9.過去
十数分、歩いたろうか。薄暗い地下の階段を二人で降り、たどり着いた場所は古びたドア一枚のつきあたりだった。
すべてを教える――そう言って、ルカが連れてきた場所が、ここだった。
恐らくもうほとんどの人間が忘れているのだろう、城の奥の片隅、誰も気付かないような古い部屋の隠し通路からここまでやってきたのだ。
ランプの明かりを頼りに、ルカは懐から何かの鍵を出す。その鍵には、クライストの紋章が刻まれていた。
「レディエンスにもこういう隠し部屋はたくさんあった。君はまだ知らないだろうけれど、こんな場所はまだ沢山あるよ」
鍵をドアの鍵穴に差し込み、ルカは小さく呟く。かちゃり、と手ごたえのある音と共に、ドアが音を立てて開く。
そこは、一見するとただの部屋だった。机といすがあり、本棚がやや多めに並ぶ。談話室のようなものも兼ねているのか、小さなソファも置かれていた。
中はそう広いわけでもないが狭くもない。中に入ると、ルカは手持ちのランプの炎を部屋に据え置かれている大きなランプに移した。
煌々と部屋が照らされ、先ほどよりも見渡せる。よく見れば、奥にも扉があった。
「そっちは、外につながってる。開けても何もないよ」
厳重に鎖でとじられているドアを見ていると、ルカが苦笑して手招きする。その手には、一冊の本。
促されるままにソファに座れば、隣に座ったルカがそっと本を開く。手書きのそれは、どうやら日記のようだった。
「これは、八百年前の俺の日記だ。……このあたりから読むといい」
すべてを教える――それは、つまりこの日記の事なのだろう。
口で話すよりも確かに、効率的ではある。
「……遠慮はいらない。読んで、疑問があれば聞いてくれ」
普段と変わらない優しい笑みを浮かべ、ルカはそっと日記を差し出す。
それを受け取って、クレアはもう随分と古いページに触れた。
開かれていたページの一番上には、ややくせのある文字が並んでいた。
『マリアに促されるままにこの国に来たが、本当によかったのだろうか。
今頃、ルシオンはどうしているのだろうか。そればかりが気掛かりだ。』
ルシオン――とは、恐らく今のレディエンスの国王の名前だ。
どうやら、ルカの血縁である事は間違いないだろう――そう納得して、ページをめくる。
数日は取りとめのない日記が続き、それから――
『レディエンスの新王が決定したようだ。やはりルシオンか……
あいつには、辛い役を負わせてしまった』
ほんの少し歪んだ文字で描かれている文章を、二度読んだ。
それから顔を上げると、ルカがほんの少し悲しそうに微笑む。
「ルシオンは、俺の双子の弟だ。
当時の第一王位継承者だった俺は、レディエンスに嫌気がさしてここまでやって来たんだ」
当然、ルカが消えてしまったために第二王位継承者のルシオンが、数日後に王位に就いた――
要するに、ルシオンという人間は事実上兄の代用品として国王の座を与えられたというわけである。
「……その後数百年以上、いや、今もか――後悔し続けているよ。
当時の俺には、あの国を変えていける自信がなかったんだ。……そして、すべてをルシオンに押し付けて逃げ出した」
泣きそうな表情のルカを、見ては居られなかった。
日記に視線を戻し、クレアはふと気になった事を訊ねる。
「……マリアという人は?」
「――マリアは、旅行中に出会ったんだ。まさかクライストの王族だとは知りもせず、俺は彼女に惹かれたんだ」
肩を叩かれ、顔を上げる。微笑みを浮かべたままのルカが、向かいにある壁に掛けられた一枚の絵を示す。
そこには、金色の髪の女性が描かれていた。
整った小作りな面立ちに、切り揃えられた長い金の髪。瞳は、クレアと同じ明るい緑色だった。
だが、これは――
「時々、君が彼女に似ているなと思うよ。生真面目なところも実はそっくりだった」
時々――ルカはそう言ったが、ほんの少し似ている、なんてものではない。
あまりにも似すぎていて、恐ろしくなる。この絵の中に自分がもう一人いるような――。
「……彼女は、どうして君をクライストに?」
あまり聞きたいとは思わなかったが、聞かざるを得ない。
ルカがクライストへ亡命したきっかけは、間違いなく彼女なのだ。
「――王位を継承して、俺が変わってしまうのが嫌だ、そう言われてね。
正直、俺にも自分が変わらないでいる自信はなかったんだよ。あの国は、すべてが狂ってしまっているから」
そう、とだけ答えて、日記のページをめくった。
心なしか、予想していた答えとは少し違ったことに安堵していた。




