なやみやみ藤木ねみ
あの日、オレの毛髪が世界からログアウトして1週間が経った。
なんとか近場のデパートで6万円もするカツラを買った。
6万円でもどうやら安いようで、取ってつけた感が否めない。これ、周りにバレないだろうか。未だニット帽は必須である。
今日もなんとか大学を乗り切った。なまじ顔が目立つから、オレはとにかく冷や汗をかく大学生活を過ごしていた。明日から休みであることが唯一の救いだ。
なんというか、あの日から人の視線が怖くなってしまった。オレはこの先どうしていけばいいのだろうか。
……やめだ。ネガティブなときは推しVtuberのASMRを聴くに限るんだよ。これ聴いても髪は生えないけど。あ、耳ふーだ。やめろカツラが飛ぶだろ。
ああ、だからダメだって。……結構メンタルがやばい。鼻根にシワがよってる気がする。きっと強面に拍車がかかってる。だから誰も話しかけてくれないんだ。いや、正確にはもう、誰も話しかけてくれないかな。記念すべき大学での会話第一号は以下の通りである。
「君、山下クンだよね?良かったらLEIN交換して……ッ!!ご、ごめん!気を悪くしたならごめん!!」
こんな一幕があったくらいだ。オレ、なんも言ってねんだけど。そっち見ただけなんすけど。もうしんどいわあ。グループワークあったらどうすんねん。つか会話じゃねえじゃん。
あーあ、こちとら髪失っとんのに、なんもなしですか神様。もう引きこもっちゃおかな。だって何もやる気わかないもん。髪抜けるのに外的要因?無いわんなもん。髪は抜ける。これは自然の摂理なんだ。あーアガペアガペ。もういっそ坊さんなるか。クォーターの坊さん、物珍しいだろ。取材とかされるのかな。だめだ全国にバレる。友達にバレてバカにしてきたりしたら許せねえよな。火葬送りにしてオレはムショ送りってか。あー、笑えねー。
フローリング張りの六畳一間でゴロゴロと転がる。回る思考は全く意味のない現実逃避ばかりで、延々と続く。
ぐぅーっと腹がなった。気がつけば夜も深くなり、夜飯を食べていないことに気がついた。
腹減ったしうどんでも食うか。あ、ネギ切れてる。買い行くかー。
いつの間にかに一人暮らしの相棒となった冷凍うどん。そのネギが残り少なくなっていた。近場のコンビニへ買いに行こう。
ケンマは絶対うどんにはネギがいる派であった。ケンマはおもむろにカツラをつけ、ニット帽を被り、位置を確認した。そしてドアを開けると、通りがかる女性がいた。
黒い髪を後ろに束ねた若い女性だ。背丈は155cmくらいで、髪の隙間から左耳にピアスが4つほど見えた。しっかりと軟骨にも開いているようだ。顔は分厚いめがねをかけていてよく見えない。鼻筋は通っていて薄い唇をしていることから、結構な美人ではないかと推測できる。コンビニ帰りなのかコンビニ袋を持っている。上下ジャージでおしゃれには無頓着といった感じだ。
「……こんばんわ」
「……ども」
立ち止まる彼女。初対面であるし、少々気まずい雰囲気が流れる。あまりご近所さんには会いたくないものである。特に学生アパートなんてご近所トラブルの巣窟であるし、お互いに気を使う分、鉢合うなんてなおさらめんどくさいのだ。
「あ、えと、103の山下って言います。今年から大学入ってきまして……。挨拶遅れましてすみませんね」
「……。102の藤木です。……」
この人が藤木さんか。この人、ベランダでタバコ吸うから服臭くなるんだよなあ。いつかクレーム入れてやろって思ってたけど怖い人だったらやだなぁとかひよってやめたんだ。顔初めてみるけどピアスすごいな。現実的なメンヘラ地雷系って感じだ。時々隣から聞こえるドン!ドン!と机を叩くような音はなんだろうか。結構やめてほしい。
意外と綺麗な声をしていた。それだけ?まあ、通りすがりだしね。それにしても、頭に視線を感じるんだが……。もしかしてバレてる!?
「……えっと、まあ、よろしくお願いします?」
「……」
じっと無言で舐め回すように顔というか頭を見てくる藤木さん。冷静を装いつつも少し不安になってきたケンマは、この人は危ない系だなと断定することにした。
(あんまし近づかないようにしよう……)
「そ、それじゃ僕、ネギ!買うんで!しかも刻んでる方のネギ買ってくるんで!失礼しますー!」
「あっ……」
少し早歩きで近場のスーパーへ向かう。チラリと後ろを振り返る。藤木さんはまだ、こちらを見ている。
(……あの人ちょっと怖いかも)
このアパートに住んで1週間と少し。初めての住人との邂逅はなんとも気まずいものであった。だがしかし、1週間で初めて会ったのだ。今後会うようなことはあまり無いだろうし、仲良くなれるタイプではなさそうだ。そもそもそんな余裕はケンマにはなかった。
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少し値上げされていたネギを購入して、ケンマは家に向かっていた。
(10円の痛みは大学生にしか分からないんだ……)
よく無いことは重なる。これはケンマの持論であるが、それは良く無いことを見つけるメンタルが原因であって、普段から起きているのだ。落ち込んだ時は全て自分が不幸に思えて、その不幸材料を集めてしまう。日常において些細な変化すら不幸に変換してしまうのだ。ケンマはここ1週間そのるつぼにハマっていた。
よく無いことは重なる。弱ったメンタルは時に本当の不幸を寄せ付ける。ケンマがうつむきがちに歩いていたのが良くなかったのか。
時刻はもうすぐ23:59を跨ごうとしている。横断歩道の真ん中で、ふと上を見た。赤信号が爛々と光って、点滅している。そういえば、ここの信号は押しボタン式の信号だった。意味があるのかわからない信号機はよくあるものだ。
あまり広くない道路で、街灯も遠く薄暗い。月の方が明るく感じる。そんな中、急激に光が近寄ってくるのに気がついた。
あっ。
口からこぼれた霞んだ声は驚嘆を表すには儚いし、あまりに小さかった。ああ、よくある話だろう。
ヘッドライトが近づく。ああ、次の瞬間にはおれは死ぬのかもしれない。回避するには間に合わない。恐怖から目を閉じ、左手を咄嗟に突き出して、衝撃を少しでも軽減しようとする。
しかし、いつまで経っても衝撃はこなかった。
……夢でも見ているのかな。
車が宙に浮いていた。
突き出した左手の10cmほど先で、ブブブと不気味な音を発しながら、ブロック状のノイズのようなものが平面的に浮き上がっている。時々緑の何か、視覚的に表現のしずらい、細かな数列が浮かんでは溶け、浮かんでは溶けて消えていった。
ケンマは目の前で起きたことが信じられず、何度か目を擦る。右手には刻みネギ、左手は浮かぶ車。運転手はどうなっているだろう。
左手をゆっくり下ろすと車もゆっくりと着地して、その中を見る。運転手は寝ているようだった。軽自動車であり、20代前半であろう男性だ。状況から見て居眠り運転であるが、被害者も加害者もいない。謎の現象が残っただけである。
アクセルを踏んでいると困るので、壁向きに車を設置して俺はその場を後にした。ドンッと背後で音がしたが、知ったことでは無い。そんなことはもはや頭に無い。
あの奇妙な感覚は、なんだったのだろうか。現実の中にありながら、まるでゲームのような感覚。自分が自分でなく、主観と客観が入り混じったような感覚。目の前で見た現象はケンマの目に焼き付いて離れない。はて、俺は超能力者だったのだろうか。熱に浮かれた虚脱感と共にドキドキして、ふらふらと家まで帰った。
——そう言えば、鍵をかけ忘れていたな。まあ大丈夫か。
よくある話が、一気に現実味がなくなった。ここは、いつも俺がいた日常だろうか。その日は疲れたのか、数日ぶりに何も考えずに眠りにつくことができたのである。
だーれも見とらんかも。孤独な闘いは僕もです。
みなさんどんな酒が好きですか。僕はウイスキーとビールですね。6畳一間はずいぶん慣れました。実際飲みながら書いてましたし。
誰かッ!!誰かいないのかッッッ!?
…..考えてある物語はこれからなんで。呼んでくれたら嬉しいなって感じです。なかなかGW明けで堕落しそうなところではありますが、お互い生きていきましょう。