夜の訓練場にて(1)
寮の裏手にある訓練場は、夜でも淡い照明に照らされている。
ひんやりとした空気の中、模擬戦を終えたニシナは壁に背を預け、乱れた呼吸を必死に整えていた。
「……はぁ……やっぱり……体力がもたない……」
額には汗がにじみ、細い肩がわずかに上下している。
視線の先では、ナヅキとネツレイがまだ模擬戦の続きをやっていた。木刀と短剣が打ち合わされる音が、夜気を裂いて響いている。
そんな中、キサラギがふっと彼女の方へ歩み寄った。
「ちょっと休め。……ほら」
彼が向かったのは敷地の端に設置された自販機だった。
小銭を投入し、迷いなく押したボタンから、ゴトン、と小気味いい音を立てて缶が落ちてくる。
それを取り上げ、ニシナの前に差し出した。
「……いちごミルク?」
「ああ。甘いの、飲んでみな。疲れた体には効く」
ぶっきらぼうに見えながらも、どこか気遣う声。
ニシナは恐る恐るプルタブを開け、一口含む。
その瞬間、ぱぁっと顔が明るくなった。
「……甘い……! すごく、おいしい……!」
無邪気な笑みに、キサラギは一瞬、言葉を失った。
胸の奥に、過去の記憶が重なったからだ。
孤児院での食卓はいつも質素で、与えられるのは最低限。
その後の生活も、戦うための訓練に縛られ、甘い飲み物に触れることすらなかった。
放課後に駄菓子屋へ寄る。友達とジュースを飲みながらくだらない話をする。——そんな“当たり前”を、彼は一度も経験してこなかった。
ニシナも同じだ。
病弱で学校に通えず、友達と笑い合う時間もなく、いきなり天使と契約して戦場に立たされてしまった。
だからこそ、彼は願ってしまう。
(……せめて、この子には。俺と同じ、苦しみばかりを背負わせたくない)
缶を胸に抱え、嬉しそうに頬を染めるニシナを見て、キサラギは小さく息を吐いた。
その笑顔を守ることこそ、自分のできる最善なのだと、改めて感じながら。
「……冷たすぎると腹壊すぞ。ゆっくり飲めよ」
「はい……! ありがとうございます」
素直に頷いた彼女の微笑みは、夜の風よりもやわらかだった。
その一方で、訓練場の中央ではナヅキとネツレイが向かい合っていた。
木刀を握るナヅキに対し、ネツレイはスティレットを模した短剣を構える。目には互いに負けられない意地が宿っている。
「よし……この勝負に負けたら、洗濯係はお前な」
ネツレイが眼鏡をくいっと押し上げ、不敵に口角を吊り上げた。
「はぁ!? なんでそうなるんだよ!」
ナヅキが大声を上げる。
「やりたくねぇ! 押しつけんな!」
「俺は料理で忙しい。だからお前が洗濯。合理的だ」
「合理じゃねぇ! 横暴だ!」
言葉の応酬は次第に打ち合いに変わる。
カンッ、カンッと乾いた音が訓練場に響き、互いの武器が火花のようにぶつかり合う。
「……速いな」
ネツレイが息を詰める。
「洗濯免れたい一心で動きが冴えてるんじゃないか?」
「当たり前だ! 俺は自由な時間は多い方がいい!」
「それくらい我慢しろ!」
ナヅキが踏み込み、木刀で短剣を弾き飛ばす。
ネツレイはとっさに後ろへ跳び、汗を拭いながら新たな短剣を構えた。
「くっ……まだだ!」
「しつけぇ! もう負け認めろよ!」
「嫌だ! 絶対にお前を洗濯係にしてやる!」
まるで子どもの喧嘩のような言い争いが続く。
訓練場の隅から眺めていたキサラギが苦笑し、ニシナも思わず肩を震わせて笑った。
「……ほんと、仲いいですね」
「いや、あれは仲いいんじゃなくて犬猿っていうんだ」
キサラギが肩をすくめ、けれどどこか楽しげに笑った。
夜の訓練場。
風が吹き抜け、笑いと怒声が重なり合う。
それは戦場では見られない、確かに“青春”と呼べるひとときだった。




