接見準備
「第一班が狼と接敵したようだな」
チエバン・スペツナズを率いるガロッツィ少尉は山上に伸びる狼煙を見上げた。
「あれは一時撤退の合図、何人かは殺されているだろうな」
「十五人で包囲しても裏をかかれるということですか?」
副官であるジェイコプ軍曹はザ・軍人、ゴツゴツの岩の様な頭を剃り上げ、その耳は武道家にありがちな餃子耳、目は小さく唇は薄い、ゴーレムの様で表情が掴めない。
「やはり最大の脅威となるのは狼だ」
「新人たちには手に余る相手だと言わざるを得ませんな、ちと酷な気がします」
「仕方ない、スペツナズの席は決まっている、ここで脱落するようならそれまでだったということだ、対処方法はある、それを見つけられるかが鍵だ」
ガロッツィ少佐には対応策があるのか。
「後の二班はどうなりましたか、まだ合図はないようですな」
「まあ、神獣を直接叩くのは不可能だ、だがこれも糸口はある、小隊長ボロスは気付いていたぞ」
「ほぉ、頼もしい、奴は銃の腕は劣りますが目端が利く、この時代に生き残るのは意外に奴のような男かもしれませんね」
「銃の進化と共に戦い方は変わった、その力を生かせるものが勝者となる、刀一本で殴り込むだけの狼は古すぎる遺物だ」
「残り一班はくじ運が良かったということですかな」
「魔女など偶像だ、この世にあって信じられるのは鉄と火薬だけ、運がいいのも実力ということだ」
「イクシージ軍曹にとっては私怨となったな、しかしマリア軍曹とて手練れだったはず、意外や霧の魔女とは武人かもしれん」
「少しは手ごたえがなければ不公平というもの、期待したいところですな」
「さあ、我々も出撃の準備をしておこう」
「建国戦争が終わって幾星霜、腕が鈍っておらぬか心配です、何しろ儂も時代遅れですからな」
「今回ばかりは最新鋭が有利とは限らんかもな、狼を凌駕するのはやはり狼なのだろう」
「若きスペツナズが駄犬でないことを祈ります」
猛禽類の視力は上空三百メートルから鼠を認識でき、紫外線まで見えているという、では猛禽が鳥類最高かというと違う、答えはダチョウだと言われている。
ダチョウの視力は一万メートル先を識別できる、これは五十メートル先の蟻が見えると同義だ、神獣は鳥類といっていいのだろう、その視力はどうか、ムトゥスの視力は上空一万メートルから人を識別する、更には紫外線まで感知する第四の色覚を備えている。
人を拒絶する神の山の頂上を遥かに超える高空を青銀の翼は翔けている、地上からは姿を捉えることは不可能だが神獣ムトゥスの目は地上の出来事をつぶさに見ている。
神獣と人類の接点は神獣神官のみ、余程の気紛れがなければ人前に姿を見せることはない。
この地、アコンガ山の三合目あたり、それでも海抜は二千メートルを超える丘に神殿はあった、白樺の明るい林を抜けた先に洞窟が奥へと続いている、巨大な柱の様に半円形の岩が天井を支え、地表は砂地。
平たい石を敷き詰めた丸い舞台に鳥居と椅子が置いてあり、その場所だけは天上が無く吹き抜けになっており、太陽の光が祭壇を照らしている。
接見が許されるのは神獣が認める者だけだ、過去にもこの神殿を狙って侵入を試みた者たちはいたが生きて出られた者はいない。
洞窟を探しだすだけでも難しい、道はなく地表は笹に覆われ同じような太さの白樺の林は人から方向感覚を奪う。
路程の目印は稀に出会う岩だ、神獣神官は正確に岩の特徴を記した地図をもっているからこそ辿り着ける。
神獣神官はノーマンの隣領であるバーモントの聖教会に勤務している、月に一度の接見には警護も含めて五人のパーティーでキャンプしながらの登山だ。
日程は安全のため公表されていない、羽根一枚でも換金できる神獣を狙うものはいるからだ、さらに狂信的な信者の中には神官の座を奪い取ろうと画策する輩もいる。
神獣神官ライリー・スミスは警戒を怠らない。
「明日です、明日出発します」
「はっ、承知いたしました、武装はどういたしますか?」
「全員完全武装、獲物は個人の選択に任せますが、これだけは確かです、今回の相手には人間も含まれます!」
「神獣様の予言ですね、人間とは珍しい、いや人間もおっしゃった、なら人外も含まれると覚悟いたしましょう」
「敵となるのは獣、果ては悪魔、いずれにしても剣や弓が通用する相手であることは間違いないのですから」
神官のテーブルを囲むのは護衛兼シェルパの男たち、いずれも屈強と絵にかいたような容姿、日焼けした肌に適度な脂肪が乗っている、肩から腰までが丸太のようだ、逆三角形の上半身は見てくれは良いが実際には適度な脂肪が激しい動きには必要だ、それは持久力、二時間や三時間という単位ではなく週や月を跨ぐ活動で生き残るためのエネルギーの備蓄、さらに格闘においても身体を支える肉となり、衝撃を和らげる緩衝材、打撃の威力を増す錘となる、実戦は体重制限があるわけではない、いつもベストな状態であるとも限らない、自分よりも優位な相手、不利な環境でも生き残れる力が必要だ。
神獣との接見には危険が伴う、それも命がけの登山になる。
神官隊は毎回その危険に挑まなければならない、神獣の予言を得るためには高いリスクがある、ホーガンにはお茶飲み話のような気軽さで話したが、そこへ辿り着く過程には厳しい試練を越えなければならなかった。
チェバンは知らない、自分たちが狙っている目標を取り巻く環境が如何に危険であるか、そして追う者も等しく餌になりえることを。
異世界に新天地を求めた生命が其処にはいた。