第16話 命の灯火
16.命の灯火
恭介くんは世界に言葉を投げる。
「終わりの慈悲を……ミセリコルデ——」
彼は右手を顔の高さまであげると、手のひらを開く。そこに光が集中したと思ったら、短剣が握られていた。その刀身はまっすぐで細い。まるで十字架のようだ。白く輝くそれは綺麗だが、無慈悲で恐ろしくも感じた。
驚きで言葉が出ない。一体この人たちは何なんだ。
「これは私のSBですよ、大祐くん」
「ソウルブレイド……」
「穢れを刃に変えたもの……それがソウルブレイドです」
何でもない事のように恭介くんは言う。どこまでも冷静で、感情が読めない。雪村くんとはまた違った圧を感じる。
「私も穢祓師の端くれなので」と微かに微笑んだ。
滅多に笑わない彼の微笑みで、少し気持ちは軽くなる。だが相手は10人以上いるのに、彼は短剣一つで闘うのか、という心配が湧いてきた。あくまでも彼は悠然としているのが心強いが。
「心配は無用ですよ。私は一人で祓うわけではありませんので」
僕の心配を読んで、恭介くんは先回りして答えた。目の前には堕ちた男たちの群れ。こちらが劣勢なのは変わりがない。だが、この雪村くんといる時のような安心感はなんだろう。彼もまた僕の常識を超越している存在なのかもしれない。
「……彼、檜山くんだよね?……大丈夫なの?」
「わからない……けど——」
狛人くんも僕と同じ疑問を持ったらしい。確かに多人数相手に短剣一つが、分が悪いことは僕にも分る。それでも期待してしまう何かが、恭介くんにはあった。
「大祐くん。見せてあげますよ」と言いながら、彼は短剣を頭の上に掲げた。
——そして、魅せてくれた。
「発現しなさい——不動明王」
その言葉が、世界に刻まれた。音ではない。振動でもない。ただ、決定として空気に落ちた。
次の瞬間、恭介くんの背後——空間そのものが、歪んだ。まるで厚いガラスが内側から押されるように、ゆっくりと膨らみ、ひび割れていく。
ひびの隙間から、青黒い炎が滲み出した。熱はない。だが、近づいてはいけないと、心が叫ぶ。
裂け目は縦に広がり、そこから——巨大な人影が、ゆっくりと立ち上がった。人の形をしている。
肩は異様に広く、胸板は岩のように厚い。脚は地面に深く沈み込むほど重く、足元から火花のような光が散っている。顔が、見えた。——怒りの顔だ。眉は釣り上がり、額には深い皺。口は半開きで歯を剥き出しにし、今にも咆哮を上げそうなのに、声は一切出さない。ただ、睨んでいる。
その視線が向けられている先は——堕ちた男たち。彼らは一斉に硬直した。本能で逃げようとした者も、叫ぼうとした者も、途中で止まる。身体が、言うことをきかないようだ。
この姿は見たことがある——まさに、不動明王だ。
不動明王の全身を、青黒い炎が包んでいる。炎は激しく燃えているのに、風に揺れない。まるで、怒りそのものが形になったようだった。右手には、長く重い剣。刃はまっすぐで、光を一切反射しない。触れれば、存在ごと断たれる——そんな確信だけがあった。左手には、黒い縄。何人もの人間をまとめて縛れそうな太さで、先端がゆっくりと蠢いている。
(……これは本当に現実なのか……)
一歩も動いていないのに、圧だけが、空間を支配している。地面が、軋んだ。
男たちの体が炎の蛇に巻きつかれて、その場で固定されている。一人が、喉を鳴らすような音を出しているが動けない。
不動明王はゆっくりと剣を斜めに持ち上げた。その動きはとても遅い。しかし剣を握る腕に力が込められている。
そして裁きの時——剣の一閃。
その一瞬で全て終わった。音はなかった。代わりに世界が、一拍遅れた。視界が歪み、足元の感覚が消える。
次の瞬間、衝撃が遅れて押し寄せた。地面が砕け、衝撃波が円状に広がる。男たちは一斉に吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。叫びは、途中で途切れる。穢れが、剣の軌道に沿って断ち切られ、焼かれ、消えていく。
残ったのは、人間だけだった。不動明王は、剣を元の位置へ戻す。怒りの相の奥に、揺るぎのない静けさ。許さぬが、見捨てない。
次の瞬間、像は炎と共に崩れ、光となって霧散した。
空間も元に戻る。穢場封界が解かれたようだ。あたりの雑踏が戻ってきた。
恭介くんは、静かに眼鏡をかけ直す。
「……これで終わりです」あまりにも、あっさりと言う。
だが僕は忘れない。あの姿を、あの怒りを。そして——それが祓いと呼ばれることを。
「恭介くん……何故ここに?」
「実は後をつけてきていました」
「えっ……どうして?」
「大祐くんが、危ないことに首をつっこみそうだったので……」
そのつもりはなかったが、結果的には首をつっこむことになったので、何も言い返せない。そのせいで狛人くんも巻き込みそうになった。最初から誰かに相談するべきだった。
「うん……ごめん……」
「いいんですよ、謝らなくて」
「そうだよ、大祐くん!僕ももっと強く止めればよかったんだから」
狛人くんの気持ちは嬉しい。だが、ちゃんと自分のできることを把握して行動するべきだった。反省しなくては。
「しかし……大祐くんのおかげで、街の被害は食い止められました。ありがとうございます」
「そんな……礼なんて……」
僕が言葉を濁すと、恭介くんは小さく首を振った。
「いえ。あなたが動かなければ、もっと酷いことになっていました」
「でも……」
「見えてしまう人が、見て見ぬふりをする方が、よほど残酷です」
淡々とした口調なのに、その言葉は胸に重く残った。公園の中には、倒れた男たちが折り重なるように転がっている。全員、生きている。ただし、誰一人として目を覚ましてはいなかった。荒い呼吸だけが、ここで何が起きたのかを物語っている。
「この人たち……どうなるの?」狛人くんが不安そうに尋ねる。
「しばらくは目を覚ましません。穢れは祓いましたが、心まですぐには戻らない」
「……よく分らないけど……救えた、んだよね」
「ええ。少なくとも、堕ち切ることは防げました」
本当にそうだとしたら、僕のしたことに意味はある。助けることができた命の灯火があるなら——




