リヅのチョコ
訓練所の夜。
銃声が乾いた響きを立てて、虚しく壁に弾痕だけを刻んだ。
キサラギは息を吐き、額を押さえる。
紫堕天使の姿が焼き付いて離れない。あの圧倒的な力、影に沈められた恐怖。
——このままじゃ、絶対に勝てない。
弾倉を入れ替え、狙いをつける。だが撃つたびに、中心から逸れていく。
悔しさで奥歯を噛みしめた。
「……くそ……」
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その時、ふっと脳裏に蘇ったのは、初めて天啓庁に来た頃の記憶だった。
厳しい訓練施設を出たばかりで、キサラギは何も知らない。
型通りの敬礼、教科書のような返事、遊びを一切知らない顔。
最初にチェリーの指示で組まされた相棒が——リヅだった。
『あー、やっぱり来たか。新入りの“優等生くん”』
明るく笑いながら、彼女はひらひらと手を振った。
『そんなにカチカチの顔してると、銃も固まっちゃうぞ?』
彼女はそう言うと、制服のポケットから何かを取り出した。
銀紙に包まれた、一枚のチョコレート。
『ほい、あげる。訓練の合間くらい、甘いもんで気を抜きな。
力むより、楽しい気分で撃ったほうが、案外当たるんだから』
「……訓練中に、そんなもの……」
当時のキサラギは、思わず眉をひそめた。
だがリヅは肩をすくめ、口元でくすっと笑った。
『だから言ってんの。気を抜くのも、大事ってこと』
チョコの甘さと、彼女の笑み。
その瞬間だけ、張り詰めた心がふっと軽くなったのを、キサラギは今でも鮮明に覚えている。
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記憶が重なり、今の自分の指先が少し震えるのを感じた。
リヅが教えてくれたのは——技術だけじゃない。
心を縛る鎖を、ほんの少し緩めること。
「……力むな、か」
深く息を吸い込み、肩の力を抜く。
銃口ではなく、ただ的の中心だけを見る。
“当てよう”じゃない。“当たる”と信じて。
引き金が絞られた。
銃声と共に、弾丸は一直線に走り——
カァン、と乾いた音を響かせ、的の中心を正確に撃ち抜いた。
キサラギの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「リヅ先輩……あんたの言葉、今でも効いてるよ」
夜の訓練所に、再び銃声が重なった。
弾丸は迷わず的の真ん中を撃ち抜き続ける。
紫堕天使を撃ち抜くその時まで——彼はもう、迷わない。




