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エッセイ 2

良いボケ方、悪いボケ方

作者: NOMAR

(* ̄∇ ̄)ノ 奇才ノマが体験を語る。


( ̄▽ ̄;) ノマの家族はネタにすると、リアリティが無いとか言われたりするんだよネ。


 2022年末、祖母が亡くなった。

 老人ホームの中でコロナに感染した。病死ではあるが年齢から見て寿命とも思える。

 それで私は葬式に出たのだが、これが驚くほどに何も思うことが無かった。

 父方の祖母の死に対して、私は通夜も葬式も出たのだが、面倒だな、くらいにしか思わなかった。我ながら薄情だな。


 母方の祖母の葬式の方がまだ寂しさを感じたように思う。

 同じ祖母でありながら、父方の祖母と母方の祖母でまたずいぶんと感じ方が違うものだ。


 どちらの祖母も高齢からボケてきていた。二人ともボケてきたことで、晩年には外面を気にすることも無く、本音で思うことを思うままに言っていたのかもしれない。


 母方の祖母は、明るくよく笑う人だった。

 ボケてきて、


「飯はまだかい?」

「おばあちゃん、さっき食べたでしょ」


 というやり取りをリアルで目の当たりにした。天然というか、かわいらしいおばあちゃん、という感じの人だった。

 母方の実家は遠く私はあまり会いには行けなかったが、施設には他の孫や親戚がよく会いに行っていたという。


 私が久しぶりに会ったとき、ボケてきたというのに何故か私の名前を憶えていたことには驚いた。

 会えたことを嬉しそうに笑い、そのとき施設で書いた新年の書き初めを自慢気に見せるところは少女のようでもあった。歳をとると子供になる、というのはこのことか。

 お寿司を持って行くと美味しそうに食べ、そこを施設の人に見つかると慌てて口に押し込み知らん顔をして、施設の人に、


「おばあちゃん、晩ごはん前に何を食べてるんですか?」


 と怒られたりなど。ついでに私も怒られる。

 いや、エビが食べたいと聞いていたもので。

 母方の祖母は素直で明るい性格で、施設の職員にも可愛がられていた。母方の親戚、孫などよく面会に来ていた。大部屋の他のご老人が、羨ましいと言っていたのを憶えている。

 母方の祖母は、人と仲良くするのが上手な人だったと思う。


 かたや父方の祖母というのは、気位が高く困った性格の人だった。

 人を見たら泥棒と思え、という言葉があるが、ボケてからは誰を見てもドロボードロボーと言うようになった。

 祖母が施設に入ったのもドロボー発言が理由だった。


 父方の祖母は愚父の家でホームヘルパーに面倒をみてもらっていたのだが、そのヘルパーさんにドロボードロボーと言い濡れ衣を着せてしまった。

 これが警察が来る騒動にまで発展し、『あなたのとこのおばあちゃんは面倒みるのムリ』とヘルパーさんに断られた。そして、施設に入ることに。

 その施設でも大部屋では他人とトラブルを起こしてしまい個室に移動する。

 もとから人と仲良くする才能、というのが皆無だったのだろう。

 人と一緒に暮らす、ということのできない性格だった。


 孫である私が施設に見舞いに行ったときに、この父方の祖母から聞いた最後の言葉は今も憶えている。


「二度と顔見せるな」


 これはエッセイ『憎み愛、家族』のネタにした。


■心理的特権


 心理的特権とは人の持つ9つの邪悪な心理特性のうちの1つ。邪悪な心理特性とはダークファクターやD因子とも呼ばれる、人の心の暗黒面とも言えるものの特徴を9つに分類したもの。その中の1つが心理的特権意識。

 他人よりも自分は特別であるという思い込みのこと。

 

 この心理的特権意識が強い人というのは、自分にだけ許された特別な権利がある、と思い込むようになる。例として、


『自分は他人に嘘をついて騙してもいいが、他人が自分に嘘をついて騙すのは絶対に許されない』

『私が私以下の人をイジメても許されるが、私がイジメられることはあってはならない』

『お前のものは俺のもの。俺のものは俺のもの』


 時代劇の悪代官や、物語の序盤において主人公チームにやっつけられる悪役のような人物。

 まるで人を不愉快にさせる為だけに生まれてきたようなキャラクター。勧善懲悪の物語においては、こういう人物とは役割や立場を変えて何度も登場する。

 この悪役に適した人物がイメージしやすいのは、リアルでもわりと存在するからになる。


 このての人物とは、自分以下と見下した相手には何をしても許されると考える。なので礼を言うことも無いし、謝罪することも無い。

 一方で自分より権力を持つ相手にはやたらとペコペコしたりする。


 インターネットが普及した現代では、この心理的特権意識の強い人物の発言や行動が悪目立ちするようになった気がする。


■私から見た父方の祖母


 私の父方の祖母とは、お嬢様育ちで戦後成金。戦後の方が豊かに暮らしていられた、という人だった。大正生まれであり家を大事に、という考え方の人だった。


 これは家族を大事にするというものでは無く、家業や家督を大切にするということ。家の存続のためには家族を犠牲にしてもよし、という考え方。

 家業を継ぐ長男を大事にする長子相続を当然とし、次男は長男に尽くす者として扱った、と愚父の弟から聞いたことがある。


「次男は長男の下僕か奴隷であるべき、というのが当たり前という人だった」


 私の愚母はこの愚父と祖母からイジメられすぎて頭がおかしくなった。そして信仰する宗教へとますますのめり込んでいった。

 そんな愚母は最近では私に、


「私が死んだら一緒に死んでね」


 と言い出して来るようになった。


 父方の祖母とは、なにかイヤミを言わねば気が済まない性格。嫁イビリの天才。死ぬまで人に嫌われる努力を続けた人、であったように思う。

 その努力の成果から晩年は孤独に過ごすことができたようだ。


■日記


 葬式の後日、祖母の日記でまた一騒動が起きる。残した日記が事の発端になるなど、まるでミステリーのようだ。


 この日記、タイトルをつけるなら『恨み言日記』になるだろう。

 大事に育てた長男に裏切られ島流しにされた、などと書かれている。祖母は施設に入れられたことを島流しと例えていた。

 日記に書かれているのはまとめると。


『家族も親戚も、年寄りを敬う気持ちが無い。私がこんな目に会うなんて間違っている。親は大切にするべきなのは人として当然のこと。なのに、どうして私の子と家族はこんな冷たい人情の無い人でなしになってしまったのか』


 だいたいはこのような感じになる。

 いや、誰しも自分をバカにするイヤミばかり言う老人とは、顔を合わせたく無くなると思うのだが。

 祖母が施設にいるとき、着替えを運ぶなど面倒を見ていたのは愚父の弟の嫁だった。一番近くにいたから、ということで嫌な役目をすることになってしまった。


 この次男の嫁が祖母とよく顔を合わせることになる訳で、イヤミと愚痴を一番聞かされることになってしまう。

 そしてこの祖母の日記でも、よく顔を合わせる次男の嫁のことが多く書かれることになる。

 姑を敬う気持ちが無い、とか、洗濯物の畳み方がなってない、とか、私の息子に嘘を吹き込んでいる、とか、あの女が育てたから孫はおかしくなった、とか、孫は私が引き取って育てたら良かった、とか、ドロボーとか。


 これを目にした次男の嫁は怒り心頭に。

 他に近くに頼れる人がいないからと、これまで仕方無く面倒を見てたのになんて言い様だ。バカにされながらもいろいろとしてあげていたのに、感謝の言葉も無いどころか、なんで私がここまで言われないといけないのか、と。


 人は死ねば仏と言ったりするものだが、死んだ後にもこれほど人を怒らせるものを残すとは。この祖母が続けていた、人に嫌われる努力は本物だったな、と改めて感心した。


■家庭裁判所


 そしてこの祖母の心理的特権意識の英才教育を受けた愚父が、事態を更にややこしくする。

 祖母の遺産は全部、長男の自分のものだと言い出した。長子相続を当然とした考え方であり、現在の法律など考慮外だ。

 これで揉めるのがイヤな次男はトラブルを回避するべく諦めかけたが、次男の嫁がそうはいかない。

 少しでも取り返さないと気が納まらない、と抗戦の構え。

 これはまた家庭裁判所か? と、私はちょっとワクワクしている。 

 

 私の愚父と愚母が離婚するときは、家庭裁判所にお世話になった。離婚調停で揉めたものだ。

 このとき離婚調停の結果に愚父に請求された慰謝料は、2000万円。

 この金額で愚父と父方の祖母がなにをやらかしたか、具体的には書かないが想像できるのではないだろうか?

 ちなみに、離婚調停のとき、私は愚父の弁護士と少し話をする機会があったのだが、その弁護士は疲れた顔でこう言った。


「やらかしたことが酷すぎて、弁護のしようが無い……」


 ちなみにこの慰謝料、愚父は金が無いと言い未だに払っていない。既に慰謝料の時効は過ぎているので、払う義務も無くなった。


■二人の祖母の違い


 さて、この二人の祖母、違いはどこにあるのか。

 かたや面会によく孫や親戚が来る賑やかで明るい晩年。かたや会いに来る人も少ない中、恨み言を日記に綴る孤独な晩年。

 性格の違いと言ってしまえばそれまでだが、性格のいいも悪いも現れるのは言動に行動。

 人は自分の性格の悪さに自覚があれば、外面を取り繕うこともできる。私も自分の性格はあまり良くないと分かっているので、それなりに気をつけて暮らしている。

 表に出た言動から性格の良し悪しとは判断されるもの。


 言動に現れるこの二人の分かりやすい違いとは、


『ありがとう』と言ったか言わないか。


 ひどく単純で簡単なこと。


 母方の祖母はベッドから車椅子に移動するにも、補助してくれる施設の人に『ありがとね』と言っていた。

 父方の祖母はというと、金を払っているのだから仕事をして当たり前だ、というのが態度に出ていた。

 どちらが人と上手く付き合っていけるか、どちらが他人とトラブルを起こさずにいられるか、実に分かりやすくその身で教えてくれた。


 しかし、こういったことも学ぶ機会を得られぬままに歳を取る人がいる。そういう人が、頭を下げれば負け、謝ったら死ぬ病、となってしまうのだろう。

 死ぬまで自分は間違って無い、と思い込むことができれば、それはそれで幸せなことかもしれないが。


■納骨

 

 父方の祖母の遺骨を墓に納めるとき、私が呼ばれることになる。

 愚父は脳出血で倒れて以降、手足にマヒが残り杖を突かねば歩けない。墓石を動かして骨壺を納めることができそうに無い。

 私は父方の親戚と会う機会もこれが最後かもしれない、と思い手伝うことにした。


 骨壺を持ち墓まで向かう途中に思い返したことがある。

 愚父が脳出血で倒れ救急車で運ばれた、このことを祖母が聞いたときのこと。人伝てに聞いた話だが。


『親孝行を忘れ、人の情を忘れたからバチが当たったんだ』


 と、祖母が喜んでいたという。自分の息子が脳出血で倒れ、入院し、手足に麻痺が残ることをいい気味だ、ざまあと。

 そんな身内の不幸を喜んでいた祖母が、残した日記で自分の息子たちがギスギスしているのを、あの世から笑って見ているような気がした。


 墓に祖母の骨壺を納めるとき、私が墓石を動かしていたときのこと。

 近くで見ていた親戚は、ロウソクはそこじゃない、花瓶の向きが違う、まったく気が利かない、と口ばかり出して手を出さない。見てないで手伝ってくれても良さそうなのだが。

 私は祖母と血縁はあっても既に戸籍は抜けている。なのに何故、私が墓に納骨していて、私より縁の有りそうな人が何もせず、口しか出さずに見ているだけなのだろう?


 改めてその親戚を見る。そこには祖母が育てて残した『心理的特権意識』があった。あぁ、これがこの祖母の血筋か、と妙に納得できた。


 墓に骨を納め手を合わせる。

 無自覚に人に嫌われる努力を続ける者はどのような生涯を送るか、この父方の祖母はそれを己の身で見せてくれた。そこに少し感謝した。


 自分も大概性格が悪く、人との付き合いは不器用な人間だが。

 私に親身になってくれる人には、素直にありがとうと言えるようにしよう、と改めて思った。


 ただし、家族は除く。



BGM

『Shape of My Heart』

Sting



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