穏やかなる嵐(2)
夕暮れ時。
天啓庁の敷地に隣接する寮は、建てられて間もないのか、廊下にはまだ木材の香りが残っていた。
広いリビングに集まった四人は、それぞれの性格が滲み出るように好き勝手に過ごし始める。
「さて……腹減ったな。肉食いたい」
ソファに倒れ込みながら、ナヅキが早々に言い出した。
その瞬間、空気がわずかに光り、サラダの天使がふわりと現れる。
白い衣を揺らめかせて手をひらりと振ると、テーブルの上に色とりどりの野菜や肉、さらには米袋まで、ぽんぽんと積み重なった。
「……っ!」 ネツレイが思わず目を剥く。
「な、なに勝手に食材を召喚して……!」
「おう、揃ったな」
ナヅキはにやりと笑い、面倒くさそうに伸びをしながら立ち上がる。
「じゃ、調理はよろしく。お前料理得意だろ?」
「はあ!? そこだけかよ!」
思わず机を叩いたネツレイは、それでも結局、エプロンを身に着けてキッチンに立つ羽目になった。
包丁がまな板を叩く小気味いい音。玉ねぎを刻むたびに漂う刺激臭。
熱したフライパンに油をひいた瞬間、ぱちりと弾ける音がリビングまで響く。
そこから広がる香ばしい匂いに、ナヅキは鼻をひくつかせた。
「……いい匂いしてきたな」
『鍋をかき混ぜる姿も、毒を練る姿と変わらんな。我が契約者よ……滑稽だ』
背後から毒キノコの天使がくぐもった声で囁く。
「うるさい!」
ネツレイは眉をひそめつつも、炒めた野菜に肉を合わせ、味噌汁の鍋に火を入れる。
やがて、リビング全体を満たすように食欲を刺激する匂いが広がっていった。
一方その頃——
キサラギはダンボールを次々とリビングに持ち込み、床に積み上げていた。
中から現れるのは、ポテトチップス、チョコ、キャラメルコーン……見渡す限りのお菓子の山。
「よし、これで半年は持つな」
「すごい……!」
ニシナは目を丸くし、思わず両手を合わせる。
「こんな沢山のお菓子、一度に見たことない……!」
メデューサの天使は長い髪を撫でつけながら、優雅に鏡を覗き込む。
一方、花火の天使はソファに寝転がり、もういびきをかいていた。
「おい……俺んちの寮、なんかカオスになってないか?」
ナヅキが呆れ気味に言うと、ネツレイが即座に振り返って睨みつける。
「お前が一番だらしない!」
やがて、テーブルの上に並んだのは、色鮮やかな肉野菜炒め、しゃきしゃきのサラダ、湯気の立つ味噌汁。
料理を並べ終えたネツレイは、汗を拭いながらエプロンを外し、眼鏡をくいっと押し上げた。
達成感の滲むその仕草に、思わず誰もが見とれる。
「おおっ!」
キサラギが歓声を上げる。
「めっちゃうまそう! ほら、ニシナ、早く座れ!」
「はいっ!」
ニシナは弾む声で席に着き、両手を合わせた。
「いただきます!」
箸を片手に、最初に口へ運んだのはサラダ。
しゃきしゃきとした歯ごたえに目を丸くし、頬をほんのり赤く染めた。
「……こんなに美味しい野菜、初めて……!」
病院食ばかりだった過去がよぎり、胸が温かくなる。
誰かと食卓を囲む喜びが、こんなにも違うものなのかと実感していた。
『ふむ、当然だ。我がサラダに不味いものはない』
サラダの天使が誇らしげに胸を張る。
『ほぅ……結局“生のまま喰え”ということか。手間のかからん退屈な料理だ』
毒キノコの天使が鼻で笑うように囁いた。
「そうか?俺にはネツレイの努力が見えるけど」
思わずナヅキがフォローに回り、ネツレイは思わず目を瞬かせた。
「……お前、今フォロー……?」
「別に。キノコがウザかっただけだ」
「……ぐぅ……」
小競り合いにキサラギが吹き出しそうになり、花火の天使はいびきを立て、メデューサの天使はせっせと髪を編んでいる。
騒がしくも温かな食卓。
その光景に、ニシナは小さな声で呟いた。
「……私、こんなの夢みたい」
四人と四柱の天使の、最初の夜。
笑い声と食器の音が響く寮の食堂に、確かな絆の始まりが芽吹いていた。




