6.葛藤
――バタン。
クレアにしては勢いよく閉じられたドアの音に身をすくめて、ルカはそっと扉に触れた。
「――怒らせてしまったのか」
少々、いらついていた自覚は確かにあった。あの日、大事な鍵を亡くしてからどれだけ探しても見当たらない。
クレアが嘘をつくはすもないから、他の誰かが持ち去ったんだろうとも思うが――
紛失してしまうと少々厄介なのは確かだった。
今でこそこんな立場にいる自分の、唯一の弱点でもある古い鍵――レディエンスの紋章を有した銀の鍵を、どうしても探さなければならない。
いっそのことクレアにすべて打ち明けてしまおうか、そんな事も考えた。
だが打ち明けたところで、どうなるのだろう。良くも悪くも生真面目なクレアが、自分は元敵国の人間ですと言ってそうだったのか、なんて納得するものだろうか。
クレアの性格を多少なりとも理解しているルカには、まずあり得ないことと解っていた。
最終的にどう転ぼうとも、まず混乱されてしまう。もしかしたら、嫌われてしまうかもしれない。
それだけはどうしても、避けたい――。
「――マリア、俺はどうするべきだろう」
今は亡き妻の名を呟き、溜息を吐く。
彼女が今生きていたら、迷うことなんてなかったんだろう。
八百年前、あの国と決別させてくれた彼女がいたなら。
「……頼れないものに縋っても意味はないか」
はあ、と深いため息。テーブルのほうを見ると、まだ中身のほとんどを残してしまっている、ワイングラス。
クレアが残して行ってしまったそれを、手にとって軽く揺らす。波のように揺れる液体が、ランプの明かりを反射してきらきら光る。
もう寝よう――そう思い、グラスの中身を飲み干した。
「どうしたん?今日はなんか元気ないやん」
唐突にそんな事を言われ、ルカは顔を上げた。暇そうにソファーでくつろいでいる茶髪の青年は、相変わらず不思議な色合いの金色の目をぱちくりさせる。
神官服を着崩してだらけるその姿はとても神殿を管理する人間には見えないが、これがトップに君臨しているんだから世の中という者はいい加減だ。
「いや、別に――」
「さてはクレアちゃんと喧嘩したなー」
なんでもないよと返そうとすれば、彼――ケイマは、ニヤニヤしながら図星をついてくる。
伊達に付き合いが長いわけではない、ケイマにとってはルカの考えている事はお見通しと言うわけだ。
「――で、どーしたん。なんなら俺様、ちょっとくらいは相談乗ってやっちゃうよ」
「お前に相談すると碌でもないことしだすだろうから、やめておく」
普段のどうでも良い事でならありがたいかもしれない申し出に、ルカは溜息を吐いて拒否に徹する。
正直、自分が悪いのは百も承知だ。あの時、全くやましい気持ちなどなかったなんて事は絶対にないのだ。
自分でも、どうかしている。苦手なのを承知で酒を飲ませてみたり、踏み込んではいけないはずの寝室を進めたり。
いくらなんでもケイマに話せばそれはそれはこっぴどく叱られそうで、相談どころの話でもない。それ以上に、実際に碌でもない事をしそうなのも問題なのだが。
「――そういえば、例の調査結果がもうすぐ出来るんョ。あと、ギルドのほうから仕入れたネタなんだけど、レディエンスの内部情報、教えてくれそーなヒトがいるって」
唐突すぎる話題転換に、ルカは一瞬キョトンとして、それから内容を理解する。とはいえ、こんな所で堂々と話さないで頂きたいものだ。
「現状は幹部構成がルシオン以外把握できていないからな、その情報提供者にはそのうち誰かを派遣するか――
まあ、安心して交渉させられるのはお前かクレアしかいないんだがな。」
「そりゃそーやろね、でも多分、俺は向かない相手。明らかにタイプが違うっていうか、クレアちゃんタイプなんよ、聞く限りは」
――ようは生真面目ってことか――
そんな風に理解して、早いところクレアと仲直りしないとならないなと独りごちる。クレアの事だから、昨日は酒が入っていたのを考慮してくれるだろうが。
「……ま、彼もそろそろ代行者に狙われてるから、さっさとクレアちゃんと仲直りしちゃいなよ〜」
ルカの心を読んでいるかのように呟いて、ケイマはさっと部屋の外に移動する。こういう時だけは素早い友人に、ルカは溜息を吐いて「わかった」と告げた。




