堕ちた夜の契約者(1)
——街の夜が、裂けた。
ネオンの明滅に覆われた繁華街の裏路地に、黒い罅が走るように穴が開く。
そこから這い出したのは、粘液にまみれた黒毛の獣。牙を剥き、湿った臭気を撒き散らしながら、異界の気配を辺りに染み込ませていく。
「……またかよ。掃除してねぇ排水溝みてぇなヌメり方しやがって」
ぼさぼさの青髪をかきあげ、フードを脱ぎ捨てながら、少年は路地に足を踏み入れた。
その手に握られているのは、白と緑が混じる刀身を持った長ネギのような剣。刃が風を裂くたびに、鋭い音を夜へ刻む。
少年の名は——ナヅキ。
規律違反常習者と噂される契約者だ。
「よぉし、野菜不足の化けモンに栄養補給してやんぜ」
軽口に合わせるように、耳元で透き通った声が響いた。
ナヅキと契約した“サラダの天使”。声には厳しさと、不思議なほどの親密さが混ざっている。
『また単独行動か。君の魂は私が育てるんだ、勝手に削るな』
「はいはい。うるせえおかんだな。見てろよ、俺ひとりで片付けるから」
魔物が咆哮を上げる。粘液を撒き散らしながら跳びかかる巨体。
ナヅキは一歩踏み込み、長葱剣を振り抜いた。
緑光の軌跡が夜を裂き、魔物の腕をまとめて吹き飛ばす。
『深追いはやめろ! 援軍を待て!』
「待ってりゃ街が食われんだろ」
さらに二体、路地の奥から姿を現す。
だがナヅキは口角を上げ、残像のように駆け抜けた。
閃光とともに首を跳ね、返す刃で胴を裂く。
血も瘴気も纏わず、着地した足元のアスファルトだけが砕け散った。
「……楽勝すぎ。俺を縛る意味あんのかよ」
その時、耳元の通信機がノイズを走らせる。
冷え冷えとした声が、容赦なく響いた。
『ナヅキ……また独断専行か』
「いやぁ、すぐ終わったし。逐一報告なんて時間の無駄っすよ」
『帰還後、詳しく話を聞く。覚悟しておけ』
通信が切れる。
ナヅキは舌打ちし、空を仰いだ。
「チッ……どうせまたお説教タイムだろ。めんどくせぇ」
路地に転がる魔物の死骸は瘴気とともにゆっくりと消えていく。
ナヅキは長葱剣を肩に担ぎ、街灯の下へ歩き出した。
その背へ、冷たくも厳かな声が降る。
『ナヅキ。君の魂は、君だけのものじゃない。忘れるな』
答えずに歩く背中を、街灯の光が淡く照らす。
投げやりで、けれどどこまでも孤独な影だけが、夜の街に長く伸びていた。




