蛇の瞳(1)
夜気を切り裂くように、堕天使の黒翼が広がった。
刃のように鋭い羽根が一斉に飛び散り、地面を穿つ。
『さあ、遊ぼう! 君の“特別な魂”がどんな音を立てて砕けるか……楽しみだな!』
無邪気に笑うその顔に、ニシナは恐怖で膝が震えた。
けれど、その背後に仲間たちがいる。
物陰で必死に息を整えるナヅキ、血を押さえているネツレイ、彼らを庇うキサラギ——。
(わたしが、止めなきゃ)
紫の瞳が鋭く光を帯びる。
蛇のようにうねる髪が空気を裂き、無数の鞭のようにしなった。
「——来いっ!」
堕天使が踏み込み、刃の雨が降り注ぐ。
ニシナは正面からその視線をぶつけた。
瞬間、闇の羽根のいくつかが石化し、空中で砕け散る。
『あはっ! 本当に石になるんだ! 面白い!』
堕天使は笑いながらさらに加速する。
黒い爪が、ニシナの喉元を狙って振り下ろされた。
その刹那、ニシナの瞳が限界まで開かれる。
セイランを止めた時以上の強烈な光が奔り、爪が石に変わって崩れ落ちた。
「……わたしは……もう逃げない!」
声が震えながらも、確かな力を帯びていた。
堕天使の無邪気な笑みが、次第に愉悦と興奮へと変わっていく。
『いいねぇ……! そうじゃなきゃ遊びにならない! もっと見せて、君の“覚悟の力”を!』
髪が蛇の群れのように堕天使へ殺到する。
闇と紫の閃光が交錯し、火花のような衝撃が夜を切り裂いた。
——仲間を守るために。
——守られるだけの自分を終わらせるために。
ニシナはただ、その一心で前へ踏み込んだ。
紫の瞳が闇を穿ち、蛇のようにうねる髪が堕天使を打ち据える。
しかし、圧倒的な力の差は明らかだった。
堕天使の黒翼が一閃すると、石化しかけた空気が弾け飛び、ニシナの身体が吹き飛ぶ。
「——っ!」
壁に叩きつけられ、肺から血が噴き出る。
視界が滲み、膝が折れそうになる。
——けれど。
「……わたしは……もう、守られるだけじゃない!」
紫の瞳が灼けるように光り、蛇髪がふたたび天へと伸びた。
「バカが……ひとりで背負うな!」
ナヅキがボロボロの身体に鞭打ち、長ネギの剣を振るう。
黒い刃と激突し、火花が散った。
「ナヅキ! 俺も行く!」
キサラギが横から駆け込み、光の球を掌に灯す。
閃光が堕天使の視界を裂き、その隙にナヅキの一撃が肩口を捉えた。
『……あはっ! 仲良しごっこ? いいねぇ、壊しがいがある!』
堕天使は笑いながら翼を広げ、黒き刃を雨のように放った。
「くそっ……!」
黒き刃の雨が迫るその瞬間——夜風に混じり、赤い花弁がひらひらと落ちてきた。
一枚、二枚……やがて数え切れぬほどの薔薇が宙を舞い、空気そのものを真紅に染めていく。
花弁の中心から、スラリと長身の影が歩み出る。
赤髪を揺らし、煙草を唇に咥えて。
——リヅだった。
「……間に合ったみたいだね」
薔薇の天使が背に羽ばたくと同時に、無数の蔓が地を割って伸び、堕天使を絡め取った。
『——なっ!?』
無邪気な笑みが初めて歪む。
黒翼がばたつくが、棘の鎖が深々と食い込み、動きを封じた。
「バラの抱擁は、甘くなんてないでしょう?」
リヅは煙草を咥えたまま笑い、指を鳴らした。
「今だよ、仲間で決めな!」
その声に応えるように、三人の力がひとつになる。
ナヅキの長ネギ剣に、キサラギの光球が吸い込まれ、刃はまるで炎を纏った光槍のように変貌する。
ニシナの紫の瞳が最後の力を注ぎ込み、刃先に石化の呪を宿す。
「——これで、終わりだ!」
三人の叫びと共に放たれた一閃が、堕天使の胸を真っ直ぐに貫いた。
黒翼が悲鳴を上げるように砕け散り、無邪気な笑い声は、闇と共に掻き消えた。




