第13話 装飾
後宮に「座」が置かれてから、数日が経った。
最初は皆、半信半疑だった。
「どうせ形だけで終わる」
「すぐに元に戻る」
けれど――始まってみれば、意外なほど早く受け入れられていった。
レイラ様は当然のように財政座を選び、
後宮内の支出と物資の管理を担う役に就いた。
印章を捺す所作だけは誰よりも堂々としており、
その姿に異を唱える者はいなかった。
アシェラ様は娯楽座を率い、
宴や舞、楽を取り仕切る立場となった。
女官を従え、場を整え、
自ら喝采を浴びる仕掛けを考えることに余念がない。
後宮の華は、確かに彼女の座に集まっていた。
アナヒータ様は政務座を静かにまとめ、
文書の整理や伝達を担いながら、
書記女官たちから自然と頼られる存在になっていた。
女官たちは配属や物資の調整という役目を得て、
以前よりも存在感を増していった。
侍女たちも分担が明確になったことで、
むしろ動きやすくなったようだ。
広間や廊下の気配が、少しずつ引き締まっていく。
その中で、リサが胸に手を当て、
弾むように囁いた。
「セレナ様! 草木座に入れていただけることになったんです。
香草を調合して、侍女の疲れを和らげられたらって……
思うと、胸が熱くなって……!」
頬を紅潮させた瞳は、
以前よりもずっと強く輝いていた。
私は「教育座」と呼ばれる、
ごく小さな一団を持つことになった。
新しく配属された侍女たちに読み書きや礼儀を教え、
ときに悩みを聞き、
ときに自分自身も学び直す。
少しずつ、笑顔を見せてくれる侍女が増えていく。
――やっと後宮で、
自分の居場所を見つけられた気がした。
そんな活気が満ち始めた頃、
私たちは突きつけられる。
存在意義を。
あの二人によって。
◆
王宮の大広間では、戦勝と秋の収穫を祝う饗宴が開かれていた。
誰かの話し声が、耳に入る。
「今年も無事、宴が開けてよかったですな」
「戦勝が続いている。兵の士気も上がりましょう」
無数の燭台に炎が揺れ、漆喰の壁や彩色された梁を照らし出す。
葡萄酒の甘い匂いと、焼いた肉の脂の香りが渦を巻く。
杯が打ち鳴らされ、金具の鈴のような音が散った。
女官長の声が、広間を貫く。
「妃席は欠。客人は左翼列へ」
ざわめきが走る。
私は言われるまま鎧を脱ぎ、端の席へと向かう。
剣を外し、肩を落とした自分は、ただの一人の女――
それで十分だったはずだ。少なくとも、今までは。
壇上で立ち上がる殿下の姿を見た瞬間、胸の奥が、一気に熱を帯びた。
短く放たれた声が、広間のざわめきを断ち切る。
「――サフィア。前へ」
名を呼ばれた刹那、心臓が跳ねた。
数百の視線が一斉に突き刺さる。
――疑ったことなど、ない。
ただ、この場で示されるとは思わなかった。
けれど。
青い瞳がただ真っ直ぐに私を射抜いた瞬間、他のすべては霞んだ。
壇上までの歩みは遠いはずなのに、殿下のもとへ吸い寄せられる。
鎖飾りが微かに鳴る音だけが、胸の高鳴りと重なって鮮明に響いた。
「先日の働き、確かに見た。――今宵に限り、ここに座れ」
差し示されたのは、空いたままの妃席。
老臣の眉が吊り上がり、女たちの扇が一斉に震える。
ざわめきが波となって押し寄せる――はずなのに。
だが、私には何も届かない。
視界にあるのは、殿下の青い瞳だけだった。
妃席――王の隣。
正妃にしか許されぬ場所を、私に示した。
――ここが、私の席。
抑えきれず、笑みがこぼれる。
広間がどう揺れようと、この瞬間は二人の世界だ。
迷いなどなく、私は妃席へと歩み、腰を下ろした。
見ていてください。
私は殿下の隣で、最後まで並び立ちます。
◆
大広間の空気が、遅れて波打つ。
杯が倒れ、扇が滑り落ち、囁きが折り重なった。
視線の先で、サフィアは恍惚の笑みを浮かべ、妃席に在った。
鎧を脱いだ肩先に、蝋燭の光が降りている。
アルシオンの青い瞳は、彼女だけを捉えていた。
――その光景を、真正面から見せつけられる。
殿下……いったい、何をお考えなの?
セレナは扇を握りしめ、その只中で身動きもできず座っていた。
レイラは頬を引きつらせて杯を握り、
アシェラは紅を引いた口元の笑みを凍りつかせたまま。
アナヒータはひと呼吸、静かに瞼を伏せた。
侍女や女官たちは顔を伏せ、誰も口を開かない。
寄り添う二人の距離が、胸を刺す。
言葉にならないざわめきだけが、
広間に広がっていった。
◆
回廊を進む。靴音だけが冷たく響いた。
妃席に座る彼女の姿が、目に焼きつく。
――なのに。
異国の姫の眼差しが、まだ残っていた。
拳に力が籠もる。
歩調がわずかに速まる。
惑うな。
選ぶのは一人――それだけだ。
思考を断ち切った、その先に――
回廊の奥で、人影を認める。
立っていたのは、セレナだった。
◆
「……殿下」
静けさに溶けるような声だった。
アルシオンの瞳が、わずかに揺れる。
「……セレナか」
燭の火に透ける影の中、彼女は扇を胸に抱き、立っている。
アルシオンは背筋を正し、声を落とした。
「宴の席では……居心地が悪かったであろう」
「殿下が誰を寵愛されても、それは殿下のお心次第。
誰も不満は申し上げません」
セレナは、扇を握り直した。
「ですが……殿下にとって、私たちは何なのでしょうか。
感情を持たぬ飾り物として、並べられているだけなのですか?」
アルシオンの眉根がわずかに寄り、視線がセレナを射抜いた。
短く息を吸い、低く応える。
「……飾りなどと思ったことはない。
だが、己の心に従うのもまた偽れぬ。
――あれは、俺の答えだ」
セレナは扇を胸に抱いたまま、静かに瞼を伏せる。
……もう二度と、期待などしないと決めていたのに。
胸の奥が、ひやりと冷えていく。
信じたかった自分が、いちばん痛かった。
「……果たして、あの場で示す必要があったのでしょうか」
アルシオンは一瞬、沈黙する。
やがて、低く言葉を絞り出した。
「……あの場で示さねば、
彼女は……守れぬと思ったのだ」
……やっぱり、そう……
セレナの瞼が、わずかに震える。
冷たい痛みが、静かに突き刺さった。
セレナは顔を上げ、最後の言葉を置く。
「……ですが、どうかお忘れなきよう。
僅かではあっても……殿下の幸せを、心から祈っていた者が、
この後宮にはいたのです。
それだけは……どうか、ご理解くださいませ」
深く一礼し、身を翻す。
衣擦れの音が、小さく石床を掠めた。
アルシオンは思わず一歩、踏み出しかける。
だが足は縫いとめられたように動かず、
ただ、遠ざかる背を見送るしかなかった。
燭台の炎が揺れ、二人の影を切り離すように壁に滲んだ。
◆
セレナの影が、回廊の先へと消えていく。
……祈っていた者、か。
アルシオンは拳を握り、
胸の奥に残った痛みを、強引に押し込めた。
顔を前に向ける。
愛した者を隣に置く。それ以外に道はない。
そう言い聞かせるように、歩き出す。
心に刺さった違和感から、目を逸らしたまま。




