対等の契約(4)
黒竜の咆哮が夜空を揺るがした。
しかし、その声音にはもはや力強さはなかった。
ナヅキの緑光が広がるたび、竜の巨体を覆う黒き炎は剥がれ落ちていく。
その内側から現れたのは、無数の影のような人影——怒りや悲しみに囚われ、形を失った魂の群れだった。
「これが……魔王の力の源……!」
キサラギが息を呑む。
魂たちは苦悶の声をあげていた。だがナヅキの放つ豊穣の光に触れた瞬間、その叫びは和らぎ、やがて静けさへと変わっていく。
怒りも憎しみも、緑に還り、土へ溶け、命をつなぐ養分となって消えていった。
竜の瞳が大きく見開かれる。
「我が……喰らい続けた魂が……奪い返されるだと……!? 貴様……何者だ……」
ナヅキは剣を掲げたまま、低く言い放った。
「俺はナヅキだ。誰の犠牲も踏み台にしねぇ、ただ生きて、共に在るだけの——人間だ」
その言葉を最後に、竜は大地を震わせて崩れ落ちた。
黒き翼は塵のように散り、魂を失った巨躯は大地に縫いとめられるように横たわる。
やがて瞳が閉じられ、深い眠りへと沈んでいった。
——森に、静寂が訪れた。
仲間たちの体を包む緑光が、次第に柔らかく揺らめく。
癒しの力は、傷をふさぎ、血を洗い流し、砕けた骨さえも繋ぎ合わせていく。
「……あ……あったかい……」
ニシナが目を細め、かすかな笑みを浮かべる。
キサラギもまた膝をつき、安堵の息を吐いた。
「……これが……永続の光か……」
ネツレイはスティレットを落とし、虚空を見上げる。
「……心地よすぎて……戦えねぇ……」
だが癒しはあまりに深く、次第に彼らの瞼を重くしていく。
意志に反して、抗いようのない眠気が仲間たちを覆い尽くす。
「……ナヅキ……お前……どこまで行く気だよ……」
ネツレイの声が、次第に遠ざかっていく。
ナヅキは仲間たちの顔を一人ひとり見渡し、最後にネツレイを見て笑った。
その表情は、笑っているのに、どこか切なさを滲ませていた。
「——ありがとな」
静かに言葉を紡ぐ。
「一緒にここまで来てくれて……お前らがいたから、俺はここに立てた」
そして少し冗談めかすように呟いた。
「……もう一度、お前の手料理、食いたかったなぁ」
ネツレイは目を大きく見開き、必死に首を振った。
「食わせてやるよ! いくらでも作ってやる! 洗濯係忘れてももう文句言わねぇし、風呂も先に入っていい! だから……だから行かないでくれよ!」
縋るような声に、ナヅキは困ったように眉を下げる。
けれど、その瞳は決して揺らがなかった。
「……ごめんな」
短く言葉を返し、ほんの一瞬だけ目を細めた。
「おやすみ」
その声が優しく響いた瞬間、ネツレイの瞼は重く閉じられていった。
その姿はまるで、再生した森に抱かれるようだった。
ナヅキは最後に、長葱剣を胸に立て、そっと呟いた。
「……じゃあな。俺はまだ、この先を行く」
彼の声は、誰にも届かぬ夜風に溶けていった。




