裏切りの影(2)
轟く雷鳴のあと、闇夜に浮かんだのは黒い羽根の群れだった。
無数の影が寮を囲むように舞い降り、その中心に立つ男の姿を見て——全員の息が止まった。
「……あれは……」
キサラギの声が低く震える。
見覚えのある顔。
かつて合同任務で共闘したことのある、第三部隊の幹部——その人間が今や、堕天使の力をまとい、不気味な笑みを浮かべていた。
「おいおい……冗談だろ。幹部までが……」
ナヅキが歯噛みし、腰に携えた長葱剣の柄へ自然と手を伸ばす。
男の背後に従うのは、翼の裂けた堕天使の群れ。
その眼は、人ではない異形の光を宿していた。
「裏切り者は……俺たちが信じていた仲間だった……?」
ネツレイが押し殺すように言葉を吐く。
眼鏡の奥に宿る視線は、悔しさと怒りで燃えていた。
ニシナは唇を震わせ、声を絞り出す。
「どうして……どうして同じ契約者なのに……」
裏切った幹部が、ゆっくりと前へ歩み出た。
その足音は、冷たい石畳を叩くたびに、彼らの胸を抉るように響いた。
「やっと気付いたか。契約なんてもう要らない。
魂を喰われるか、裏切って自由を得るか——選ぶなら、答えはひとつだろう?」
その声に、ナヅキが吠えるように応じた。
「ふざけんなッ!! 自由だぁ? 魂を差し出さなくて済むって言葉に釣られて……! てめぇがやってるのは、自分のために人を殺すことだろ!」
「そうだ、ナヅキ」
頭の中に響いたのはサラダの天使の声だった。
『この状況でも立っていられるのは、お前がまだ——私を信じているから』
「当たり前だろ。俺は、お前と一緒に生きていくんだ……!」
ナヅキが一歩踏み出すと同時に、堕天使たちが一斉に羽ばたいた。
轟音とともに、夜の寮に死の影が押し寄せる。
「来るぞ!」
キサラギが咄嗟にニシナの肩を引き寄せる。
次の瞬間、瓦礫を吹き飛ばす衝撃波が玄関ホールを襲った。
ネツレイは咳き込みながらも、スティレットを構える。
「……っ、逃げ場はねぇな……! やるしかない!」
ナヅキは木刀を抜き放ち、一度は幹部の刃にぶつけて火花を散らす。
だが、次の瞬間、強烈な衝撃に押されて後方へ弾き飛ばされた。
「ちっ……!」
ナヅキは歯を食いしばり、木刀を床に突き立てると、そのまま腰のホルダーから長葱剣を抜き放った。
緑の刃が月光を受けて淡く光り、空気が張り詰める。
「……遊びは終わりだ。こいつで決着つける」
「へぇ……その剣か」
幹部は嘲るように笑みを浮かべ、黒翼を広げた。
ナヅキは血走った瞳で正面を睨みつけ、笑みを浮かべた。
「いいか、お前に本物の強さを証明してやるよ!」
玄関ホールの窓が一斉に砕け、堕天使たちが雪崩れ込んだ。
闇の羽音と嗤い声が渦を巻き、寮は一瞬で戦場と化す。
「ニシナ! 下がれ!」
キサラギが叫び、花火の天使を呼び出す。光弾が弾け、突進してきた堕天使を爆ぜさせる。
ニシナも髪をうねらせ、敵を絡め取る。石化が走り、堕天使が苦悶の声を上げた。
「よし……!」
安堵の声をあげた瞬間、鋭い風切り音がホールを裂いた。
前へ出ていたネツレイが身を翻したが、漆黒の刃が肩を掠める。
「……っぐ!」
血が散り、彼は歯を食いしばって踏みとどまった。
「ネツレイ!」
ニシナが叫ぶ。
刃を放ったのは堕天使ではなかった。
人間の姿を保ちながら、背に黒い翼を生やし、瞳に紅を宿す男——第三部隊の幹部だった。
「久しいな。まだ“魂を捧げる契約”なんて続けているのか?」
男は冷ややかに笑い、手をひらりと振る。その背後から堕天使たちが動きを合わせ、ナヅキたちを取り囲んだ。
「……裏切りやがったな」
ナヅキの声は怒りに震えていた。
「裏切り? 違うな。俺は“真実”に従っただけだ。魂を差し出さずとも、堕天と結べば力は得られる。何も失わず、ただ強さを享受できる……これ以上の理はない」
「ふざけんなッ!」
長葱剣を振り抜き、ナヅキが幹部へ飛びかかる。刃と刃が衝突し、轟音がホールを揺らした。
「力だけで自由になれると思ってんのか! そんなもん……都合のいい幻想だ!」
「戯言を!」
幹部が力を込めると、黒翼が広がり、衝撃波がホール全体を揺らした。
椅子や机が弾き飛び、ニシナが思わず尻餅をつく。
「くそ……!」
キサラギは彼女を庇い、火花を散らして堕天使の群れを撃ち落とす。
ネツレイは血に濡れた肩を押さえつつ、スティレットを構える。
「まだ……まだ終わってねぇぞ!」
その時、ナヅキが叫んだ。
「俺たちが証明してやる! 魂を喰われるだけじゃねぇ、本物の絆ってやつを!!」
声がホールに響き、仲間の胸に熱を灯す。
サラダの天使が笑うように囁いた。
『……いいじゃないか、その調子だ。なら、存分に振るえ。私と一緒に』
ナヅキは長葱剣を握り直し、血走った瞳で幹部へ踏み込んだ。
寮を揺るがす激突が、ついに幕を開けた。




