瘟鬼 シックファージ
今日の患者は他市からやって来た貴族の令嬢、まだ七歳の女の子、貴族が魔女に助けを乞うなど人に見られれば失脚しかねない、カタギの人間の患者が少ない理由でもある。
「魔女様!どうか!どうか娘をお助け下さい」
涙を流して懇願する夫人の追い詰められた態度から令嬢の切迫した病状が伺える。
早くも謝礼の金を渡そうと巾着袋を握らせてくる、約束より随分重いようだ。
夫人と違って夫である当主は猜疑心と嫌悪感を隠そうとはしない、まるで信じていないのか娘を助けたくはないのか。
下調べでは善良な領主だった、危険な犯罪組織や教会の異教弾圧思想に傾倒している様子もなかったので引き受けた案件だった。
窓口での聞き取りで病名はあたりが付いていた、血液のがん、灰血病だ。
一回で食い尽くせるか病気の進行状況次第、さらに病巣を取り除いても直ぐに常人のように生活出来るわけではない。
「夫人、娘さんの名前は?」
「あっ、アリス!アリス・ドゥ・ラ・ゴードンです!」
「おいっ、よせっ!!」
夫人が本名を名乗ってしまったことを当主が咎めた。
「ご安心ください、ご当主様、個人情報の厳守はソーン・シティに住まう者なら当然心得ています」
出来るだけ丁寧な口調でゆっくりと声にしてみた、だが外見どおりに私の声には可愛げがない、脅しに聞こえたのかもしれない、当主の表情が更に強張る。
繕っても仕方がない、今は少女の病だ。
「ふぅ」と溜息にもとれる息を漏らすと私は少女に向き直り集中する、早く終わらせて帰ろう、額に手を当て病巣を探す……
いるいる、全身の血液中に灰血が蠢いている、全て引き剥がして喰らう!
「瘟鬼!シックファージ!!」
声にせずとも発動出来るが傍に依頼者がいる時はパフォーマンス的にこうしている、少し恥ずかしいのでやめようか迷っているところだ。
額の中央から一本の光の角が伸びているのが素質のある人には見えただろう、瘟鬼の角、ろ過装置といっていい。
瘟鬼とは病をもたらす鬼、私の中に巣くう人ならざる者、私はそれを従えた、他人の病を瘟鬼に喰わせる、それが私、霧の魔女キリアの能力。
急性の病は根が浅い、引き剥がすのは難しくはない、が!
「くっ!」呻き声が漏れる。
少女から引き剥がし取り込んだ灰血病が苦痛を私にもたらす、瘟鬼が食い尽くすまで全身の痛みと倦怠感、発熱が続く、それは灰血を引き剥がすまで少女が耐えていた苦痛。
瞳孔が開き、黒衣をすり抜け瘟鬼が消化した灰血が霧となって視界を曇らせる。
病を茨の棘にして、その痛みごと喰らい霧に変える、それが瘟鬼・シックファージ。
瘟鬼の不満が聞こえる、またこれかと言っているようだ。
苦痛が過ぎ去るまで数分、瘟鬼の角が灰血病の濾過を完了する。
灰血病はもう数件経験しているから濾過が早い、それに少女は小さく内包する病巣の総量は少ない、これが体重百キロの戦士ならもっと時間が必要だ。
ツーッと汗の雫が額から頬へと線を引いたころには痛みは消えて身体は通常運転に戻っている、傍目には少女の額に手を当てただけに見えているだろう。
静かに頭を上げると背筋を伸ばして当主と夫人に向き直る。
「終わりました」小さくお辞儀をしてみた。
「えっ!?」あまりに呆気ない、夫人と当主は顔を見合わせる。
「娘の病は治ったのですか?」
「正確に言えば治ったのではなく、いなくなった、です」
「それがどう違うのだ!?いい加減なことを言うと許さんぞ!」
当主は腰に剣を装備している、抜かれては女一人で対抗する術は……
「あなたっ!!アリスが!」
「!?」
苦痛に苛まれていた少女は安らかな寝息をたてている、その顔には血色が戻り全身から腫れと浮腫みは消えて少女らしい肌を取り戻しつつあるのが素人目にも見えた。
「これは!本当に魔女の力なのか!?」
当主が振り返る前に私は立ち去るために馬車の扉を開く。
「!」
そこに待っていたのは……貴族の私兵たちだ、既に抜剣した男たちが五人もいる、目的はひとつ、魔女である私を殺す事。
魔女と関わった事を隠すために口を塞ごうというのだ。
ドカッ 「あうっ」 ドシャアッ
不意に後ろから背中を蹴られて馬車から転げ落ちて地を舐めた。
クソッ、足蹴にされるなんて何年ぶりの事か、怒りで視界が歪む。
「なにするの!女を蹴るなんて!」
「笑わせるな!魔女め、ここから帰す訳にはいかん、貴様には死んでもらう」
善良な領主とはとんだ見立て違いをしたものだ。
「あなた、止めてください、その方がアリスを助けて下さったのですよ!」
夫人は真面だったらしいが当主は止める声を背にしたまま馬車の扉を乱暴に閉めるとその足を地面に降ろした。
「魔女が由緒あるゴードン家の娘を助けたなどと言い触らされては家紋に傷が付くというもの、貴様の力が本物なら余計に生かしてはおけん道理だ」
「貴族様が言いそうな汚い道理ね、街のゴロツキ共の方がよっぽどマシだわ」
黒衣に付いた土を掃いながら立ち上がる、蹴られて擦りむいた掌と膝から血が滲んでいた。
「どうした魔女、そんな傷如き直ぐに治せるのであろう?」
スラリと腰の剣を抜くと切っ先を私に向けてくる。
「あいにく私は内科専門、血は苦手なの、出来れば美しい物だけを見て暮らしたいものだわ」
言いながら後退り距離を取るが後ろには私兵が壁を作っている、逃げ足には自信がない、絶対絶命だ。
「さあ、次はコウモリにでも化けるのか?この剣に抗う術があるなら見せてみよ」
コウモリはドラキュラじゃないか!
「子爵様、よく見ればそこそこ美形、売ればそれなりの金になるんじゃないですか」
私兵の一人がいやらしく口元を歪めながら距離を詰めてくる。
そこそこ美形とは更に失礼だ、そこは超絶美形の間違いだ、いや美的感覚の違いか。
「黒髪など需要がない、構わんから殺せ、遺恨の種は残すな!」
「ちっ」これじゃまた彼の世話になることになる、ますます頭が上がらなくなる。
「仕方ねえ、子爵様の命令だ、大人しくしてれば痛くなく殺してやる」
男がナイフを構える、狙っているのは・・・肝臓、返り血を嫌っての事だろう。
スウッ にやけていた男の気配が変わる、来る!!