重圧の黄金(1)
赤堕天使の炎が遠くで鎮まり、夜空の赤がゆっくりと消えていく。
しかし、別の戦場では、なおも地獄が続いていた。
轟音と共に、大地が軋む。瓦礫や砂利がふわりと宙に舞い、次の瞬間には叩きつけられて粉々に砕ける。
その中心に立つのは——黄金の瞳を持つ堕天使。
その眼差しがわずかに光るだけで、重力そのものが意志を持ったかのように周囲を歪める。
押し潰す力、ねじ伏せる力。空気は重く沈み込み、呼吸すら困難になる。
『ふふ……人間は脆い。押し潰せば、すぐにひびが入る器だ』
愉悦を滲ませる声が夜気を震わせた。
瞬間、黄金の瞳がぎらりと輝く。
次の刹那、見えない重力の奔流がニシナを襲った。
「——っ……!」
身体が地面に叩きつけられる。全身に鉛の塊を括りつけられたような重みがのしかかり、肺が押し潰されて空気が逃げた。
必死に息を吸おうとしても、喉が塞がり、声にならない呻きしか漏れない。
「ニシナ!」
駆け寄ろうとしたキサラギも、足元を見えない力に縛られ、ずぶりと地面に沈み込むように膝をついた。
骨がきしむ。圧し潰される痛みが、背骨からじわじわと這い上がる。
『いい音だ……骨が軋む音。肺が悲鳴を上げる音。全部、私の音楽だ』
堕天使が楽しげに指を動かす。
すると周囲の瓦礫や破片が次々と宙に浮かび上がり、まるで無数の槍のように鋭利な影を形づくった。
「来るぞ……!」
キサラギが歯を食いしばり、咄嗟にニシナを抱き寄せる。
直後、瓦礫の雨が二人めがけて襲いかかった。
「——っ!」
衝撃が肩を抉り、鮮血が飛び散る。
それでもキサラギは背を丸め、必死にニシナを庇い続けた。
「キサラギさんっ!」
震える声で呼ぶニシナ。だが彼女自身は立ち上がれない。地面に縫い付けられたように、指一本動かすのも困難だった。
「大丈夫だ……」
荒い呼吸の合間に、キサラギは彼女を見下ろす。
「俺が……お前を潰させはしない」
その瞳には、痛みを押し殺した強い光が宿っていた。
——その言葉に、ニシナの胸に小さな炎が宿る。
『守る? 面白い。ならば……その身ごと押し潰してやろう』
黄堕天使が嗤い、手をかざす。
大地が悲鳴を上げ、さらに重力が強まる。
空気は重く沈み込み、鼓膜が破裂しそうな圧迫感。キサラギの背骨が限界まできしみ、膝が石のように沈んでいく。
「……ぐ……は……!」
血が喉を逆流し、声が掠れる。それでも彼は倒れない。震える両腕を張り、ニシナを覆うように立ち続けた。
「俺は……絶対に……倒れねぇ……!」
その姿に、ニシナの心が激しく揺さぶられた。
病室でずっと「守られる側」だった自分。臆病で、無力で、ただ仲間に庇われるだけだと信じ込んでいた。
けれど今、すぐ隣にいる人は命を懸けて自分を守っている。
その背に抱いた温もりが、ニシナの中の恐怖を上書きしていく。
(……私も……戦わなきゃ……!)
押し潰される重圧の中で、ニシナは必死に顔を上げた。
紫の瞳が黄金の瞳を真っ直ぐに捉え、蛇の髪がゆらりと逆立つ。
「やめて……! キサラギさんに……これ以上、触らないで!」
髪が蛇のように逆立ち、空気を切り裂く音を立てる。
瞳の奥に、メデューサの天使の声が響いた。
『恐れるな、ニシナ。お前の視線は“呪い”ではない。“護り”だ』
黄金の瞳と、紫の瞳が交錯する。
「——石になれッ!」
瞬間、黄堕天使の腕が石化した。灰色の紋様が肩口まで広がり、重力の波動が一時的に途絶える。
『……っ、これは……!』
堕天使が苛立ちを隠せず叫ぶ。
押し潰されていた力が解放され、キサラギの身体がふっと軽くなった。
大きく息を吐き、彼は振り返り、息を切らすニシナの肩に手を置く。
「……やるな、ニシナ」
ニシナは涙を浮かべながら、しかし確かな笑みを見せた。
「……私だってやればできる……ちゃんと戦うって決めたんです!」
石化は長くはもたない。それは二人とも分かっていた。
だが、その短い隙こそが、反撃の唯一のチャンスだった。




