火花と野菜(2)
魔物の死骸が瘴気となって溶け、夜の街にじわじわと静けさが戻っていった。
しかし、アスファルトに残る硝煙の匂いは、戦いがまだ肌にまとわりついていることを教えている。割れたガラスの破片が風に揺れて小さく鳴り、遠くでは壊れた街灯がジジジと断末魔のような火花を散らしていた。
「……はぁ、死ぬかと思った」
額に汗をにじませながら、キサラギが息を吐いた。声は軽く冗談めいているのに、その指先はわずかに震えている。だが口元だけは笑みを保っていた。
ナヅキは肩で大きく息をしながら、長ネギの剣を軽く振り払う。刃にこびりついた黒ずんだ血が地面に散り、じゅうと煙を上げて消えていく。
「死ぬ気で突っ込む奴が言う台詞かよ。……ほんとイカれてんな」
吐き捨てるように言いながらも、その声音の奥には安堵が混じっていた。
(……マジで、巻き込んで消えやがるんじゃねぇかと思ったからな)
内心を隠し、彼は小さく舌打ちする。
「いいじゃん。結果的に勝ったし」
あっけらかんと返すキサラギの横顔。その目だけは、先ほど自分の命を本気で投げ出そうとしていた色をまだ残している。ナヅキはその視線から逃げるように顔を背けた。
その時だった。二人の頭の奥に、契約者だけが聞くことのできる天使たちの声が、激しく割り込んできた。
『——だから言っただろ、無茶は控えろと! ナヅキ、お前も止めないからこうなるんだ!』
サラダの天使の声は、葉を逆立てるように烈火の如く怒っている。
『はっ、何を堅苦しいことを。命を燃やすからこそ輝くんだ。華々しい死ほど美しいものはない!』
花火の天使は誇らしげに高らかに言い放ち、夜空に残滓の火花が舞うような余韻を響かせる。
『死んだら体は散るだけだ! 栄養を積み重ねて強く育てることに価値がある!』
『違うね。刹那に燃え尽きるからこそ、人も天使も心を打つんだ!』
「うるせぇ!!」
「どっちもうるさい!!」
二人が同時に怒鳴ると、声はぴたりと途絶えた。残るのは、夜風が路地を渡るひゅうという音だけだ。
数秒の沈黙の後、通信機から冷ややかな声が届いた。
『ナヅキ、キサラギ。帰還しろ』
命令は短く、容赦がなかった。二人は顔を見合わせ、不満げに吐息をこぼしつつも従う。足を引きずるように待機車へと歩き、後部座席に身を沈めた。
モニターに映し出されたのは、厳格な眼鏡の上司の顔だった。背後に並ぶ職員たちの視線も冷ややかだ。
「無事帰還か。……映像は確認した。まだぎこちないが——息は合ってきたようだな」
皮肉めいた言葉に、ナヅキは露骨に顔をしかめる。
隣ではキサラギが飴玉を取り出し、包み紙を器用に片手で外して口に放り込みながら、飄々と笑った。
「ほら、だって俺ら、初めてにしちゃ悪くなかったろ?」
「調子に乗んな。お前、次あんな無茶したら本気でぶん殴るからな」
「……そうか。なら気をつけるよ」
笑みを浮かべたままの声に、わずかに真剣さが混じった。
車窓に流れる街の光景は、一見いつも通りの夜だった。だが壊れた街灯の影の奥、路地の一角で、黒いひび割れがわずかに揺らいでいた。
新たな“異界門”が、音もなく口を開け始めていた。
その不気味な兆候に、まだ誰も気付いていなかった。




