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シウアルマ(転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます)  作者: 福嶋莉佳
一章

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第11話 兆

「――いつまで“特別”でいられるつもり?」


回廊沿いの天幕がかすかに揺れる。

幕の下、彫金の施された金杯を手に、レイラがゆったりと腰を下ろしている。


柔らかな口調に、棘が混じる。

甘ったるい香料の匂いが、鉄と血を知るサフィアの鼻を刺した。


腹の底に、静かに火が灯る。


「……殿下の隣に立ち続けるだけです」


揺るがぬ低い声。

杯の縁に触れていたレイラの指が止まった。


「――無理でしょう」


彼女は軽く肩をすくめる。


「身分が違いますもの。それに私たちは、妃候補としての教育を受けてきたのよ」


私が戦場で積み上げてきたものより価値があるのか。


「資格は、命を懸けて勝ち取るものだと、私は学びました」


「敬意も払えない人間に、施しを求めるつもり?」


レイラは楽しげに杯を傾ける。


「あなた、自分の立場が見えていないのね」


剣を交えた戦友達以上の敬意があるというなら――見せてみろ。


「殿下をお守りするために剣を抜く。

それが、私の自覚でございます」


レイラは、杯を指で回す。


「……身分も資格もないあなたが、ずいぶん偉そうね。

あなたなんて、陛下の寵愛だけで成り立っている存在でしょう?」


殿下は私を呼び、命を預けた。


「寵愛だけで守れる命など、この世にはございません」


天幕の影がふっと揺れ、空気がひやりと頬を撫でた。

レイラは低く言う。


「あなたがいることで、後宮にどんな影響が出ているか、分かっているの?」


知っている。

それでも退かない。


「殿下に不利益な影響は、与えません」


レイラは扇をひらりと揺らし、吐き捨てるように言った。


「……見て分からないのね。

あなたに、殿下の隣はふさわしくないわ」


ふさわしいかどうかは、あなたが決めることじゃない。


「殿下の“隣”は――私の持ち場です」


視線が絡み合い、どちらも一歩も退かない。

胸の奥で、戦場と同じ鼓動が高鳴っていた。


逃げない。

選ばれる覚悟は、もうある。





回廊を渡る途中、ふと言い争う声が耳に届いた。


薄布越しの影の下で、レイラとサフィアが向かい合っている。


「……今までなら、受け流して終わっていたはずだが」


これまでのサフィアは、

後宮の女たちの棘を、ただ静かに受け止めてきた。


それは意図的というより――

この場所のやり取りを、不得手としているからだろう。

戦場で刃を交えるときの鋭さを、

後宮ではどう使えばいいのか、分かっていない。


だからこそ、無駄に剣を抜かない。

波を立てぬための、実に彼女らしい判断だと、そう思っていた。


だが今、あの女は引かなかった。


冷ややかな眼差しで、

真正面からレイラに言葉を返している。


声は抑えている。

だが、その言葉の端々には、

研ぎ澄まされた刃の気配が滲んでいた。


……ようやく、剣を抜いたか。


背中の奥が、じわりと熱を帯びた。


正妃となる者に必要なのは、

剣の腕ではない。


あの場を制する、

たった一言の強さだ。


洗練されていなくてもいい。

立場を完璧に理解していなくても構わない。


それでも、

一歩踏み出せる胆力があるなら、

他は後からいくらでも整えられる。


「後宮で波を立てることを恐れぬ女……

俺には、そのくらいの女が必要だ」


サフィアはレイラから視線を外さぬまま、

一瞬だけ、顎を引いた。


その横顔に、

アルシオンは見た――

剣を抜く直前、あの一瞬の静けさを。


「やはり、俺の選びは間違っていない」


アルシオンはその場を去り、

回廊の奥へと歩み出した。


白い日差しに照らされた背は、

勝利を確信した将のように、

揺るぎなく伸びていた。


回廊を曲がった先、

ひとつの影があった。


金糸を織り込んだ裾が淡く輝き、

長い髪が、風にかすかに揺れる。


セレナが、まっすぐにこちらを見ていた。


……あ。


思わず足が止まる。


彼女は深々と一礼し、そのまま頭を下げた。

その瞬間――


「……探していた」


自分でも意図しない声が、先に零れていた。


足音が、互いの間で一瞬止まった。


セレナは顔を上げ、

微かに首を傾げる。


「……私を、ですか」


「そうだ。話したいことがある」


その時――

回廊の奥から、侍従が近づく。


「殿下。至急お伝えすべきことが」


アルシオンは短く応えた。


「……わかった」


再びセレナに向けた瞳は、僅かに揺れていた。


「今はいい。後で話そう」


すれ違う瞬間、

肩先がかすかに触れる。


花草のほのかな香りと、

言葉にならなかった沈黙だけが、

背に残った。


――俺は、何を言おうとしていた……?


答えの見えぬ問いが、じわりと広がる。


サフィアを選ぶ確信は、揺るがない。


それでも――

セレナの瞳に宿っていた静かな強さが、

理性の奥に、かすかな影を落としていた。





アルシオンの影が回廊の奥へ消えるまで、セレナは立ち止まっていた。


「……何だったの……」


革靴の音が、石床を打ちながら遠ざかっていく。

微かなざわめきだけが、耳に残った。


裾を整え、リサを促して歩き出した。


その時――


奥の扉が静かに開いた。


濃紺の礼服を纏った長身の男。

ナヴァリス・エフェンディ。


切れ長の眼差しが、静かにこちらを射抜く。


「……姫様」


セレナは裾を持ち、礼をした。


「ごきげんよう、エフェンディ様」


リサも深く頭を垂れる。


ナヴァリスは立ち止まらずに告げた。


「……直訴の件――

侍女を庇われた勇気、後宮で噂になっております」


セレナは歩きながら、首を傾ける。


「……そうなのですか」


意にも介さぬ様子に、リサは思わず口元を緩めた。


「……ご存じないと? 広まっておりますのに」


「目立つつもりなんて、なかったのですけど……」


ナヴァリスの瞳が細められた。


「行動は評判を伴うもの。後宮とはそういう場。

均衡を乱す一手も、時に正す力となる」


「そうですか……」


歩きながら、セレナは考えた。


そもそも、誰にも役目がないから、

変化が、生まれないだけなのではないだろうか。


後宮にいる誰もが、暇を持て余している。

かつて担うはずだった仕事を奪われ、

形だけの席に押し込められているからだ。


その上で満足している人も、

きっといるのだろうけれど。


――人の与える務めを待つのではなく、

 自ら務めを作り出すことです。


ラシードの言葉が頭の中で蘇り、セレナは思わず、扇をきゅっと握りしめる。


歩みを緩めた視界の端に、ナヴァリス・エフェンディが目に止まる。


この人に 「お仕事をください」なんて聞いたら、また目立つわよね……。


ためらいがよぎる。  


……あれ、そういえば。


セレナは瞬きをした。


「……ナヴァリス様」


柔らかい声で問う。

「今の後宮では――“務め”を誰が担っているのですか?」


「……務め、ですか」


低い声が回廊に漂う。


「侍女は衣を整え、女官は記録と配膳を司り、

妃候補は式や宴に出座する。

――最低限の役割は、確かに存在します」


歩みを弱めず、続けた。


「だが、それらを統べ、意味のある働きとして

機能させている者がいない。

業務は分断され、責任は宙に浮き、

誰も“後宮全体”を回してはいないのです」


セレナは、ぱっと顔を上げた。


「――でしたら、後宮の者たちで

業務を分担してみてはいかがでしょうか?

侍女も、女官も、妃候補の方々も……

それぞれが役目を持つ形で」


学校の委員会みたいにしたら……!


ナヴァリスは唇を結んだまま、動かない。


リサは息を呑む。


「セ、セレナ様……

正妃のお務めまで……?」


「随分と斬新なお考えですな」  


ナヴァリスは瞼を細めた。


「“全員で分担する後宮”とは」


「引き継ぎや指導を繰り返せば、

誰もが順に役目を担えます。

それなら後宮は、もっと活気づきます」


「……業務を“輪”として繋ぐ、か」


低い声が零れる。


「だが人は安楽を手放さない。

妃候補も侍女も女官も、

必ず“格下げ”と受け取る者が出る。

抵抗は避けられません」


ナヴァリスが身体を向ける。


「姫様……それを承知でなお、

提案なさるのですか?」


「はい……」


声は静かだが、奥に熱が宿る。


「……強い言葉ですな」


ナヴァリスは衣の裾を叩いた。

リサは小さく頷く。


「覚悟とは、誰かに嫌われても退かぬこと。

後宮を揺さぶるなら、それを背負うことです」


セレナは小さく肩をすくめた。


「……でも、誰かが動かなければ、

何も変わらないでしょう?

生憎、私は図太いので。ご心配なく」


脳裏に、昔の光景がちらついた。


――教室の隅で指をさされ、不気味と囁かれた日々。


嫌われ役は慣れないけれど……

この案は、みんなのためになるはず。


リサがまるで「大丈夫ですか」と問いかける瞳で見上げる。


「……図太い、ですか」


ナヴァリスは低く繰り返す。


「怯えず、嫌われることを選ぶ――

それは脆さではなく、強さでしょう」


ナヴァリスは、再び歩み始める。


「強さを示せば示すほど、群れの外に置かれる。

孤独に耐えられるなら、進むがいい」


口元に影のような笑みを浮かべる。


「私は後宮監として、

その孤独にあなたが耐えられるか……

傍らで観察させてもらいましょう」


陽光が石壁を照らし、

切れ長の瞳にセレナの姿を映した。





訓練場脇の回廊。


石壁に背を預けたカリムが言った。


「……聞いたぞ、昨日のこと。レイラ様に啖呵切ったそうだな」


サフィアの足が止まる。


「……侍女経由で、もう広まってるんだな」


「広まるに決まってる。後宮は兵舎と違う、口ばっかりの戦場だ」


カリムが腕を組み直す。


「お前が“殿下の隣に立つ”なんて言ったと噂されてる」


サフィアは剣の柄に、意識を落とす。


「私は……ただ、殿下を守りたいだけだ」


「それは俺が一番知ってる。だがな――」


カリムは一歩近づき、低く言う。


「“守る”と“妃の座を望む”は別だ。線を踏み越えれば、殿下を困らせる」


サフィアの拳が震えた。


「……困らせるつもりなんかない」


「なら気をつけろ。名誉を守りたいなら、お前自身が火種になっちゃならん」


サフィアは言い返せず、剣の柄を握る。


カリムは深く息を吐いた。


「……止めたいんじゃない。泣かせたくないだけだ」

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