「私も大好きです! 凄いですよね、これ! 作画も脚本も、そして声優の演技も!」
学生時代の私は、普通に何度か、女性と付き合う機会があった。
間違ってもハンサムというレベルではないが、別に醜男というほどでもない。性格的には「優しい人」で通っており、何となく親しくなって、そこから交際に発展する、というパターンが多かった。
しかし。
今にして思えば、私が「優しい」というのは大嘘だったのだろう。私の「優しい」は友だちや恋人に限定されたものだから、まやかしに過ぎない。自分とは縁もゆかりもない他人に対して優しいのでなければ、本当に「優しい」とは言えないはず。私の場合は、しょせん私自身に対する甘さの延長に過ぎなかったのだ。
だが若い頃の私は、それに気づかず……。
誰と付き合っても、数ヶ月もしないうちに「思っていた人と違う」と言われてフラれる、というのを繰り返していた。
そんな中。
律子とは、珍しく一年以上続いたが……。それは単に、律子が隣の県に住んでいたから――それまでの恋人よりは遠距離だったから――デートの回数が少なく、浅い交際だった、というだけの話なのだろう。
律子と付き合ったのは、私が大学院に通っていた頃だった。
当時の私は、朝も遅いが夜も遅く、日付が変わるまで大学の研究室にいるのが普通、という生活サイクル。ある日の帰宅後、夜食を食べながら適当にテレビをつけたら、たまたま放映していた深夜アニメが面白かった。
アニメを「面白い」と感じること自体、私にしては珍しい出来事だったので、それを日記ブログに書いた。すると、コメント欄に、
「私も大好きです! 凄いですよね、これ! 作画も脚本も、そして声優の演技も!」
と熱く書き込んできたのが、彼女だったのだ。
そこからブログでの交流が始まり、さらにオフラインで実際に会うようになって……。何度目かのデートで『友だち』から『恋人』になった。
律子は単なるアニメファンではなく、声優になりたい、という夢を持っている人間だった。アニメ関係の専門学校にも通ったが、卒業しても、声優の事務所に所属するどころか、養成所に入ることすら出来なかった。だからアルバイトをして暮らしながら、アマチュアでも受験できるオーディションを狙っているのだという。
大げさな言い方をするならば、私とは住む世界が違う、という感じであり、インターネットがなければ知り合う機会もないような相手だった。
私は高校が進学校だったから、周りのみんなが受験するから、という理由で大学へ進み、何となく大学院まで来てしまった人間だ。そんな私にとって、夢を追い続ける彼女は、まさに眩しい存在だったのだ。
声優の世界なんて、私には全くわからない分野だったが……。律子から彼女の友人たち――律子と同じ専門学校の卒業生――を紹介された際に、彼らの声の芝居を見せてもらう機会があった。
1ページくらいの台本を録音して、何かのコンテストに応募する、というものだったらしい。それで律子を含めた数人が台詞の応酬をしたのだが、私のような素人が聞いてもわかるくらいに、演技というものは素晴らしかった。
台本の台詞を読み始めた途端、声質や口調といった表面的な部分ではなく、もっと本質的な部分から別人になってしまう。ああ、これが「役になりきる」ということなのか、と感動を覚えるくらいだった。
役者にとっては、出来て当然のことなのかもしれない。だから私のような素人を感動させられるレベルであっても、その程度では、養成所に拾ってもらうことすら無理なのだろう。
そんなことを私は考えたが……。
実はその時、唯一律子だけが、この「役になりきる」という基本が出来ていないように私には聞こえた。彼女の友人たちが声優になれないのであれば、彼女がなれないのも仕方ないだろう、と思ってしまったのだ。
しかし、それを正直に律子に伝えられなかった私は、彼女に対して、あまり誠実ではなかったのかもしれない。