道標(1)
秋の夜。
寮のキッチンでは、ぐつぐつと湯気を上げる大きな鍋が食卓の真ん中を占めていた。
「んー……やっぱ鍋は正義だな」
キサラギが箸を伸ばし、ほくほくの白菜を頬張る。
「美味しい……!味付けも完璧。さすがネツレイさんだね」
ニシナが嬉しそうに微笑む。
「……別に当たり前だ。誰かさんみたいに“ネギ出して終わり”とかはしないからな」
ネツレイが冷ややかな視線をナヅキに向ける。
「おい、それ俺のことだろ。便利に使えんだからいいだろ。なっ、サラダ〜」
ナヅキが肩をすくめ、豊穣の天使が不満げにぷいと顔をそらした。
和気あいあいと鍋を平らげ、片付けのためにニシナとネツレイが流しに立つ。
そのとき、キサラギの端末が震えた。
「……リヅ先輩?」
画面に映る名を見て、キサラギは電話を取った。
「もしもし。……え? 大きい買い物の荷物持ち? ……またですか」
ため息をつきかけて、ふと笑みを浮かべる。
「……いいですよ。ただし条件つき。リヅ先輩がタバコ辞めるなら、付き合ってあげてもいいです」
電話の向こうからくぐもった笑い声が聞こえた。
キサラギは苦笑しながら応じる。
「いや、本気ですよ。体に悪いんですから」
そのやり取りに、隣でごろりと寝転んでいたナヅキが顔を上げる。
「ねぇ、今の女の子から? 可愛い子?」
「馬鹿」
キサラギが即座に切り返す。
その軽いやり取りにニシナの手が止まり、流しの前で小さく唇を尖らせた。
——チクリと胸が痛む。
思わずキサラギの服の裾をそっと引っ張る。
「……キサラギさん」
「ん?」
振り返る彼の横顔に、ニシナは頬を膨らませたまま視線を逸らした。
「……なんでもないです」
ほんの小さな嫉妬の仕草。
けれど、それに気づいたナヅキとネツレイが、にやりと笑みを浮かべていた。
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その夜。
秋も深まり、寮の窓から入り込む風はひやりと冷たかった。
寮の部屋にはベッドが並んでいるが、暖房は抑えられていて、掛け布団だけでは心許ない。
「……さみぃ」
ナヅキは寝返りを打ちながらぼやいた。
視線を横にやると、一番近いベッドにネツレイが静かに眠っている。
「……仕方ねぇな」
呟くや否や、ナヅキは毛布を引きずりながら、ずるりとネツレイの布団に潜り込んだ。
「……っ!? な、何してる!」
飛び起きたネツレイが慌てて声を上げる。
「寒ぃんだよ。お前の布団が一番近かった」
ナヅキは当然のように寝返りを打ち、肩口まで布団を被った。
「近いからって勝手に入るな! 出ろ! 俺で暖をとるな!」
ネツレイが布団を引っ張ろうとするが、ナヅキは頑として動かない。
「うるせぇな……俺だって好きでこんなことしてんじゃねぇ……寒いんだよ」
寝ぼけ混じりの声に、ネツレイの手が止まった。
苛立ちと同時に、ほんのわずかな同情が胸をかすめる。
「……っ、仕方ないな……! 今日だけだぞ!」
そう言って背を向けるネツレイ。
だが布団の中から伝わるぬくもりに、心なしか顔が熱くなっていた。
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翌朝。
「……うわっ!? 俺の布団に……よだれ垂らすなぁぁぁぁ!」
寝起きのネツレイの叫び声が、寮中に響き渡った。
「ん……? ああ……悪ぃ……なんか寝心地よくて」
まだ寝ぼけているナヅキが頬を拭き、平然と布団にしがみつく。
「平然とするな! 洗濯係はお前に決定だ!」
「へいへい……」
だるそうに返すナヅキに、ネツレイは顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
だが、どこか——ほんの少しだけ、昨夜より心が近づいているようにも思えた。




