揺れる組織(1)
翌日。
天啓庁本部の会議室は重苦しい空気に沈んでいた。
壁一面のモニターには、各地で相次ぐ堕天使関連の被害が赤いマーカーで示され、冷たい光を放っている。
「……魂を奪わずに力を与える、だと?」
幹部の一人が拳を握りしめる。
「そんな条件を突きつけられれば、契約者の心が揺れるのも当然だ……」
沈黙を切り裂くように、チェリーが椅子から立ち上がった。
薄緑の髪が揺れ、その瞳には静かな怒りが宿っている。
「だからこそ、いま対策が急務です。堕天使の狙いは“信頼”を崩すこと。秩序を守るためには、新しい枠組みが必要です」
その横でマテラも立ち上がる。
白髪の目がぎらりと光り、声は低く響いた。
「奴らは人間の弱さを突き、甘言で絡め取る。……俺の仲間もそれで堕ちた。二度と繰り返させるものか」
しかし別の幹部が声を荒げた。
「だが既に裏切り者は出ている! 内部の監視を強化しなければ、組織そのものが瓦解する!」
「監視だと? そんなものは疑心暗鬼を招くだけだ!」
マテラが怒声を上げる。
「互いを信じられなくなった組織に、未来などあるか!」
「では放置するのか! このままではさらなる裏切りを生むだけだ!」
言葉の応酬に、会議室の空気は限界まで張り詰めていく。
その中で、チェリーは静かに手を上げた。
「……私は一つの方針を提案します」
幹部たちの視線が一斉に彼女へ注がれる。
「それは、“新世代チーム”を軸に据えることです。ナヅキたちは堕天使と直接交戦し、なお仲間を選んだ。——彼らの姿勢は、組織にとって新たな道標になるはずです」
ざわめきが広がった。
「若造にそこまで託すのか……?」
「だが、実際に戦果を上げたのも事実だ……」
マテラはしばし黙し、やがて静かに頷いた。
「……俺は賛成だ。未熟ではあるが、“仲間を裏切らない”という根を持っている。その強さこそ、未来に繋げるべきだ」
重苦しい会議室に、ほんの一筋の光が差し込んだかのような空気が流れる。
——だが、その片隅。
一人の幹部が無言のまま席を立ち、会議室を去っていった。
その背にまとわりつく影に、まだ誰も気づいてはいなかった。
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夕食を終えた夜。
寮のロビーには、ソファやテーブルが並び、契約者たちが憩う声が響いていた。
「ふー……腹いっぱい。……このソファ、やっぱ座り心地いいわ」
ナヅキはソファにだらしなく寝転び、足をテーブルに投げ出した。
「行儀が悪い」
ネツレイが眉をひそめ、本をぱたんと閉じる。
その時、奥の方から小声のざわめきが耳に届いた。
「なぁ、また裏切り者が出たって話、知ってるか?」
「……やっぱ“魂を奪われない契約”っての、本当なんじゃないか?」
「もしそうなら……俺だって、揺らぐかもしれねぇ……」
何気ない雑談のようでいて、その声には切実な影があった。
ソファに座っていたニシナが小さく身を縮め、隣のキサラギの袖をぎゅっとつかむ。
彼女の顔は、不安に揺れていた。
ナヅキは舌打ちをして立ち上がると、ずかずかとロビーの奥へ歩いていった。
「おい、お前ら! 契約するなよ!」
睨みつけるように声をかけると、契約者たちは気まずそうに顔を逸らし、慌てて散っていった。
「……チッ」
舌打ちしながら戻ってくるナヅキ。
ロビーには一瞬、重い沈黙が落ちた。
「ねぇ……みんな、本当に大丈夫なんでしょうか……?」
ニシナが小さな声で問いかける。
キサラギは腕を組み、目を伏せて答えた。
「正直、簡単じゃない。……組織そのものが揺らいでいる。それが一番怖い」
「内部から崩れるのは、外から攻められるより厄介だ」
ネツレイも低く言い添える。
「俺たちが強くなっても、庁そのものが沈めば意味はない」
ナヅキは不満げにソファへ戻り、どかっと腰を下ろした。
「うるせぇ……俺は裏切らねぇ。仲間も裏切らせねぇ。それで十分だろ」
その強引な言葉に、ニシナは小さく笑みを浮かべた。
だが窓の外では、誰も気づかぬ影が立ち、静かに彼らの様子を見つめていた。




