2.皇帝
「ハズレの妃ってのが何かを聞きたいのよ、あたしは」
その言葉に返す答えは、その場の全員が知りながら口に出すのをためらった。
突然の沈黙に、聖女の目つきが鋭くなる。
「言えないような事って訳?」
「いえ、そんなことは」
胸ぐらをひっ掴まれて、至近距離で睨まれている宰相。冷や汗たらたらではあっても何とか正気を保っていた。
「その、説明が難しいと言いますか、わかって頂く為には更なる説明がいると言いますか
…」
ギリッと聖女の手に力が入る。
「とにかく、一言では言い切れないんです。ただ、決して貴女を貶めるような事ではありません。信じて下さい!」
どんどん苦しくなる息に、必死になって叫ぶと、ようやく力が緩んだ。だが、その手が離されることはない。
「なるほど。じゃあ説明してもらおうじゃないの、キッチリとね。」
聖女は自分に必要な情報を隠されている状況に苛立っている。ここで下手な隠し立てや誤魔化しをしようものなら、破壊されるのは宮殿一つでは済まないだろう。
彼女を知る者達は一瞬でその結論に達した。
「聖女様」
先に声をかけたのは、今まで無言だった魔道士長たる宰相の妻だ。
「何、魔女さん?」
結婚前、共に旅していた頃の呼び名で呼ばれて、魔道士長-魔女はちょっと懐かしさを覚えた。
「まことにごもっともな問いです。先にこちらからご説明すべきでしたわ。申し訳ありません」
殊勝に謝罪の言葉を述べて下を向く。
「ですが」
一度伏せた顔を上げて、聖女の視線にまっすぐ対峙した。
「改めてお話しようにも、今ここではちょっと」
「…」
聖女は宰相を離さぬまま、周囲を見直す。
小規模ながらも秀麗だった建物は見る影もなく、辺りは瓦礫の山。
自分がやらかした事だけに、罰が悪い。
「あー、うん…場所、変えよっか」
皇宮。それはひたすら広く、様々な機関が集まる帝国の中枢である。大小さまざまな宮殿が用途に合わせて、あるいは必要に応じて建築・改築され、最早一つの都市だ。皇帝の執務室や生活の場があるのは最奥にある央宮殿。皇妃は婚儀の後、央宮殿付近にある中・小規模の建物をそれぞれ敷地ごと与えられる。
婚儀前ではあるが、聖女は例外的に宮を与えられていた。しかし、それは最早存在しない。
「お前の宮がただっ広い敷地で助かった。なんでまたあんなぽつんとした宮を選んだか知らんが、まさか最初から破壊するつもりで望んだわけではないだろうな」
一同は片付けの人員を手配して、魔道士長の転移術で央宮殿に移動した。
央宮殿でも特に厳重な管理がされている転移の間。そこに到着した途端、皇帝が聖女に確認の問いを放つ。
そのジトっとした疑いの目に、聖女はふんっと鼻を鳴らして態度で否定する。
「立って半畳寝て一畳、飯を喰っても二合半」
「?なんだそれは」
聞いたことのない台詞だ。
「あたしのね、故郷の国に昔からある言葉よ。人間が必要とするスペースや食事は、一人じゃ大して必要ないって意味」
「ほぅ」
「他の建物は大きすぎた。選んだ理由はそれだけよ」
考えてみて欲しい。日本の一般家庭に生まれ育った人間が、ヨーロッパの観光名所になるような城に住んで落ち着けるだろうか。
あの宮は皇宮の中ではシンプルな外観デザインで部屋数もさほど多くないが、必要な設備だけは整っていた。他の尊いご婦人にはみすぼらしい住居でも、聖女にとっては生活許容範囲だったのだ。
しかし。
「一応教えておくが、お前が希望したあの宮は、昔、寵を失って遠ざけられた妃を住まわせるために建てられたものだ。転移陣も無く、乗り物も入れない道ばかりだから、自分の足で歩かないと出られない」
「それで何か問題あるの?」
皇帝は、はあっと溜息をついた。
「あのな、聖女。普通妃になるような女は転移陣のない建物には住まないし、陣で行けない場所への移動は馬車か輿に乗る。さもなければ魔道士を派遣してもらって転移術を使う。なんにしろ自分で歩いて外へ出るなどまれだ」
転移の術を使える魔導士はとても少ない。まして安全に長距離を移動させる術者となれば、更に希少だ。個人的に派遣してもらえる人間などほとんどいない。
「どこの半病人よ、それ?」
「体力の問題というより見栄だな。自力で歩いている姿を衆目にさらすのは恥だという感覚で動くからな。もっともそんな生活をしていれば、自然足腰も弱まって、長距離を歩けなくなるが」
「ぞっとする話ね。自力で歩いて走れなきゃ、いざという時逃げる事も出来やしない。最悪命がないじゃない」
もっともだが、最初から逃亡を想定して嫁いでくる妃はあまりいない。
「まぁ確かにお前ならどれだけ辺鄙な場所に住み着こうとも平気だろうがな。何度も言うが、皇宮内での転移はできるだけ控えてくれよ」
「わかってるわよ。ただし、自分の足で歩く分には遠慮せずどこへでも行かせてもらうからね」
「…いや、一応立ち入り禁止区域は遠慮して欲しいんだが」
聖女に鍵は意味がない。転移と透視を自ら使いこなし、物理攻撃と逃げ足にも優れた彼女は、軍の武器庫だろうが、国宝がしまってある宝物庫だろうが、何の苦も無く入り込めるし出ていける。どんな防御策を講じていようとも、彼女がその気になればあっさり破られるだろう。
本来、聖女と呼ばれる者が持つ能力ではない。
聖女とは、聖力と呼ばれる力を使用できる女性のことである。
浄化・治療を主として世界の修復に使用されるはずのそれは、この規格外な聖女によって防御・攻撃・索敵・隠密移動などに利用され、当初の謂われとは真逆の戦闘スキルと化してしまった。
そして遂には街一つ消滅させる最終兵器にまで進化を遂げた。最早、チート過ぎて何が何だか分からない。
「心配しなくても、男子トイレと更衣室には入らないわよ」
「ちがう!」
思わず叫んで首を振った。
皇帝たる者、落ち着きと威厳のない姿を晒してはならない。その絶対ルールがこの聖女の前ではあっさりと消える。
後ろについて二人のやりとりを見ていた宰相と魔道士長の夫婦は、顔を見合わせてため息をついた。
こんなんで形だけとはいえ、結婚して大丈夫なんだろうか。
が、皇帝の威厳はこの後すぐに必要とされる事になる。
「へぇーいぃかぁーあ!」
「!」
ものすごく独特なイントネーションで皇帝を呼ぶ声が響きわたった。
一同が歩いていた廊下の先にその発生元を確認して。
「白ダルマ」
ぽつりと聖女がつぶやいた。
一体何の事か、この世界に分かる者は誰もいない。
頑張って書きます。