10.レディエンスへ
地下の部屋から出て、隠し通路のあった部屋に戻る。室内では、見慣れた白衣の青年が壁に寄り掛かって待っていた。
「――ケイマ?」
「あ、その様子だともう事情は全部話せたんかねぇ?」
どうやら、ケイマは随分と前からルカの過去を知っていたらしい。それでも尚ルカについて行っているのは、彼にとって信頼できる相手と判断した結果なのだろう――
そこまで考えて、クレアは小さく頷いた。
「話が済んだところで悪いんやけどね、クレアちゃん、急遽レディエンスまで飛んでほしいんよ」
――レディエンスへ――
唐突すぎるその申し出に、クレアだけでなくルカも眉をひそめる。
が、ルカの方は事情を知っていたらしい。急すぎる、とケイマにくぎを刺した。
「急すぎとか言ってられる余裕は正直ないんよ、マジで。例の情報提供者、大分狙われてるみたいだから近いうちに姿を消すつもりみたいだし」
「……情報提供者?」
随分と遠くの見えない話に、クレアは戸惑いながらも問い返す。それに気付いたのか、ケイマは慌てて説明を始めた。
「えっとね、レディエンスの内部情報――ようは今の主力の幹部とかの事を教えてくれそうなヒトがいるんだ。けど、その人、錬金術師でね」
なるほど――最後の言葉に納得し、クレアは漸く話の筋を理解する。
神の代行は、何も種族だけにはとどまらない。普通の人間であっても、国内で法を犯した者は容赦なく抹消される。
錬金術もまた、レディエンスでは神に背く行為として固く禁じられている技術だった。
「――その人物に会いに行け、ってことだね」
「……本当は、もうちょっと間を置いてからにするつもりだったんだがな。すまない」
はあ、と溜息を吐き、ルカが頭を掻く。
相変わらず腰の引けている彼はやはり彼で、クレアは漸くいつもの笑みを浮かべた。
旅行用のローブに身を包み、愛用の剣を背中へ背負う。この上からマントを羽織れば、武器を持っている事は容易には知られない。
服も、クライストの軍人とはわからぬように私服を引っ張り出してきた。
身支度は万全だが、何となく心の準備は整わない。
それもそのはず、レディエンスへ赴くのは自分一人――。
簡単な戦闘くらいならばこなす余裕はある。が、馬車を乗り継いでも確実に一週間はかかる道のりには不安を覚える。
「――早いな」
マントを羽織ると、背後からそんな声がかかる。
ノックもせずに部屋に――それどころか屋敷に断りも無く入ってくるのは、一人しかいない。
「……見送り?」
「……まあ、そんなものだね。半月君が居なくなると思うと、寂しいものがある」
苦笑しながら、ルカは懐から何かの包みを出す。
受け取り、見上げれば「開けてみてくれ」と。
そう大きいものではない包みの中には、鳩がいた。
――クライストの紋章が刻まれた、それは――
「……ペンダント?」
「随分昔、マリアにもらったものだよ。
――護符くらいにはなる。持っていくといい」
にこやかに笑みを浮かべるルカに、クレアは慌ててペンダントを押し返す。
――こんなに大事なものを、自分が持っていいはずがない。いくら親友とはいえ、分相応というものは弁えねばならない。
「……大丈夫だよ。心配いらない」
「クレア」
俯いて、ルカの手にペンダントを押しつける。その手を握られ、低い声で名前を呼ばれた。
「――勅令だ」
重く囁かれたその言葉に、クレアは一瞬肩を震わせた。
勅令――断る事は絶対に許されない、命令。そうまでしてこのペンダントを自分に渡す価値が、ルカにとってはあるのだろう。
元々温厚で、腰の引けているタイプのルカがそこまで言うなら、もう従う他はない。
「……勅令、謹んでお受けします」
――結局、ペンダントを受け取って苦笑する。
漸くいつもの笑顔に戻り、ルカはそっとクレアの肩を叩く。
「――行ってきます」
笑顔で屋敷を出れば、今日も陽光が優しく降り注いでいた。
―― 第二部 了 ――




