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2 魔法戦士カレンダーガール

 僕の演奏を目当てに来店したわけではない観客たちに、僕のオリジナル曲や即興曲だけでは当然間がもたない。有名曲のカバーのレパートリーも幾つか持っていて、その中から客の反応を見ながらいくつかやるのが常だったが、その日は、その観客の女の子のせいで、やろうと思った曲があった。練習だけして、何となくお蔵入りになっていた曲。


 それは、僕が中学生くらいのころ大人気を博していた、普通の女の子が変身して正義の魔法戦士になり、悪と戦って秘密のアイテムを集めていく、テレビアニメシリーズの主題歌だった。僕の妹も夢中になって見ていた。彼女は妹と同い年くらいに見えたから、もし見ていたら本気で戦士に憧れたお年頃ではないだろうか。アニメを見ていなかったとしても、あの頃、町にはこの音楽がいつも流れていた。


 気に入ってくれるといいな、という久しぶりのワクワク感とともに、僕はもう一度お辞儀をして、ふたたび、リズムセクションの録音から始めた。


 はじめはきょとんとしてただ聞いていた女の子の顔が、伴奏にあたる和音を弾き始めたころから、考え込むような表情に変わった。メインのメロディパートを弾き始めると、彼女は大きく目を見開いた。気がついた、というように目が輝く。リズムに乗って、楽しそうに体が上下し始める。サビに来ると、彼女は、声を出さずに口を動かして、有名なそのフレーズを歌っているようだった。


 演奏しながら、僕はその嬉しそうな姿に見とれてしまった。僕の音楽で、こんなに楽しそうにしてくれている姿を見るのなんて新鮮な経験だった。いや、曲は他人のものだけど。


 二番まで――と言っても、僕は歌わないので、メロディラインを二回繰り返すという意味だけど――きっちり演奏する間、彼女はずっと楽しそうにぴょんぴょんと小さくジャンプし、耳の横で軽くこぶしをふって、曲に身をゆだねていた。演奏が終わると、拍手しながら、高い声で歓声をくれた。いい声してる。歌えばいいのに。


 人影もまばらなフロアで、真面目にステージを見ているのはほとんど彼女一人、という状態で、縦ノリして歓声までくれる客なんてまずいない。今日は大当たりだ。


 僕は気持ちよくその後数曲を演奏して、ここ最近ではめったにないくらいに充実した気分で機材を片付け、ステージを降りた。


 大急ぎで制服に着替えてバーカウンターに戻り、ホワイトボードを片付けているうちに、フロアは一九(イチキュウ)スタートのパンクバンド目当ての客で続々と埋まっていった。案の定、七対三くらいで女性の多い観客層だった。さっきの女の子はきっと、このバンドの演奏の最前列を確保するために、早く来ていたのだろう。


 チケットには、ワンドリンク料金が込みになっている。開演前にドリンクを求める客でごった返すカウンターで、僕はしばらく接客に追われていた。


 客の波は、バンドの演奏が始まると潮が引くみたいに静かになる。


 ところが、そんなタイミングで、さっきの縦ノリの彼女はカウンターに現れたのだった。


「ジンジャーエール」


 五百円玉をカウンターに置いて言う。ガラス瓶の封を切ってレモンかライムの小片を浮かべただけのソフトドリンクが五百円。アルコール類は千円。ワンドリンクのチケットに、五百円を足せばアルコールにランクアップできる仕組みだ。できるだけ釣銭を用意したくない店長が雑に決めた値段設定である。同じジンジャーエールが、裏の酒屋に行けば八十八円で買えて、瓶を返せばデポジットで三円戻ってくるのだが、それを言うのは野暮というものだろう。


「どうぞ」


 僕がジンジャーエールを出すと、彼女はツインテールの先を揺らして首をかしげ、僕の顔をじっと見た。


「さっきの『魔法戦士カレンダーガール』、エモかった。マジ、ヤバい。まみ、めっちゃ感動したー」


 僕が演奏した、アニメソングのタイトルだ。僕はびっくりしながら言った。


「ありがとう。……僕だってよく気がつきましたね」


 こういうところでは、まじまじと店員の顔なんて見ない人がほとんどである。ましてや、速攻で着替えてくるせいもあって、たいていの客は、僕がステージにさっきまで立っていた人物だなんて思いもしないだろう。気がつかれたことは今まで一度もなかったのだ。


「わかるよ、そのくらい。アタシ、まみだもん。三月だよ。マジカルオーラわかるんだもん」


 まみ、と名乗った少女は、自分の冗談がツボに入ったみたいにくすくす笑った。マジカルオーラは、魔法戦士カレンダーガールが変身するときに彼女たちを包み込む結界で、世界に十二人しかいない魔法少女戦士を見分けるための特別なしるしでもあった。そういえば、『まみ』は、魔法戦士の一人、黄色のオーラをもつ三月の担当で温厚な食いしん坊の女の子の名前だったっけ。


「じゃあダメじゃん。僕は男だから、カレンダーガールにはなれない。マジカルオーラがないんだから、それで見分けるのは無理だよ」


 僕がくだけた口調で返すと、まみちゃんは楽しそうにまた笑った。


「カレンダーガール、見てたの?」


 実は僕は、シリーズの途中までしか見ていない。いつかレンタルして最後まで見ようと思いながら、なかなかそのきっかけがないままだ。彼女はうなずいた。


「アタシんち、テレビなかったんだよね。だから、毎週友達の家に行って、一緒に見たの。最高の友達なんだ。見終わったらそのまま、カレンダーガールごっこしたんだよ。いつも、アタシがまみで、あの子はヒロインの一月担当、ミサトだった。二人は親友で、悪と戦うってわけ」


 パンクバンドの演奏はもう始まっている。激しくロールするドラムが空間をうずめ、ずんずんとベースの低音が空気を揺らし、その上をギターソロが切り裂いている。ボーカルが満を持してサビのメロディをシャウトし始めた。


「見にいかなくていいの」


 ステージを指さして聞くと、まみちゃんはツインテールを揺らして首を横に振った。


「後ろで聞くだけでいい。前は、好きな子たちが行くから」


 意外にも、バンドのファンではなかったらしい。彼女は瓶をもってふらりとフロアのほうに戻っていった。後方にいくつか設置してある、背の高い小さな円卓に立ったままひじをついてもたれかかるようにしながら、とろんとした目でステージのほうを眺めていた。僕が渡したのは確かにライムを入れたジンジャーエールだったけれど、まるでお酒を飲んでいるみたいだ。少女めいたその外見と、妙にあだっぽい仕草がミスマッチで、ちょっと可笑しかった。


 一人でボトルを傾けている姿が目立ったのか、何人かの男が彼女に声を掛けているようだった。あんな年端も行かないような子をどうにかしようとする不逞の輩はけしからん、と、僕はさりげなくカウンターの中から気を配っていたが、まみちゃんはうまくあしらってかわしているようだった。


 それから、まみちゃんは時折、ライブハウスに来るようになった。いつも違うけれど、遠くからでもすぐにまみちゃんだとわかるパステルカラーのこてこてしたファッションに身を包み、明るいブラウンの巻き毛のツインテールが目印だった。


 不思議なのは、毎日来るわけでもないまみちゃんと、たまにしかない僕の演奏チャンスが、ちょくちょく重なることだった。埋め草なので、当日に言われることも多い僕の出演情報は、当然どこかに広報されるわけではない。だが、多分そのころ、二回に一回以上は、まみちゃんが客席にいたと思う。


 その派手なファッションと、僕のステージの時に最前列でやたらノリがいいせいで目立つ彼女は、スタッフの間でもすぐに認知されて、『世にも珍しい大江戸芝蘭のファン第一号』で、直前に決まったはずの出演を察知する『超能力者だ』とネタにされるのが通例だった。珍獣扱いで、みんなちょくちょく構ったりして、困っていたら庇ってやろうと思っていたらしい。


 そんなまみちゃんに、どうやら本格的に目をつけた男の客がいるらしい、という情報が、ほどなく、僕の耳に入ってきた。


 しつこく声をかけたり、まみちゃんが来ていない日にも彼女のことを周囲に聞いて回ったりしているのだという。こちらもその頃常連になった若い男で、短い金髪をつんつんと立てた、色白の男だった。黒目がちの目尻が釣り上がった顔立ちが、どこか蛇を連想させるようなところがあった。


 だが、その蛇顔の男は上客の知り合いらしく、店長は腫れものを触るように、丁重に扱っているようだった。店に来るたびに、まみちゃんにかぎらず色々な客に声を掛けて回り、時折トラブルを起こしているのに、他の客にはするような注意を、店長は彼にはしていなかった。そういうのは本来店長の役目のはずなのに、彼にだけは全然言おうとしないのだ。


 僕は、彼が来ているときは特に気を付けてフロアの様子を見るようにしていた。





作中の楽器演奏シーンについて、資料はできるかぎり調べたものの書き手自身が楽器は壊滅的に苦手で、想像で補っている部分が多分にあります。描写がおかしかったらメッセージや感想などで教えていただけると嬉しいです。

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