1.聖女
読むばかりでしたが、初めて投稿いたします。よろしくお願いします。
世界は救われた。
帝国に現れた聖女が、仲間とともに大陸中を旅して救世を行い、かくして人類滅亡の危機は回避された。
だが。
だからといって平穏な日々が続くとは限らない。
「で、ハズレの妃ってのは何なの?」
都市一つを楽々消滅させる力を持つ女は、ニコニコと笑いながら問うてきた。
問われた男女は最近結婚したばかりの新婚夫婦だったが、幸せオーラはあっという間に霧散した。
夫の顔は青ざめ、冷や汗がにじみ、ガタガタと震えまでおこし始める。
妻は一見落ち着いているが、無意識に拳を握りしめた。
それを見た女は更に笑みを深くし、いやぁねぇと楽しげに声を放つ。知らない人間が見れば、親しい仲間に上機嫌に対応しているところだと思うだろう。
が、それはとんでもない間違いだと、対面している二人は知っている。
彼女がこの笑い顔のまま行ってきた数々。救世と銘打って容赦なく実行されたそれは、惨劇そのものだった。
どう考えても死ぬような状況を掻い潜り、敵を殲滅し、裏切り者を粛清し、恥を知らない下種共を断罪してのけた。
その実態を知る者達は、あの旅を救世とは呼ばない。
決して怒らせてはならない歩く災害。
それが目の前の彼女。
「あの、特に深い意味のあることでは無いんです」
「そ、そう、昔から何となく言われていただけの、だだのあだ名といいますか…」
笑みが深くなる。
ピシリ、と何かにヒビが入る音がした。
「「本当なんです、信じてください、聖女様っ!」」
世界を救った、異界より召喚されし聖なる乙女。
救世の旅を終えて帰還した帝国皇宮にて、約半年ぶりにその聖力を発揮した。
改築のために宮殿の一つが取り壊されたと発表されたのは、後日である。
「別に隠そうとしたわけじゃない」
と、力なく告げたのは、帝国皇帝その人である。
「そもそも皇帝の妃にという話自体、君を保護して何不自由ない生活を保障するための便宜だ。俺は君に伽を強要するつもりも皇妃としての仕事を押し付けるつもりもない。文字通り名目のみの婚儀なのだから、そこまで気にするとは思わなかった」
君も承知していただろう、と至高の身分を持つ青年は溜息交じりに問いかける。その目の前には瓦礫の山になった宮殿とそれを与えられていた皇妃候補の聖女。
「ええ、ええ、気にしてなかったわよ。別にあんたが好きで婚約したわけじゃないし、まだ元の世界に帰ることをあきらめたわけでもないしね」
住処を自ら破壊した聖女は、まったく悪びれることなくふんぞり返っている。
「でもねぇ、はずれがどうのこうの、聖女だ何だと言ってもすぐに挿げ替えられるオマケの妃がせいぜいだのと言われれば、気になるのは当然でしょう」
「―誰だ、そんなことを言う愚か者は」
よりによってこの女の耳に入る所でそんな発言をするとは、命知らずな。
「誰って言われても、ねぇ」
「俺はお前をそんな扱いはしないぞ」
「ま、そうでしょうね。だからそれはもういいの。それより、もっと大事なことに気づいたのよ」
「?大事なこと」
「そうよ、知っての通りあたしは異世界から来た、いわば完全なよそ者よ。この1年ちょいで大分いろんなことを知った訳だけど、その中に皇家の常識ってのは無かったわ」
―沈黙が下りた。
「正確にいうと、高貴なお方の結婚―いや、家庭事情、かな? 便宜上とは言え、当事者になったっていうのに、それはさすがにマズイかなぁって、ちょっと勉強してみたんだけど」
この世界の恋愛・結婚事情はほぼ元の世界の故国――日本と同じだ。基本的に一夫一妻制で、公に認められるのは正妻のみ。他に女性を囲えば妾と言われて何の権利もない立場になる。ただ、同性婚が正式に認められている所が大違いだが。
しかし、皇帝と皇太子は別だ。
一夫多妻が正式に、どころか制度として確立されている。国の法律として、明文化されているのだ。
「皇后の他に5人の皇妃、だっけ。それ以外はただの愛妾として使用人扱いだけど囲い放題って、あんまり増やしすぎると大変だよ、いろんな意味で」
「――あのな」
「お待ちください、聖女様」
あちこちボロボロになりながらも何とか自力で立っている男が皇帝に代わって前に出た。
夫婦そろって聖女に問い詰められ吹っ飛ばされた、夫の方である。
ちなみに妻は身体的にはほぼ無傷だ。
「それはいささか誤解です。何より、この皇帝陛下にそれほどの甲斐性はございません」
「――おい」
「いやそりゃ知ってるけど、逆に言えば押し付けられたら拒めないでしょ、このヘタ…陛下は」
「――おい、あのな」
ヘタレ――いや皇帝の抗議は華麗に無視された。
自分の事を言っているのにまるっきり視線を向けてくれない臣下と婚約者。自分は果たして本当にこの国で一番上の存在なのだろうかと悩むのはこんな時だ。
泣きそうになっている主君をよそに、宰相はドラマチックに天を仰いだ。
「私も結婚して初めてわかりました。妻という者は、実に、実に大きな存在なのだと」
目がどこか遠くを見ている。
「それが5人。思えば皇帝という立場に立つべくして生まれたお方は、生涯苦労されるために生きておられるのですね」
妻は夫と上司である皇帝に微笑むだけで、無言を通している。
「宰相、お前の妻は宮廷魔導士の長なんだから、他と比べるのは―いや、いい」
宰相と筆頭魔導士の夫婦は新婚で、とても仲が良いのだ。そうなのだ。
「それよりも、だ。聖女、宰相の言った通りだ、その認識には間違いがある」
「間違い?」
「そうだ、皇后1人に皇妃5人じゃない。5人の皇妃の中から1人の皇后が選ばれる、が正解だ」
「は?」
それって何がどう違うのか?
えーっと、1+5じゃなくて、5-1で、結局奥さんが5人っていうのは変わんないけど、正妻の他に別の女性を集めるっていうのとは、ちょっと違う?
でもって、今皇帝の元には3人のお妃がいて—―。
「え、ひょっとしてまだ皇后様っていないの?」
「いない」
「はい、まだ決まっておりません」
「ええええー!?」
まさかそんな、と聖女は眼をかっ開いて叫んだ。
「じゃ、じゃあ数か月前のあのド派手な嫁入りは?その後のどっかの貴族令嬢が輿入れしましたってお祭り騒ぎは?。―何よりその後あたしの親友があんたとくっついちゃった…。あの悲劇は何だったのよおぉー!」
最後は涙交じりの絶叫になった。
「…悲劇って、お前な」
「婚約したのは彼女を皇后達のイビリから守るのも目的だったのにー」
「聖女、それまさか皇后、いや他のお妃様を直接攻撃するのも手だとか考えてませんよね」
宰相が恐怖する。そんなことになったら戦争内乱待ったなしだ。
「もちろん想定内に決まってるじゃん。あの娘を傷つけようもんならファーストレディだろうがなんだろうが、きれいさっぱりこの世から消えてもらうつもりだったわよ」
「やめてください。何より先ほども申しましたが、当代皇后陛下はまだ決まっていません。先に入宮されたお三方は、等しく皇妃として同列の身分であらせられます」
正に国家存亡の危機だった事に、宰相は泣きたくなった。
「同列?それにしちゃ随分…あ、そうよ」
はっと何かに気付いた聖女が、むんずと宰相の胸ぐらをひっ掴んだ。
「皇帝の家庭事情はこの際置いといて、ハズレの妃ってのが何かを聞きたいのよ、あたしは」
いかがでしたでしょうか?