第64話 歓楽街
「そういえば自己紹介がまだだったわね。私はサキリス。このお店で働いているの。よろしくね」
「あたしはアイリスです。この子はスノウ」
ぴったりと私の隣に寄り添うようにして座るサキリスは、どうやら従業員らしい。キースの言う楽しくおしゃべりをしてくれる相手ということか。
「へぇ。アイリスちゃんっていうのね。可愛いわね」
「あ、ありがとうございます」
最近よく言われる可愛いという言葉だけど、まだ言われなれないのでちょっと気恥ずかしい。
「あなたの護衛もずいぶんと大人しいけど、きちんとしつけがされているのね?」
サキリスの言葉に思わずスノウへと視線を向ける。首を傾げる仕草が返ってきたけど、私も同じく首を傾げたい。
「そうですね……。母親には厳しくしつけられたと思います」
私自身はしつけた記憶は一切ないけど、あえて言うなら母親のシュネーだろうか。最後の特訓を思い出して遠い目になってしまう。
「母親? ……一人でこの街に来たんじゃなかったかしら」
「ああ、スノウの母親です。あたしもしばらく一緒にいたので、スノウとは兄弟みたいなものかもしれないです」
ふと意識を戻すと森であったあれこれなどを話していく。そうこうしているうちに頼んでいた料理が二人分運ばれて来た。どうやらサキリスも一緒にここで食べるみたいだ。
テーブルに乗せられた料理はおいしそうではあるが、やっぱり自分の背丈に合っていない。
「あらら」
それを見たサキリスが微笑みながら、すぐ隣にいる私の両脇に手を差し伸べると持ち上げて自分の膝の上に乗せる。
「ええ……、ちょっと……」
さすがに女性の膝の上に座らされるのは恥ずかしい。抵抗して降りようとしたら、お腹の前に両手を回してがっちりと固定されてしまった。
「ほら、これでご飯が食べられるでしょ」
自分の頭越しに聞こえてくる声に目の前を見れば、確かにちょうどいい高さに料理がある。
「遠慮はいらないわよ。なんだったら、私が食べさせてあげましょうか」
「それはさすがにいいです……」
料理の匂い以外になんとなくだが、女性特有の匂いが後ろから漂ってくる。後頭部に当たる柔らかい感触もかなりの大きさだ。
そして降ろしてくれないとわかれば、目の前の料理をさっさと食べるしか選択肢はない。大きなステーキにかぶりつくスノウを尻目に、私もカトラリーを手に取った。
「アイリスちゃんもナイフとフォークの使い方が上手ね。私より上手なんじゃないかしら」
「そうですか?」
私の頭越しにサキリスも上手にカトラリーを使って食事をしている。私の頭の上に零されればたまったものじゃないけど、横を向いて食べているようでその気配はかけらもない。
「はい、こっちも美味しいわよ。あーん」
ふと手が止まった隙にサキリスが食べていた料理が目の前に差し出される。いらないとも言えないし、無視して自分の料理にフォークを伸ばすこともできない。どう考えても逃げ道はないとなれば口を開くしかない。
「うふふふ、アイリスちゃん可愛いわぁ」
食べさせてもらった料理を咀嚼していると、頭を優しく撫でられる。
もう恥ずかしさが天元突破しそうなんだけどなんだろうな。料理は美味しいはずだけどあんまり味を感じないし、周囲にはべたべたといちゃつく男女ペアがちらほら。
……うん、私に注目してる人間はほとんどいないな。
ちょっと冷静になれたところで恥ずかしい気持ちが小さくなってきた。慣れてきたのもあるかもしれない。
「大人しくて落ち着いてるし、子どもとは思えないわね」
ええそうですね。中身は三十一歳……、いや今の私は四歳だから、中身は三十二歳になるのか。
褒め倒してくるサキリスは、王宮にいた人間とは真逆と言える人物だ。これがキースの言う楽しくおしゃべりしてくれるということか。仕事のひとつであり本心はわからないものの、あからさまに蔑んでくる連中よりは百倍マシだ。
「ふふ、アイリスちゃんとお話してると楽しいわね」
褒めてくる相手と会話していると、こちらとしても幾分か饒舌になってくる。ご飯を食べ終わったあとは、しばらくサキリスとの会話が弾んだ。
森にリザードマンの集落や、オーガの村があった話をすると驚かれた。サキリスも今までに接客した客の話を面白おかしく話してくれる。中には無茶を要求してくる客もいるらしく、私としても憤りを覚えるほどだ。
「アイリスちゃんは優しいのね」
さすがに私でなくともそう思うだろうと感じたけど、そうでない人間もいるということだろうか。
話にひと段落が付くと、一組の男女ペアが奥の階段を上って二階へ行く姿が見えた。男が女の腰に手を回していてとても親しげだ。
「あら、二階が気になるのかしら?」
興味深く見ていたのを察したのか、サキリスに声を掛けられる。
「あ、はい。一階は食事処ですよね。上の階はなんなのかなって」
「うふふ、二階は個室の休憩所になっているの。仲良くなった女の子と二人っきりで過ごせるようになっているわ」
「へぇ……。ごちそうさまでした。美味しかったです」
なんとなく怪しい雰囲気を感じたので話題を逸らすと、これ幸いと席を立つ。
「あら、もう帰っちゃうの」
「はい。いろいろとこの街のことも知れましたし」
「それならよかったわ。今度はお金を払ってご飯を食べに来てくれると嬉しいわね」
「……機会があれば」
「ふふ、それでも嬉しいわ」
「じゃあまた。スノウ、行こうか」
返事をしたスノウと連れ立って、お店を後にした。




