第24話 失いたくないから
24.失いたくないから
そこは穢れの溜まり場だった。穢場による封界と同時に、僕たちは踏み込んだ。人数が多く濃度が濃い。むせ返るような匂いに気持ちが悪くなる。
百合さんが部屋の奥で倒れていた。
「百合さん!」
僕は思わず叫んでしまった。そのせいで堕落した男たちの視線を集めてしまった。いつもなら怯んでしまうところだが、今は怒りの感情に支配されているので、恐怖を感じていない。自分にこんな強い感情があることに少し驚いた。
百合さんのとなりに、座り込んでいるのは……ひなのさん。でも、何かがおかしい——
ひなのさんは、腰を地面におとした姿勢になっている。虚ろな目で、じっと百合さんを見ているが動かない。まるで壊れた人形のように。
——ひなのさんも堕ちている……ように見える。でも他の男たちと違う。暴れていない。
ふと、桜さんが一人で前に出た——何も言わなくても分かる。桜さんはきっと……
「あなたたち、何をしたの?……百合さんに——何をした?」
太陽のように笑う桜さんの、本気の怒りに触れ僕は動けなくなった。まばゆい光のような彼女に、こんな暗くて熱い炎のような一面があることを想像できなかった。
「よくも……よくも私の友達に!」
彼女の周りに霧のような靄が立ち込める。それは穢れが形を変えて霧となり、彼女を守るように体を包み込んだ。桜さんは両手を重ねて左胸の位置、心臓の場所に手を置いた。
——そして——
「咲き誇れ……夜櫻」
桜さんの穢れが一気に膨れ上がり、その左胸に集中する。彼女は右手を握り、胸から右手を離していく。——そこに、いつの間にか日本刀の柄が握られていた。そしてゆっくりと引き抜いていく——
——出てきたそれは闇を体現したような、黒い日本刀だった。刀身だけでなく、柄も鍔も黒い。太陽のイメージである桜さんとは正反対の漆黒の黒だった。全てを飲み込みそうな闇がそこにあった。その闇を持つ彼女は、普段と違う美しさがあったが、僕は寒気を覚えた。
「桜、こいつらは任せた」
雪村くんが背中に声を掛ける。振り返りもしないが、自然体で立つ背中が了解と答えている。そして——
「あなたたちの事——許さない」
桜さんが言葉を発すると同時に穢れが迸る。その凝縮された穢れは、触れただけでこの世のあらゆる物質を、何でも両断できそうなほどに堅く鋭い。これが桜さんのSB、ソウルブレイドなのか。
やがて、桜さんはゆっくりと夜櫻を構える。凶悪な武器を優雅に構えるその姿は、ある種の破壊的な美しさがあった。そして闇が動く——
「一夜目、夜霧——」
その時、黒い閃光が走った——桜さんの姿が闇にのまれて、残像だけを残して部屋中を縦横無尽に駆ける。堕ちた男たちは動くこともできずに、ただ斬られただけだった。いや、斬られた瞬間は見えてない。そう感じることしか出来なかった……
「心の霧は晴れたわ——そこで寝てて」
冷たい目で桜さんが、男たちを見下ろしている。彼女の激しい一面を見た。しかし、それは大切なもののために怒れる、彼女の優しさであり強さだ。
そこで僕は百合さんに意識を向けた。すでに雪村くんが百合さんを抱え起こしている。ひなのさんの動きは完全に停止したままだ。僕もすぐに駆け寄って状態を確かめる。
……酷い、かなり殴られたらしく、顔も腫れ上がっている。女の子にすることじゃない。そんな理性を無くしてしまうA.Vを僕は改めて憎む。
百合さんは何とか意識はあるようだ。僕はすぐに治癒の力を解放する。すぐに治す、絶対に。
「ゆ、ゆっき……な、んで……」
「お前の覚悟……見えたぜ。よく逃げなかったな」
「うそ、つき……」
治癒の力を流し込み、顔の腫れも引いてきた。少し呂律も回ってきたようだ。
「う、うちの問題だって……約束した」
「あぁ、そうだな」
「なら、なんで? 大ちゃんまで……」
もうほとんど傷は癒えた筈だ。僕の感覚がそれを告げる。後は……心の問題だ。よほど怖い思いをしたに違いない。
「お前たち二人の事に手出しはしない。それが百合、おまえとの約束だろ?」
「そうじゃん。だから——」
「ひなのはお前が助けろ」
「……!」
百合さんの言葉を遮って。雪村くんが告げる。確かに雪村くんは屋上で、二人の事というのを強調していた。
「それ以外のことは、おまえの問題じゃねぇ。俺たちの問題なんだよ」
「……屁理屈じゃん」
「そうかもな……だが、事実だ」
平然と言い切る雪村くんに、さすがの百合さんも言葉を失っている。いろんな思いが交錯しているのだろう。ほんの数秒の間——やがて百合さんの気持ちが爆発する。
「うちは、巻き込みたくなかった! ゆっきーたちを!」
雪村くんは何も言わずに聴いている。
「うちのために、危ない事……そんなのいや!」
桜さんは雪村くんの後ろに立ち、黙って耳を傾けている。
「みんなが強いの分かってたよ。なんか普通じゃないって思ってた。大ちゃんだって……不思議な力持ってるし」
名前を呼ばれて、少し胸が跳ねたが僕も何も言わない。
「きょーちゃんも、守ってくれてるんでしょ? なんかそんな感覚がするの……」
驚いた。「きょーちゃん」とは恭介くんのことだろう。恭介くんが穢場で護っていることを、百合さんは感覚で察知しているようだ。それほど彼女の力は強いということになる。
「だからこそ、うちは巻き込みたくなかった! そんなの——ゆっきーたちのこと、利用しているみたいじゃん」
百合さんの瞳は涙で溢れそうになっていた。
「みんなと同じでいたかったのに。そのためなら、うちは自分のことなんて、どうなっても良かったのに。なんで——なんで、来たのよ!」
「お前を失いたくないからだ」
「——っ」
雪村くんの言葉に百合さんは再度言葉を失った。ただ先ほどより表情は柔らかい。僕たちの想いと百合さんの想い。求めていたものは違っても、重なる気持ちもあったはずだ。僕たちは本当の意味で彼女を失いたくなかった。その気持ちに従っただけだ。
二人は見つめあっていた。その視線にいくつもの言葉を乗せて。百合さんの目には既に怒りではなく、別の感情が宿っているように見えた。沈黙を破ったのは、雪村くんだった——
「百合、お前は誰よりも強い。だが……弱い」
「……うん」
「お前の心を守るための力……俺が見つけてやる」
「……」無言——だが拒んではいない。
「俺と共に来るか?」
百合さんは少し俯いた。だがすぐに顔を戻し、雪村くんだけをまっすぐに見つめて——
「うん——どこまでも」と笑顔で答えた。
僕たちは、ようやく百合さんの本当の笑顔を見る事ができたのかもしれない。
そして、雪村くんは静かに目を閉じた——




