魔王の気配(2)
夜の寮は、いつになく静まり返っていた。
廊下の蛍光灯が低く唸り、窓の外には遠く街の灯りが瞬いている。翌朝には山岳地帯への潜入が控えている。誰もが、その重みを知っていた。
共有スペースのテーブルでは、ネツレイが真剣な顔で荷物を整理していた。
「治療薬は五本……予備は足りるか……いや、相手が上位堕天使なら倍は必要だな」
独り言を漏らしながら、小瓶を一本一本確かめていく。
その耳元で、毒キノコの天使がくぐもった声で嘲る。
『おやおや……心配性も大概だな。けど、毒も薬も“備え次第”で変わる。……まあ、お前の性格にはお似合いだがな』
ネツレイは眉をひそめつつも、小さく口角を上げた。
そこへナヅキがひょいと顔を出す。
「なあ、ネツレイ。明日の昼飯、山の中じゃ食えそうにねぇからさ……今日のうちに唐揚げ作っといてくれよ」
「はぁ!? お前なぁ……!」
ネツレイは額に青筋を浮かべ、思わず声を荒げる。
「これから出発だってのに、食いもんの心配か!」
「いや、大事だろ。腹減って戦えなかったら困るじゃん」
ナヅキは悪びれもせず、笑いながら肩をすくめた。
すると、サラダの天使が横から口を挟む。
『確かにな。戦う前に栄養補給は必須だ。……ただし揚げ物だけじゃ駄目だぞ。葉物も摂れ、ビタミンも忘れるな』
「……うっせぇおかんかよ」
ナヅキは渋い顔をしながらも、結局笑った。
一方、部屋の隅ではキサラギが黙々と武器を磨いていた。
刃に反射する灯りを見つめながら、ぼそりと呟く。
「リヅ先輩……俺、今度こそ大事なものを守る」
その声に、花火の天使がぱちりと火花を散らす。
『守る? いいさ。けれど忘れるな、最期の瞬間こそ輝きだ。……お前が散る時は、誰よりも眩しく燃えろ』
キサラギは苦笑しつつも、小さく「俺はまだ散らねぇ」と呟いた。
ふと、その背に小さな影が寄り添う。
「キサラギさん」
ニシナが控えめに声をかける。
「……私、怖いです。でも……みんなと一緒なら、きっと」
キサラギは一瞬黙り込み、やがて彼女の頭にそっと手を置いた。
「怖くていい。重要なのは、それでも足を前に出せるかどうかだ」
ニシナは目を潤ませ、それでも頷いた。
「はい……」
その様子をちらりと見ていたナヅキが口笛を鳴らした。
「おーおー、いい雰囲気じゃねぇか。青春かよ!」
「うるさい!」
キサラギとネツレイの声がぴたりと重なり、ナヅキは「なんだよ二人して」と笑って手を挙げた。
『気にするな、ニシナ。こんな馬鹿者の戯言など、視線を向ける価値もない』
メデューサの天使が低い声で囁く。
その冷たい響きは、逆に彼女を守るような温もりを帯びていた。
——出発前夜。
緊張と不安の中で、それでも笑い合える時間があった。
それが、彼らにとって確かな支えになっていた。




