵は必ず、その隙を突きましょう」


燭台の炎が揺れ、影が伸びる。

宰相の瞳に、冷ややかな光が宿った。


「……お忘れなきよう。

殿下は盤の駒ではなく、盤そのもの。

倒れれば、国そのものが割れます」



◆ 



政務室を出たあと、アルシオンは回廊を歩いていた。

冷たい石の床に靴音が反響し、燭台の灯が長い影を落とす。

思考の底にはまだ、宰相の言葉が重く沈んでいた。


角を曲がった先、侍女が一礼して下がるのが見える。

その奥、香の煙をまとって立っていたのは――ザリーナ王妃だった。


「――殿下、少しお時間をいただけますか」


低く抑えた声。

それだけで、回廊の空気が張り詰める。

アルシオンは足を止め、軽く頭を垂れた。


「昨夜の件、もうご説明は要しません」


ザリーナは扇をゆるやかに動かした。


「妃席は、王家の象徴。

 どれほど心が動こうと、あの場で“形”を破られたこと――

 それは、王妃として看過できません」


アルシオンは言葉を探すように息を吸った。

「……王妃、私は――」


「――ただ」


重ねるように、ザリーナは言葉を置いた。


「殿下がようやく“誰か”を見たこと。

 それだけは……王妃として、そして母として、嬉しく思っております」


アルシオンは短く息を呑み、深く一礼した。


ザリーナはそれ以上何も言わず、背を向けて歩き出した。

あとに残ったのは、微かな香だけだった。


――叱られて、慰められたのか。


胸の奥でそう呟き、アルシオンは唇を歪める。


燭火が揺れ、回廊には再び静寂だけが残った。





訓練場裏を抜ける涼しい風が、砂と鉄の匂いを運んでいた。

剣を手入れしていたサフィアの背に、重い声が落ちる。


「……お前、正気か」


振り返れば、腕を組んだカリムが少し離れた場所に立っていた。


「正気って?」


サフィアは小さく首を傾げただけで、手を止めない。


「惚けるな。殿下の隣、妃席に座ったろう。……何百もの目の前でだ」


サフィアの手がわずかに止まり、やがて剣を置いて振り返った。


「殿下が呼んでくださった。それがすべてだ」


「……だからって、あれは軽くない」


カリムが一歩、距離を詰める。


「正妃の座を望んでいると、誰だって受け取る。お前にその覚悟があるのか」


サフィアは短く息を吐き、拳を握りしめた。


「ある。私は退かない。殿下の隣に立つって、もう決めたから」


「……だったらなおさら、気をつけろ」


声が低く落ちた。


「殿下を守るつもりで動いて、お前自身が火種になったら本末転倒だ」


「わかってる」


サフィアの声は低かった。


「でも……殿下が私を選んでくださったのは事実だ。それを信じて進む。それだけ」


カリムは深く息を吐き、目を細める。


「……止めても無駄か」


「止められても、退かない」


剣を握る指に、はっきりと力がこもる。


琥珀色の瞳が彼女を捉え、やがて、ほんのわずかに和らいだ。


「……ならせめて、泣くなよ」


低く、噛みしめるように続ける。


「お前が泣くのは……見たくない」


サフィアは口元に、かすかな笑みを浮かべた。


「泣かない。私は最後まで、殿下と一緒にいる」


風が吹き抜け、訓練場脇の垂れ幕がはためく。


二人の視線は交わらなかった。

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