拝啓、なろう様。作品の多様性は改善されましたか?
自分は率直に言って、読者に都合のよいことばかり言って人気取りするようなことはしません。
読者に愛想よくして得た人気なんて偽物でしかない。私を嫌ってくれて構わない。
きちんと自分が関係している人々のことも考えられる読者が増えれば、そんな気持ち。
せめて参加している場所についてしっかりと、実情と今後について考えていただきたい。
なぜ似たり寄ったりな内容のものであふれるのか? それは評論家気取りで流行に乗らない作品に厳しい評価を付け、結果としてそうした作品が書かれるのをつぶしているからでは?
私はいつも読者様に「もっと作者に寄り添って」と申し上げている者でございます。
ですがどうも評価や感想の問題になりますと、読者様は「自身の権利を脅かされる」とでも思うのか、作者に対して厳しい視線をお向けになられるようでございます。
いえいえですが私は何も「すべての作者に」、などと申しているわけではございません。
私が申し上げたいことは、作品をもっと自由に。多くの創作の可能性を形にしてほしい。そう申しているのでございまして。
読者様の評価の基準や、星の数に文句を言っているのではございません。
──ただし、プロの作品と比べてけちをつけるような方には、自分の考えを改めるように、と申し上げざるをえませんが──
読者様がなろうの流行しか読まず、評価しないとおっしゃるのでしたら、私は何も言いません。
あなた様の読みたい作品はランキングにあるでしょうし、自ら何か新しい作品はないか、などと探しにいかずとも、ランキングをのぞけばそこにあるのですから。
わざわざランキング以外の作品を探そう、などとなさらなければよろしいのです。
私がいつも問題にしておりますのは、流行もの以外の作品と、それを書いている作者についてでございます。
よろしいでしょうか?
なぜ彼らは読まれる機会の少ない小説を書いているのでしょう?
それはつまり多くのなろう読者様とは違う、コアな読者層に読んでほしいと願っているのでございます。
ならば、そのような流行に乗らない、読まれない作品に対して、読者様はあまり過度な期待をせず。「どんな作品か評価してやろう」などと身構えずに、あえてそうした作品に目くじらを立てずに目をとおしていただきたいと、そう思っているのでございます。
ただでさえ読まれにくい作品に対しわざわざ低い評価などを付けて、「作者を応援している」などと言ったところで、それは作品の更新を止める結果になるかもしれない。そう申し上げているのでございます。
もちろん読者様にそんな意図はないし、作者にだって低い評価でももらえるだけうれしい、そう言う作者もいますでしょう。
しかし現に、評価をもらえなかったり。もらえたとしても三桁に届かないような結果に傷つく作者もいるのが現実でございます。
(そうしたことがあるとしても、自分の信念に従って評価をするというのなら、それを止めることは誰にもできません)
なろうの流行に乗らない作品がなぜ増えないのか? 私はそのことにもっと注意を払ってほしい、と願っているだけなのです。
さて、そのことで一つおうかがいしたいことがございます。よろしいでしょうか。
評価に文句を言うな、といった随筆を読んだことがございます。
そうした一つ一つにとても意味があると思うのですが、──私には腑に落ちない点がいくつかございまして。
なろうの流行作品以外が少ない理由。
そこには読者様の責任がまったくないと言えるのでしょうか?
作者がもっといいものを書けば、それが評価されるのでしょうか? ──私はそうは思いません。
すでにすばらしい作品は書かれていますが、それが評価されていない現状はいくつも見ました。
そうした作品の多くは更新が停止し、作者もまた新たな作品を書くことを止めてしまうのです。
その原因はやはり、流行ものだけに高い評価が付き、流行でない作品には評価が得られにくいからではないでしょうか。
(作者も人間です。ブックマークも増えず、PVも増えない作品を書きつづけることに耐えられなくなるのかもしれません)
そこで不思議なのは「評価に文句を言うな」とか、「読者の出した結論が正しい」とするような意見の不思議でございます。
その読者様が選び取った結果が作品の偏りに現れているのだと言うのなら、それはあまりに多様性に欠け、自由のない創作でございましょう。
それはまるで受刑者のように、刑務官から指示されたことだけを繰り返すような、刑務作業での製品作りのようでございます。
そしてもう一点。
そうした読者様に寄り添った随筆を書かれる人は、どういったお立場の人でしょうか?
まさか流行ものの作品しか書かないような作者が、他人様の評価に口を挟むなと申しているとしたら、これは不思議なことでございましょう。
自分は「読者に読まれやすく、評価を付けてもらいやすい作品」を書いておきながら。流行もの以外を書いている作者を追い落とそうとするようなまねをして、自分は清廉潔白だとでも言うのでしょうか。
それは自分は評価を欲した作品を書いているのに、他人には「評価を欲しがるな」などと言っているようなものでしょう──
目の肥えた評論家様が評価を付けていれば、なろうにはたくさんの良質な作品であふれるようになる?
小説家になろうがはじまって何年になるでしょうか。
そうした意見のとおりになりましたでしょうか?
いずれにしましてもなろう様。読者様がた。
作品の多様性は改善されましたか?
こういったエッセイを書くと「そんなに評価ほしいのか」みたいに煽る人がたまにいるけど、読解力がなさすぎます(多くの報われない作品について問題にしています)。
こんなエッセイを書いたって、書いた人の作品に評価が付くわけでもないし。それでもなんで書くのか、そこを理解しないと気づけないんですよね。
なろうはいまのままいけば将来、「創作の墓場」って言われるかもしれませんよ。
異論、反論ご自由に。
何か思うところあればどうぞ遠慮なく。