特訓と揺らぐ常識(1)
翌日、寮の敷地内にある訓練所は、乾いた靴音と掛け声で賑わっていた。
その中心に立つのは、白髪をきっちりとお団子にまとめた少女——マテラの孫、スズナだ。
「ほらほら! 足が止まってる! もっと速く動けなきゃ命なんてすぐ無くなるんだから!」
鋭い声と同時に、砂塵を巻き上げて彼女の足が一瞬で背後に回り込む。手にした短剣が喉元に突きつけられ、仲間たちは息を呑むしかなかった。
契約しているのは“星の天使”。その力は流星のような衝撃を生む。華奢な身体からは想像できないほどの速さと打撃で、スズナは皆を翻弄していた。
——ただし、ひとりだけ不参加がいた。
「……頭いてぇ……」
訓練所の隅で布団にくるまっているナヅキ。昨夜の飲み過ぎで、完全に二日酔いだった。
「は? 二日酔いで欠席? ありえないんだけど!」
スズナはぷるぷる震えながら怒鳴りつけた。
「罰として! 夜にあんたひとりで私のレッスン受けなさい!」
夕方、仲間たちが部屋で夕飯をとっている間。
訓練所に呼び出されたナヅキは、頭を抱えながら現れた。
「ちっ……二日酔いくらいでここまでやるかねぇ」
「やるわよ! 甘えたら一瞬で死ぬのが戦場! 覚悟しなさい!」
スズナが合図すると同時に、星の天使が淡く輝きを放つ。夜の訓練所に無数の光の粒が散り、隕石を模した衝撃が雨のように降り注いだ。
ナヅキはひたすら受け続けるしかない。木刀で弾き、身をかわし、壁際で転げ回りながらも、スズナの速さと衝撃に押し潰される。
「ぐっ……はぁっ……! 一時間も、こんなの続けんのかよ……!」
「文句言う暇があったら動きなさいっ!」
星が流れるように煌めき、砂煙が夜空に舞う。
やがて時計の針が一時間を回った頃、スズナはようやく手を止めた。
「……ふぅ。よく立ってるわね。意外と根性あるじゃない」
「そりゃどうも……。吐き気でそれどころじゃねぇけどな」
荒い息を吐きながら笑うナヅキ。その姿を見て、スズナは小さく鼻を鳴らした。
「バカみたいにしぶとい……でも、そういうの、嫌いじゃないわ」
「へぇ……褒め言葉として受け取っとくよ」
ナヅキは口角を上げたが、すぐに空を仰いで黙り込む。
「……なに?」
「いや、ふと思っただけさ」
月明かりに照らされる中、ナヅキはつぶやくように言った。
「俺ら契約者はさ、死んだら魂を天使に取られる。そういうルールだろ? でもさ……天使だって、俺らが生きてる間に強くならなきゃ意味ねぇんだろ」
スズナはきょとんとした顔になる。
「だったら……魂を奪うんじゃなくてさ。ずっと一緒に使い続ける方法があってもいいんじゃねぇか?」
一瞬、夜風が止まったように感じられた。
スズナは何か言いかけて、口を閉じる。そして、ちらりと彼を横目で見て——頬をわずかに赤くする。
「……はぁ? 何それ。バカなこと言ってんじゃないわよ」
吐き捨てるように言いながらも、その声色はほんの少し柔らかかった。
ナヅキは肩を竦め、ふっと笑う。
「バカで結構。……でも俺、こういうこと考えるの得意なんだ」
夜風に汗を冷やしながら、ナヅキは木刀を杖代わりにして立っていた。
星の天使の光が消え、訓練所にようやく静けさが戻る。
スズナは彼を一瞥すると、ぷいっと顔を背けてから、不意にパックの牛乳を差し出した。
「……はい! 頑張ったからこれ、あげるわ」
「へ?」
差し出されたものを受け取りながら、ナヅキは首を傾げる。
「いや、俺……お前と違って発育困ってないんだけど」
その瞬間、スズナの顔が真っ赤に染まる。
「なっ……!!! やっぱりあげない!!」
奪い返そうと手を伸ばしながら、半泣きの声で怒鳴った。
「だ、だれが貧乳よバカ!!!」
「おいおい! なにも“貧乳”とは言ってねぇだろ!!」
慌てて逃げ回るナヅキ。牛乳パックを持ったまま訓練所の隅に走り、スズナは顔を真っ赤にしたまま追いかける。
「返せっ! この無神経男!!」
「やめろ! 俺、もう一時間走り回ってんだって!!」
ふたりの追いかけっこに、星の天使が呆れたようにぽつりと口を挟む。
『……カルシウムは戦士に必須なのに。スズナは毎日飲んでるぞ』
「ちょ、ちょっと黙っててよ!!」
スズナの顔はさらに真っ赤に染まり、ナヅキは大笑いしながら牛乳パックを頭上に掲げて逃げ回る。
月明かりの下、命懸けの訓練場はいつしか、子どもじみた追いかけっこの舞台に変わっていた。




