リンゴの香りと誓い
夜更けの寮。廊下はしんと静まり返り、窓から差し込む月明かりだけが床を淡く照らしていた。
共有スペースの小さなキッチンに、人影がひとつ。
ネツレイだった。眠れぬままベッドを抜け出し、ふと実家を思い出して——手は自然とリンゴを掴んでいた。
包丁でリンゴを半分に切り、種をくり抜く。小さな窪みにバターと砂糖を落とし、棚から隠すように置いていたウイスキーをほんの数滴。ラップをかけ、電子レンジに入れる。
600Wで4分。
温められた甘い香りが漂い出すと、ネツレイの胸に懐かしい景色が蘇ってきた。
(……あの頃は、まだ家族全員そろって笑ってた)
ピッと音が鳴り、レンジの中で熱気を帯びたリンゴを取り出す。仕上げにシナモンをひと振り。湯気と一緒に、記憶まで揺れるような香りが広がった。
「……何それ、うまそう!」
不意に背後から声がかかり、ネツレイは肩をびくりと揺らす。振り返ると、寝癖頭のナヅキが立っていた。どうやらトイレの帰りらしい。
「……お前か。夜中にでかい声出すな」
「いや、だってよ……その匂い反則だろ」
ナヅキは遠慮なく近づき、テーブルに置かれた皿を覗き込む。
ネツレイは少しだけ目を伏せ、ため息をつく。
「仕方ねぇな。……ほら」
スプーンを手渡すと、ナヅキは待ってましたとばかりに焼きリンゴをひと口。
「うっめぇえええ!! なにこれ最高!!」
頬を緩ませて大げさに喜ぶナヅキを見て、ネツレイは思わず小さく笑った。
「……ガキみたいな反応だな」
「だってうまいんだもん。で、これ……なんの料理だ?」
「焼きリンゴ。俺の実家じゃ、記念日とか特別な日に必ず出てきた」
穏やかな声で言いながら、ネツレイは遠くを見つめた。
「田舎のちっぽけな家だったけどな……家族みんなで食卓囲んで、笑って、ああいう日々がずっと続くと思ってた」
言葉を切り、拳を握りしめる。
「でも……魔物に襲われて、全部壊された。畑も家も焼かれて、残ったのは借金と、痩せ細った土地だけだった」
ナヅキはスプーンを止め、真剣な眼差しを向ける。
「……ネツレイ」
「だから俺は、戦う。もう失いたくない。家族を守れるなら……命なんて惜しくねぇ」
静かに告げるその横顔には、普段の皮肉屋な姿はなく、真っ直ぐな決意だけが刻まれていた。
ナヅキは焼きリンゴを飲み込み、大きく息を吐く。
「前までの俺だったら……わかんなかったかもしれない」
少し笑い、拳を握る。
「でも今は、わかるよ。俺にも、大事な仲間ができたからさ」
その言葉に、ネツレイは驚いたように目を見開いた。
だがすぐに、視線を逸らし、照れ隠しのようにぼそりと呟く。
「……バカ。そんな顔して言うな」
二人の間に、夜の静けさが戻る。だがそれはもう、冷たい沈黙ではなかった。
リンゴの甘い香りと、互いの想いが確かにそこに残っていた。




