5.迷う心
「あ――起きちゃった?」
平静を装いながら振り向けば、いつもの笑みと、ほんの少し眠たそうな表情が混じる主君の姿。
自分の知っている、ルカそのものだ。
「相変わらずケイマの声は大きい」
苦笑しながらも呟けば、ルカはそっとテーブルの上のランプに明かりをともす。ほんのり明るくなった部屋は、今は正直居心地が悪い。
ちょっと、とルカに手招きされる。テーブルの上には、そう強くはないだろうワインの瓶が置いてあった。
「少し付き合わないか?」
何となく――どうしても、断ることができずに頷いた。
酒の類は正直苦手だ。それでも、寝酒として飲むだけだからだろうか。やたら甘ったるい透明な液体を一口、飲み込んだ。このくらいだったら自分でも多分平気だ――思いながら、グラスを置いた。
「すまないな、こんな時間に」
「――いいよ、気にしないで」
向かいで既にグラスを空けたルカが苦笑する。自分でも平気な程度の酒で眠れるんだろうか――そんな事を思うが、もしかすると単に話をしたかっただけなのかもしれない。
「ところで、こんな時間に何か用でもあったのか?」
「――」
不意にそんな事を聞かれ、クレアは一瞬言葉に詰まる。
時間的にも状況的にも確かに聞かれておかしくはない。不思議そうにしているルカに、クレアは笑ってごまかした。
「仕事が終わるの遅くて帰れなくなったから、ちょっと様子見に」
それ自体が大して問題ない事ではあったせいか、ルカはあっさりと納得する。実際のところはどうなのかわからないが。
「そうか。――ああ、もしよければ隣を使うといい。このまま下の階まで行くのは面倒だろう」
にこりと微笑み、ルカが使われていないもう一つの寝室を示す。一瞬何を言われたか理解できず、一拍ほど置いてから目を見開いた。
ルカが示した先は、基本的に国王とその配偶者――つまり、妃のみが出入りを許される。それ以外に許されるのは専属の使用人のみで、掃除等の必要最低限の行為以外は禁じられている。
普段の彼の寝室に関してもそうだ。自分が足を踏み入れていいのは、このリビングのみ。
まさか、それを知らないはずもなかろうに――
「何変なこと言ってるの。いくらなんでも、それはまずい」
だいたい、歴代の皇帝や女帝が使用する部屋に足を踏み入れるなんて。それどころか、ベッドを借りるなんてどれだけの大罪だと思っているのだろう。
――それに値する罪を先ほどまで犯していた自分が、そんな事を言うのもおこがましい気はする。だが、これはまた別の話。
「別にばれる事はないだろう。それに、君なら俺が許す」
違う意味でくらっとした。少々、彼にはだらしないところがあるのは事実だった。それがルカの良い所でもあると考えていたが、どうもちょっと様子が違う。
やはり、あの系図も、そしてあの鍵も――彼を疑えということなのだろうか。
親友を――自分の仕える、主を、疑う――?
疑心暗鬼、だなんて数年ぶりだ。それも、他人に対してなんて。
「――あの部屋はダメ。君もそのうち、結婚するんでしょう。そんな部屋に僕が入れるわけがない」
「結婚?――そんな相手もいないのにか」
不意に、ルカの声音が低くなる。何か、ただならぬものを感じて顔をあげると、紫の瞳が射抜くように自分を見る。
――鋭い、真剣な目――
見ているのが怖くなって、目をそらした。
「……多分結婚はしない。したいとも思えないからね」
ほんの少し寂しそうな声。それから、そっと手を握られて思わず体が跳ねた。
「――クレア?」
「……酔っぱらってるんじゃないの、ルカ。もう寝た方がいい」
さっと手を引いて、その場を離れようと席を立つ。背後から呼び止めるルカの声は無視して、すぐに部屋を飛び出した。




