敵の街からはじまる異世界狂争曲 中編
国境の街ノランジェールは、ピリピリした空気に包まれていた。
アルマルディーヌ王国とオミネス、二つの国を分かつ川に架かった橋の上から250人以上が身を投げた結果、100人を超える死者と行方不明者が発生した。
この事件に対してアルマルディーヌ側からは、騎士に対して侮蔑的な扱いを行った結果だとして抗議が行われたが、そもそも侵攻の意図を持ち、身分を偽って入国した者なので、オミネス側は逆に抗議を行った。
一触即発の張り詰めた雰囲気の中で、アルマルディーヌ、オミネスの両軍は睨み合いを続けているが、双方とも迂闊に仕掛けられずにいる。
アルマルディーヌ側とすれば、作戦を指揮する第三王子カストマールの到着を待たず、勝手に戦いを始める訳にはいかない。
一方のオミネスとしては、そもそも自分達から戦を仕掛ける気は無い。
オミネスにとっては現状の維持が理想だから、捕らえた者達は無傷で送還したのだ。
互いに戦いを始めたくない理由はあるが、いつ不測の事態がおこるか分からない状況では、橋を取り囲むようにして兵が展開せざるを得ない。
当然ながら、国境でもある橋は封鎖され、アルマルディーヌ、オミネス双方とも相手の国に取り残される者がいた。
マルビリスは、カルダットを拠点とする人族の商人だ。
年齢は34歳、馬車を使っての行商が主体だが、そろそろ自分の店を構えたいと考えていた。
マルビリスが扱う商品は、獣人族から仕入れた毛皮や魔石などで、そうした商品に一手間加えてからノランジェールやサンドロワーヌで売却している。
今回は、騒動が起こったと噂されていたサンドロワーヌの状況を確認すると共に、ノランジェールで商売をして戻るつもりでいた。
それが、突然の足止めを食らってアルマルディーヌ側に取り残されてしまった。
幸い、定宿の部屋は確保できたが、街の空気は思わしくない。
危険を感じて橋には近付いていないが、アルマルディーヌの騎士や兵士に多くの死傷者が出ているらしく、現場を見た者がその悲惨さを声高に語っていた。
川に落ちた者の上に、欄干を乗り越えた者が頭から落ちて行き、衝撃で頭が割れたり首の骨が圧し折れたりしていたそうだ。
助かった者も手足を骨折していたり、川底に沈んだまま浮かんで来ない者もいるらしい。
全員が身投げした結果とはいえ、待遇に問題があったと考える者が大半のようで、オミネスへの反感は時間を追うごとに高まっているように感じられた。
マルビリスは、この後どのように行動すべきか悩んでいた。
このままノランジェールで待ち続けていても、国境の封鎖がいつ解除されるか分からない。
ノランジェール以外の国境を通ってカルダットに戻るには、遥かに遠回りをしなければならず、時間も掛かるし路銀も心許ない。
いっそアルマルディーヌに拠点を置いて、新たに商売を始めることも考えたが、カルダットに残している財産も馬鹿にならないし、新たに顧客を開拓するのは楽ではない。
あれこれ考えているうちに、窓の外は暗くなり空腹を覚えたマルビリスは、宿の一階の食堂へと足を運んだ。
一階の食堂は、多くの宿と同じく酒場を兼ねている。
階段を下り、食堂に足を踏み入れたところで、マルビリスは不穏な空気を感じとった。
既に酒に酔っている連中が、声を荒げてオミネスを罵っていたのだ。
マルビリスは目立たないようにカウンターの隅に座り、一番簡単なメニューで手早く食事を済ませると、酒は飲まずに部屋へと戻った。
地元の人間に絡まれ、乱闘騒ぎに巻き込まれでもしたら、下手をすれば命に関わる状況だ。
「賢者の弟子は、魔物を避ける……とは言え、早いところ身の振り方を考えた方が良さそうだ」
マルビリスは、明日の早朝に宿を発ち、一旦サンドロワーヌまで引き返すことにした。
大きな騒動があったというサンドロワーヌだが、マルビリスが到着した時には落ち着きを取り戻し、いつも以上に商品も売れた。
取引先の話によれば、一時期は酷い有様だったそうだが、増援部隊が到着してからは平和そのものだと話していた。
この先、ノランジェールでの衝突が激化するのか収まるのかは分からないが、少なくとも騒動の中心地にいるよりは安全だと判断したのだ。
方針が決まれば、気持ちにも若干だが余裕が生まれる。
マルビリスは宿の支払いを先に済ませて早々にベッドに潜り込み、翌朝の出発に備えて目を閉じた。
夜中に一度トイレに起きた時、遠くから人の言い争う声が聞こえてきたが、確かめに行くような気にはなれずに用を済ませてベッドに戻った。
翌朝、街の鐘が鳴る前に目を覚ましたマルビリスは、馬を繋げば出立出来るように馬車の準備を終え、食堂に足を向けた。
あまり良く眠れなかったのだろう、宿の女将は目の下に隈を作っていた。
「おはよう、昨晩はだいぶ騒がしかったみたいだな」
「まったく、心配でおちおち眠っていられなかったよ」
「何がどうなってるんだか……さっさと収まってくれれば良いが」
「本当だよぉ、橋が封鎖されちまったら、うちは商売あがったりだよ」
ミルクとパンだけの簡単な食事を済ませ、一旦サンドロワーヌに避難して、橋が通れるようになったら寄らせてもらうと言い置いてマルビリスは宿を出た。
ノランジェールを離れてしまえば大丈夫だと、まずは騒動をさけて裏道に入ろうとしたのだが、荷車が横倒しになっていて通れそうもなかった。
嫌な予感を覚えつつ、馬車を表通りへと向ける。
表通りに出る道は、橋の近くへと出る道でもある。
何事も無ければ良いがと思い始めた早々に、面倒事が待ち構えていた。
あまり人相の良くない10代後半から20代前半の男が2人、太い木の棒を手にして道を塞ぐように立っている。
まだようやく夜が明けたばかりの時間だから、夜通し立っていたのだろう。
「おい、止まれ!」
「お前、こんな時間にどこに行く!」
この2人は、いわゆる自警団という奴なのだろう。
変な正義感に囚われている分、普通のチンピラを相手にするよりも面倒だ。
2人とも酒に酔ってもいるのだろう、血走った目がいかにも危うい感じだ。
「おはよう、君ら夜通し街を守ってくれてたのか?」
馬車を止めたマルビリスは、感極まったよう装いつつ男たちに呼び掛けた。
「その通りだ、いつオミネスの野郎共が攻めてくるか分からねぇからな」
「あぁ、ありがとう、ありがとう。君たちみたいな若者がいれば、我が王国は安泰だよ」
「ま、まぁ、大したことじゃねぇよ、なぁ!」
「おぅ、普通だ、普通。街を守るのは当然だ」
「いやいや、いくら普通だと思っていても、なかなか実行に移せるものじゃない。素晴らしいよ、君たち!」
マルビリスが御者台から降りて、大げさに褒め称え握手を求めると、男たちは照れくさそうに頭を掻きながら笑みを浮かべた。
「これは、少ないけど昼飯の足しにでもしてくれ」
「い、いや、俺らはそんなつもりじゃ……」
「いやいや、私はサンドロワーヌまで戻らなければならないけど、地元のみんなにはノランジェールの勇敢な若者の話をさせてもらうよ。さぁ、遠慮せずに貰ってくれたまえ」
「そ、そうっすか……じゃあ、ありがとうございます」
「すみません。どうぞ、サンドロワーヌまで気を付けて……」
「ありがとう、君たちも怪我の無いように気を付けて」
長年、行商人として渡り歩いてきたマルビリスにしてみれば、街の不良を丸め込むなど造作も無いことだ。
この後、ノランジェールを出るまでに、もう一度同じような演技をして余計な金を使う羽目になったが、マルビリスは無事に街を抜け出してサンドロワーヌへと向かった。
マルビリスのように要領良く切り抜けられた者がいる一方で、言われなき迫害を受ける者もいる。
テナーゾは、カルダットに店を構える商会で働き始めて3年になる男だ。
子供の頃から足に自信があって、得意先への届け物や手紙の配達をやらされていた。
今はサンドロワーヌの取引先に手紙を届け、返事を受け取って帰る途中だつた。
前日の夕方にノランジェールに着いたテナーゾは、宿を確保することもままならず、朽ちかけた空き家に潜り込んで一夜を明かした。
夜が明けてから、もう一度橋の様子を確かめて、封鎖が解けていればオミネスに戻り、通れなければサンドロワーヌへ戻るつもりでいた。
おそらく、橋の様子など確かめずにサンドロワーヌへと向かっていれば違う結果になっていたのだろうが、テナーゾもまた自警団の連中と鉢合わせになった。
「止まれ、どこに行くつもりだ!」
「どこへって、橋の様子を確かめて通れるならばオミネスに戻るつもりだ」
「いたぞ! オミネスの犬だ!」
「危ねぇ! なにしやがんだ!」
「うるさい、捕まえろ!」
身の危険を感じたテナーゾは、思いきって橋の方向へと逃走した。
橋の封鎖が解けていれば、そのままオミネスへと渡れば良いし、通れなくてもアルマルディーヌの兵士に助けを求めれば良いと考えたのだ。
いくら騒動が起こったといっても、何の罪も無いオミネス市民が暴行を受けるのを見逃すはずがないと考えたのだが、橋に近づく前に別の男たちに回り込まれ、川沿いの崖に追い込まれてしまった。
「来るな! 俺が何をしたって言うんだ!」
「うるさい、オミネスの犬め!」
崖っぷちに追い込まれたテナーゾのを、対岸で警戒に当たっていたオミネスの若い兵士が発見した。
「貴様ら、何をやっている!」
「た、助けてくれ! 俺はオミネスの国民だ!」
とっさにテナーゾは対岸に助けを求めたが、ジャンプをして届く距離ではないので、若い兵士は警告を与えることしか出来ない。
「貴様ら! 我が国の民に危害を加えたら、承知せんぞ!」
「うるせぇ、この卑怯者どもが!」
テナーゾを取り囲んだ自警団は総勢8人で、全員がこん棒を握っている。
このまま袋叩きにされれば命に関わると感じた兵士は、テナーゾに川に飛び込むように叫んだ。
「おい、思いきって飛び込め! すぐ船で助けてやる!」
「無理だ! 俺は泳げない!」
テナーゾは左に向かって走るフリをして、右側にいた小柄な男を突き飛ばして逃げようとした。
「ぐふぅ……」
走り寄られた小柄な男は、慌てる素振りも見せずにテナーゾの鳩尾にこん棒を突き入れた。
腹を押さえたテナーゾの脛を、別の男が思い切り打ち据える。
「やっちまえ!」
「食らえ、オミネスの犬が……ぎゃぁぁぁ!」
テナーゾ目掛けてこん棒を振り下ろそうとしていた男が、首筋から鮮血を撒き散らしながら吹っ飛んだ。
「立てぇ! 立って川に飛び込め!」
「畜生! オミネスが撃ってきやがっ……うがぁぁぁ!」
テナーゾを襲っていた自警団に攻撃を加えた兵士は、上官からはくれぐれも軽率な行動をとるなと命じられていたが、同時に理不尽なアルマルディーヌの行動に心底腹を立てていた。
そんな時に、自国民がなぶり殺しにされそうになっているのを目撃して、我慢の限界を超えてしまったのだ。
「やられた! オミネスの野郎が……ぎゃぁぁぁ!」
「食らえ! 王国のクソ野郎どもがぁ!」
オミネスの若い兵士は、自警団どもがアルマルディーヌの兵士に知らせる前に、全滅させてやるつもりでいたが数人が転げるように逃げ出した。
「攻撃だぁ! オミネスの攻撃でゲールがやられた!」
「助けてくれぇ! オミネスが撃ってきたぞ!」
自警団の連中は、大声で叫びながら兵士が集まっている橋の方向へと走っていく。
「おい! 立て、立て、立て、立ってくれ! そうだ、飛び込……ぐぁぁぁ!」
テナーゾに気を取られていた若い兵士は、対岸から打ち込まれた炎弾の直撃を食らって火ダルマになった。
「敵襲! 敵襲ぅぅぅ!」
若い兵士が炎に包まれたのを見た別のオミネス兵が大声で叫ぶ。
たちまち川を挟んでの攻撃魔法の撃ち合いが始まり、ノランジェールの街は戦火に包まれていった。