憧れのシチュエーション、婚約破棄 ~でも、誰~
目の前で繰り広げられるは、悲劇か喜劇か、はたまた寸劇か——
「アリス・ダルメリア公爵令嬢——今宵限りで、あなたとの婚約関係は破棄させてもらう!そして、領地への蟄居を命じる!」
目の前の人から繰り出された言葉が、生まれてからずっと慣れ親しんだ母国語が、今だけは到底、理解できやしない。
彼の隣で、彼の腕の中に収まっているのは、目を潤ませた庇護欲を搔き立てる術を持ち合わせている少女。
理解、できない。
だって、
「え、誰」
茫然と、ぽつりとつぶやく。
…ああ、私に言ったんじゃないんだよね。そらそうよね。だって、知らない人だもん。あまりに目を合わせてくるもんだから、婚約破棄疑似体験ゲリライベント発生かと思った。
で、どちら?この非常識標準装備族の憐れな婚約者は?
こんなに近くでされたら、知らんぷりはできないわ。
周りを見回すと、いつの間にか、私と目の前のお二方は遠巻きにされている。王妃陛下が開いた夜会には下から上まで大勢の貴族が参加しているのに、小石を投げ入れた水面の波紋みたいになっている。
え、何これ私に言ってんの?
ん?みんな、もっとスペース詰めてくれていいよ?遠慮しないでいいよ?
で、こいつら…この方々が、どっから湧いてきやが…勉強不足でわたくし存じ上げないので、どちらのお方か教えてくれていいのよ?
「貴方は、この第二…違うわ第三王子レトルの婚約者という国民を守る…、ああと…、誇り高き立場であるにも関わらず、この、いたいれいじょ…いたいけな令嬢に、謂れなき誹謗中傷、暴言、えっと教科書隠す、えっと…うーん…」
うーんじゃねえよ、うーんじゃ。事前に考えて準備しとけって。あと初っ端から一番間違えちゃいけないところ間違えんなよ。
…違いますわ。恐れ多くも第三王子を名乗るこのあまりに不敬な男、衛兵に捕らえてもらわなくてはいけませんわ。
「え…」
「ごめんなさいっ!ダルメリア様っ!私っ!絶対言っちゃっいけないぞ?って言われてたのにっ!耐えきれなくてっ!でも、私、殿下とオトモダチになる前に、ダルメリア様からもらったハンカチだけは…今までもこれからも、ずっとタカラモノですっ!」
言っちゃっ…?いけない…ぞ?
…ぞ?
この方、わたくしを如何様な人格設定していらっしゃるの?
わたくしの知らないお話もありますわ?
「えい…」
「あの頃の優しい心を取り戻す事を願っているヨ、遠くカラ。」
あのね偽殿下、棒読みってね、一文全部カタコトにするの。
語尾だけじゃ、ただのキャラのセリフ書き分けなの。
…なのですわ、偽殿下。
「えいへ…」
「待った!!!それならば!!僭越ながら!僕が!傷ついた麗しき乙女に求婚をする栄誉を賜ってもよろしいか殿下ァ!!」
輩かお前は。
…じゃなくて、輩でお間違えないでしょうか…もういいや。地の文くらい。
「何をしていらっしゃるの…」
やっぱり、貴方の仕業なのね。
騎士の恰好なんてしちゃって、跪いちゃってさ。
「あの時の夜会で見かけた貴女は、暗がりの中、かがり火が白皙を照らし、女神もかくやという幻想的な美しさを持ち合わせていながら、たった独りで涙をこぼしていた。私は、不謹慎にも、その甘い雫に呼び寄せられ、惹かれて、恐れ多くも、声をかけてしまった。あれから、幾夜か貴女を見掛け、手の届かない女神に私は涙を飲み、初めて自らの身分を呪った。…しかし、婚約が破棄された今、私は天罰をも恐れず女神に手を伸ばそう。…愛している、貴方に結婚を申し込んでも良いだろうか?」
盛り上がっているところ悪いけど…。
…私、今夜が夜会デビューなんだけど…。
ていうか長い、長いわ、相変わらず。
「なんと…!そうか、だからダルメリア嬢の護衛をかってでたのか…!その熱意に免じ、婚姻を許可しヨウ!」
「なんてお似合いなのっ!」
お前たちあれか?動画の切り抜きか何かか?だから私の知らないエピソードが所々あるのか?
「…ね?結婚しようね?アリス?」
…う。悔しい。
「は…」
悔しい……すごく嬉しいのが、悔しいわ。
「お願い、アリス」
「……はい。」
声がとっても小さくなってしまった。ちゃんと聞こえた…?
「…あり、ありありがとう!絶対、絶対、幸せにするから、ずっと一緒にいてねアリス大好きだよ!」
「……うん、レトル」
「可愛い!赤い!」
ぎゅっと抱きしめてくれる騎士様、もとい本物の第三王子のレトル様。
レトル様と私は、万雷の拍手に包まれる。
視界の端で、おめめウルウル令嬢(そういえば名前なに?)も頬を紅潮させて手をぱちぱち叩いている。
偽殿下も、目に涙を溜めて拍手。「無事に…無事に、無事に終わってよかった!!」って顔に書いてある。
でも、私は誤魔化されないんだからね。
「で?これ、何なのレトル?」
「あれ?アリスのデビューの夜会で、改めて求婚するって前々から言ってあったでしょ?」
それは、確かに聞いていた。でも、求婚は知っていても婚約破棄は知らなかったわよ。
…だから、はりきって、この国のロイヤルカラーのドレスを身に着けてきた。
「アリスも僕の瞳の色に合わせたドレス着てきてくれてるじゃない!」
「言わないで!レトルが言わなかったらバレなかったのに!」
じゃなくて。
「その為に、こんな…こんな、王妃陛下の夜会でこんなことしたの?」
「うん!母上も、父上も兄上たちも姉上たちも、近隣国の大使の方たちも、いいよって言ってくれたし、あと貴族に出した招待状にも事前に知らせておいたからね!」
それは、知らないのはアリスだけだよ?って言った方が早かったね?
「王族も貴族も、平民の方もみんな第三王子に甘々ね、さすが国民的末っ子ね…。」
そっかそっか、レトル様から見れば貴族なんて全員王族の親戚のおじちゃんおばちゃんみたいなもんか。
「アリスがこの前読んでて、かっこいい、って言っていたの、このシチュエーションだったよね?ねぇ嬉しかった?」
やっぱり、そうだったのね。
私がはまっていた本とセリフが似通ってるな、って少し思ってた。
それにしても。
「…嬉しかったわ、レトル。…私も、大好きよ。」
涙すら浮かべながら手を叩いて喜んでいる王妃陛下、楽しみすぎですよ?