第35話 夜の踊り子
35.夜の踊り子
「百合が——危ない」
珍しく雪村くんの声に焦りが滲んでいる。僕には心配することしかできない。
だが、その後のインカム越しのやりとりを聞いて、雪村くんの表情から堅さが消えた。離れているはずなのに、百合さんと桜さんの気配が強烈に漂ってくる。それはみんなが禍心と呼んでいる存在より、はるかに強い穢力を纏っていた。
「女は強いな」
そう言いながら、雪村くんは微笑む。
未だに炎の壁の向こうで、穢れはざわついている。雪村くんは前に立ったまま、腕をだらりと下げていた。戦闘態勢ではあるけれど、自然体で余裕のある佇まいだ。
「……なあ、大祐」
低い声で呼ばれる。
「お前、どう思う」
「どう、って——」
僕は視線を園内に走らせた。数は多いが、どれも弱い。敵意も殺気も薄いような気がする。
「……穢れたちに、目的があるように感じるけど……」
「そうだな」
雪村くんは、わずかに口角を上げた。
「意思がないはずの穢れが、何かに導かれて——連れられてる」
その言葉が、胸の奥でひっかかった。雪村くんには何が見えているのだろう。
インカムが恭介くんの声を届ける。
『雪村、穢れの中心が判明しました。少女の穢れのようです』
「……分かった。恭介はそのまま穢場の維持を頼む」
『お任せを。皆さん中央に集合していますが、どうしますか?』
「俺たちも中央に行く」
何か策があるのか、雪村くんは自信ありげに言った。
「なるほど……この気配か」
ひとまず、僕たちは中央広場へ向かった——
合流した先で、僕はすぐに異変に気づいた。百合さんも桜さんも無事なのは知ってる。でも、二人ともすでに、ここにはいない。
「大祐くん、来たね」と狛人くんが迎えてくれた。
「うん、桜さんたちは?」
「女の子を追ってるよ」
確かにここではない場所で、二人の気配を感じる。穢れはまだまだ湧いてくる。祓える人でないと単独行動は無理だ。
「大祐くん。小さくて速い気配を探ってみて」
「小さくて……速い……」
僕は集中してみた。それなりに、気配を読み取ることはできるようになった。
……見つけた。
確かに小さいが、速くて——濃い。
「大祐も捉えたか?」
雪村くんが、確認するように聞いた。
「多分、大丈夫だよ……けど、これからどうするの?」
「簡単な方法はある。ただし、今回は使わねぇ」
「どうして?」
「相手が……女の子だからだ」
一瞬冗談を言っているのかと思ったが、雪村くんはそういう人だった。唖然とする狛人はそのままに、話を進めることにした。
「じゃあ、どうするの?」
「大祐……子どもは遊園地に何をしにくるんだ?」
「——遊びに、かな?」
次の瞬間、広場の横にあるメリーゴーランドが、音もなく回り始めた。
そこに——少女がいた。
小学生低学年くらいで、白いワンピース姿。穢れをまとっているのに、怖くない。彼女は顔を上げて、僕を見ると笑って走り出した。
(今、僕を見た?……気のせいか)
「追うぞ!」
雪村くんの声で僕たちも動く。でも、これは戦闘じゃない。
——追いかけっこだ。
『ダーリン、その子、今広場にいるの?』
『えっ、結局そこに戻ったの?』
百合さんと桜さんから、インカムで連絡が入る。彼女たちも走り回っているようだ。
「あぁ、走ってるぜ」
雪村くんが、息も切らさず答える。
「逃げてるっていうより……遊んでる感じだけどね!」
狛人くんも、まだ元気だ。
穢れはまだそこら中で存在している。それを祓いながら少女を追いかけることになるので、全く追いつかない。それを少女は楽しんでいるようだ。
「僕らの邪魔をするために、穢れを集めていたんだね。無意識かもだけど」
「……なんで、そんな必要が?」
「長く遊んでいたいんじゃない?」
相変わらず狛人くんは、面白い発想をする。だがそうだとしたら、今夜の事件の説明はつくのかもしれない。
悪意のない穢れなんて、存在できるのか。それに禍心とは。まだまだ僕の知らないことは多い。だが今は少女のために走るしかない。
ジェットコースターの下。バイキング。売店の裏。ゴーカートのレールの上。
少女は次々と場所を変え、移動していく。意味のない動線じゃない。園内を一周している。
「……遊園地、好きだったんだろうな」
僕が呟くと、狛人くんが頷いた。
「うん。楽しんでる」
「穢れが……?」
「それもそう……だけど」
狛人くんは、少しだけ言葉を選ぶ。
「穢れになった何か、もね」
少女は捕まらない距離を保ち、でも必ず見える場所にいる。隠れて、顔を出して、また走る。
——楽しい、って感情が伝わってくる。
「この子の……本体……」
胸が妙に苦しくなって、立ち止まってしまった。狛人くんも立ち止まる。
「どこかに、いるんだよね?」
僕のその一言で、世界が静かになった気がした。狛人くんに聞いても、答えは出ない。だが聞かずにはいられなかった。
「そうだね……」
「生きて、いるのかな?」
その問いに狛人くんは答えない。それも彼の優しさなのかもしれない。
「お前ら、はやく来い。終着点で待ち構えるぞ!」
雪村くんが叫ぶ。
「え? どこ?」
冷静な判断が出来なくなっている僕には、分からない。しかし、狛人くんは理解しているようだ。
「メリーゴーランドだよ」
今、中央広場には全員が集まっていた。桜さんたちも帰ってきている。みんな肩で息をしていた。雪村くんは別だが。
少女は最初のメリーゴーランドに戻ってきていた。ゆっくりと動く白馬に乗って、満足げな笑みを浮かべている。本当に遊んでいただけのようで、マイナスな感情はやはり感じない。
「やはり、ここに戻ってきましたね」
「あぁ、散々遊んでくれたぜ。これで満足だろうよ」
一番余裕のある雪村くんが、呆れたように言った。
「一応、彼女に影響が出ない程度に、穢場を狭めておきました」
「よし、じゃあ仕上げだ……出てこいよ」
(ん? 誰に……)
雪村くんがそう言いながら、一歩踏み出した時。
——少女の後方から、おぞましい咆哮が聞こえた。それは何人もの叫びを合わせたような声。
「お前が隠れていたのは知ってるぜ」
僕は気がつかなかった。もしかしてこれが——
メリーゴーランドの後ろから、巨大なそれは現れた。人の何倍もある腕や体。その気配は密度が高く、濃い。確かに通常の穢れとは違うオーラを放っている。初めて目にする僕は、足が震えた。狛人くんも声を出せないようだ。
「も、もしかして、これが禍心、なの?」
「……どうやらそのようだね」
僕も狛人くんも、声が少し震えていた。体も震え、その気配の濃さに押しつぶされそうになる。
だが、それ以上に雪村くんは——恐ろしかった。
「その子のことは諦めな——邪魔だ」
その一言だけ呟くと、彼の右腕が燃え上がる。そして右腕を突き出すと、炎の柱が禍心目掛けて襲い掛かる。
炎が禍心を通過すると、体の大部分が燃え……全て消えていった。
それだけで終わってしまった……雪村くんの力は、やはり次元が違う。
「これで仕上げは終わり。あとは……」
雪村くんが、今度は少女の方を向く。しかし、少女は怯えているように見える。
そして……消えた。
「あっ、また逃げた!」百合さんが叫ぶ。
「大丈夫だ。恭介が逃がさない」
だが、少女は完全に逃げたわけではなく、僕の後ろに移動していた。なぜ、と思うがそれ以上に、別の気持ちが湧いてきた。
「ゆ、雪村くん。ちょっと待って」
いつもより大きな声が出て、僕が一番びっくりした。
「大ちゃん、そんな声出せるんだー」
「大丈夫? 大祐くん……」
百合さんが茶化して、桜さんは心配してくれる。けど、これは僕が言わないと駄目だ。
「僕に、任せてくれないかな?」
「お前に祓えるのか?」
雪村くんに、まっすぐに聞かれて、怯んでしまった。だけど——
「うん、任せてほしい」
「ガキに見えても、害がないように見えても……穢れだぞ」
そうだ。この子は穢れだ。けど、それは救わない理由にはならない。僕は自分の気持ちに向き合う。
「それでも——僕がやるよ」
「……分かった。好きにしてみろ」
雪村くんに感謝しつつ、僕は少女の前にしゃがみこむ。目線を合わせて、話しやすいように。少女も目線を合わせて、僕から逸らさない。
「楽しかったかい?」
答えは返ってこない。だが、何となく感情が伝わるから、手を取ってみる。優しく、僕の気持ちも伝わるように。
すると——少女の記憶が見えてきた。僕の中で嵐のように渦巻いていた。
両親と遊んだ記憶。
事故の記憶。
動けない体。
遊びたいという想い。
忘れられない場所。
「これは……元気だった頃の、最後の思い出」
その時——少女が、こちらを見た。まっすぐに。迷いなく。
「……大祐」
後ろから、雪村くんの声がした。
おそらく、僕は泣いている。少女の想いに触れて。
そして、少女は何も言わずに——僕に抱きついた。
その瞬間——全部理解した。
「……そっか」
声が、勝手に出た。
「もう一度、遊びたかったんだね」
少女を少し離して、目を見て話す。
「……ひとりで、よく頑張ったね」
少女の体が、小さく震えた。穢れが、ほどけていく。
これは——悪意じゃない。怒りでも、憎しみでもない。
「……また、遊べるという、希望なんだね」
声が震える。だが、まだだ。
「元気だった頃みたいに……走って、笑って……」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
「……それで、みんなの穢れを集めちゃったんだね」
寂しさが、暖かさを求めて。暖かさが、穢れを呼び寄せて。
少女は、僕の腕の中で——安心したみたいに力を抜いた。
「大丈夫だよ」
僕は、そっと抱きしめ直す。
「もう、ひとりじゃない……僕たちが来た」
僕は少女の苦しみを癒せるように祈った。
すると、少女の姿が淡く溶けていく。遊園地を埋め尽くしていた穢れが、夜風みたいに消えていく。
「もう……還っていいよ」
最後に少女は、微笑んだ。そして、口元が僅かに動いた気がした。
僕は少女が完全に消えるまで、そのまま動かなかった。誰も口を開かない。
「……お前か」
しばらくすると、雪村くんの声がした。
「真相に辿り着いたのは」
僕は立ち上がり、胸に残る温もりを確かめる。
「……うん」
「優しい、祓いだな」
「説得、っていうより……寄り添えたと思う」
雪村くんは、少しだけ笑った。
「悪くねえ」
少女は楽しめただろうか。夜の踊り子のように、駆け抜けた穢れ。そうならば報われる。そして僕には、まだやれることがあるはず。
メリーゴーランドは、もう動いていない。夜の遊園地に、ようやく終わりが訪れる。




