ゆるパクスキルを持つ男 異世界で暗殺者はじめました!
「違う……俺じゃ……」
「ヒョウマ」
「やめろ……お前らだって……」
「ヒョウマ……ヒョウマ……」
「うるさぃ……なんで俺だけ……」
「ヒョウマ! しっかりしろ、ヒョウマ!」
肩を強く揺さぶられると、どす黒い血を吐きながら迫って来たベルトナールの顔が歪み、見慣れた獅子獣人へと変貌を遂げた。
「ラ……フィーア?」
「そうだ、大丈夫か?」
「だ、大丈夫だ……いや、駄目だ」
アルマルディーヌの王都ゴルドレーンの城から脱出した俺は、街の外まで空間転移を行った直後、奪った鎧を脱ぎ捨てた。
兵士の首を叩き折った手応え、曲がってはいけない角度に首を傾けた衛士から鎧を奪った光景、誰何された衛士を躊躇なく殺した情動などが押し寄せて来て、一分一秒でも早く鎧を脱ぎ捨てたかったのだ。
衛士から奪った服や靴にも、怨念のようなものが染み付いているような気がして、真夜中の草原で全部脱ぎ捨てた。
脱ぎ捨てた鎧や服から、俺が殺した衛士の霊が這い出てくるような気がして、逃げるようにしてダンムールまで戻って来た。
とにかく、一人でいるのが恐ろしくて小屋へと戻ると、アン達と一緒にラフィーアが待っていてくれた。
たぶん、酷い顔をしていたのだろう、俺を心配するラフィーアにしがみ付き、その身体に溺れた。
人化を解くことすら忘れ、恐怖や嫌悪感を忘れるために獣のように求めた俺をラフィーアは受け入れ、包み込んでくれた。
そして、疲れ果てて眠りに落ちると、夢の中にベルトナールが現われ、どす黒い血を吐きながら俺に迫ってきたのだ。
夢の中の俺は、何のスキルも持たない無力な存在で、首が圧し折れた衛士に押さえつけられ、ベルトナールが吐き出す毒液交じりの血を飲まされ、悶え苦しみ死んでいく。
夢だと分かっている明晰夢なのに、身体の震えが止められない。
「大丈夫だ、ヒョウマ。ここはゴルドレーンではなくダンムールだ。お前を傷付ける者はいない」
「ラフィーア……ラフィーア……」
「あぁ、私はここにいる。ずっとヒョウマのそばにいるぞ」
ラフィーアに抱きしめられ、柔らかな胸に顔を埋めていると、身体の震えが収まって来る。
規則正しいラフィーアの鼓動が、生命の存在を実感させ、怨念を振り払ってくれるような気がした。
そのまま気を失うように眠りに落ち、またうなされ目覚める事を夜明けまで繰り返した。
日が昇り、里が動き出す時間になっても、全く眠った気がしなかった。
「大丈夫か、ヒョウマ。無理をせず、今日は休んでいた方が良いのではないか?」
「いや、せめてハシームには報告をしておきたい……」
「そうか、ならば私も一緒に行こう」
人化を解いて竜人の姿に戻れば少しはマシになるかと思ったが、あまり体調は良くならなかった。
ラフィーアに支えられるようにして小屋を出て、里長の館に向かった。
憔悴した俺を見て、ハシームは血相を変えた。
「どうした、ヒョウマ。何があった?」
「傷を負ったわけではないから、大丈夫だ」
「そうか、それで何かあったのか?」
「ベルトナールを毒殺した」
「なんだと、それは本当か!」
「直接確かめた訳ではないが、あの様子なら間違いなく死んでいるはずだ」
「でかしたぞ、ヒョウマ! これで情勢は大きく変わる。我らサンカラーンが一方的に虐げられる事は無くなるはずだ!」
「喜ぶのは待ってくれ。ベルトナールは死んだが、状況は必ずしも良くなっていない」
ベルトナールを毒殺したのが、決起の宴であったことや、アルブレヒトやカストマールにも兵が与えられて戦の準備が進められている事を話すと、ハシームは表情を引き締めた。
「両方を合わせると1万か。そこにベルトナールの分が加わると1万5千。更に貴族達の従軍考えると、4万以上の大群となる可能性もあるな」
「4万……そんなにか」
「これは、他の里に知らせねばならんな」
「俺が……」
「そんな状態で何を言う。それに、今日明日という話ではないだろう」
「そうか……兵を動かすのには時間が掛かるのか」
ベルトナールが死んで状況に変化があるかもしれないが、決起の宴の時点では戦を始めるのは一月も先だと言っていた。
今から使いの者が走っても、十分に間に合う。
「だが、直前になって、もっと詳しい戦術が分かったら、知らせた方が良いよな?」
「そうだな。その時には、ヒョウマに儂の書状を届けてもらうかもしれん。だが、今は休め、酷い顔だぞ」
竜人の状態でも酷いと分かるのならば、相当に酷いのだろう。
今日は大人しく休んでいた方が良いかもしれない。
「イッテツには、儂の方から知らせておいてやる。戻って休め」
「分かった。そうさせてもらうよ」
ハシームの言葉に従って小屋へと戻ったが、眠たいのだが眠りたくない状態で、とりたててやる事も無く、時間を持て余してしまった。
「ヒョウマ、風呂にでも入ったらどうだ?」
「風呂か……そうだな、少しは気が紛れるか」
汚れていた湯船を水属性魔法を使って洗浄して、新しいお湯を張る。
もう何度も繰り返した作業だから、お手の物だ。
服を脱いで湯船につかると、アン達が飛び込んで来て、たちまちお湯がドロドロになるのものいつもの事だ。
アン達を洗って、お湯を張り直すと、ラフィーアも入ってきた。
「ふぅ……昼間から風呂につかるのも良いもんだな」
「あぁ、贅沢している気分だ」
「ヒョウマ、少しゆっくり休んだ方が良いのではないか?」
「そうは言っても、ベルトナールが死んで、アルマルディーヌは大騒ぎになるはずだ。奴らの動きを探って、サンカラーンに攻めて来るなら阻止しなきゃ。それに、獣人族の奴隷の解放は全然進んでいない。早く、一人でも多く解放したいからな」
「ヒョウマがサンカラーンの為に戦ってくれるのは有難いが、私はヒョウマの身体の方が心配だ」
「それなら、ラフィーアが俺を無理を重ねないように止めてくれ。俺が一人で暴走しないように、そばにいてほしい」
「ヒョウマ……勿論だ、ヒョウマが駄目だと言っても側を離れないぞ」
俺の腕の中に身体を預けてくるラフィーアを、抱きしめて唇を重ねた。
今はこの温もりを感じていなければ、心が壊れてしまいそうだ。
翌朝まで食って寝るだけの生活を続けて、ようやく悪夢から解放された。
もう数百人の命を奪ったのだ、言い訳じみた生き方は止めよう。
こちらの世界に天国や地獄があるのか分からないが、地獄に落ちるその時まで、ダンムールのヒョウマとしての生き方を貫くと、改めて心に誓った。
朝食を済ませた後、樫村に状況を説明した。
「本当にベルトナールを仕留めたのか?」
「たぶん、蘇生術とか現代日本では考えられない秘術でもあれば話は別だが、あの状況では助かっていないはずだ」
「そうか、だとしたら、とりあえず僕らは安全ってことだな?」
「そうだな。ダンムールはサンカラーンの中でも奥地にある里だから、アルマルディーヌの連中が攻め込んで来る心配は要らない」
「それならば、守りのウエイトを少し減らして、攻めに転じても良いかもしれないな」
「攻めるって、何処を攻めるつもりだ?」
「勿論、獣人族が奴隷として使われている施設だが、情勢を見極めてからだな」
「俺としては、1万5千人の兵士をどう使ってくるのかが気掛かりなんだが」
「その辺りは、麻田に探ってもらうしかないな。ただ、兵力とか攻める里まで公表するぐらいだから、探るのは難しくないだろう」
確かに樫村の言う通り、行軍の日程からそれぞれが攻める里まで、隠すどころか宣伝して回っていた。
「行軍の日程が決まったら、どうする?」
「決まってるだろう。武器や食料を根こそぎ盗んで来いよ。それで行軍出来なくなる」
「まぁ、それが一番無難だよな」
兵の数が増えれば、それだけ多くの食糧や水が必要になる。
当然、盗まれてしまえば、新たに用意するのは簡単ではなくなる。
どれほどの食糧の備蓄があるのかは分からないが、サンカラーンを攻めて来るならば、盗み続けてやる。
セコいと言われようと、卑怯と言われようと、人を殺すよりはマシだろう。
クラスメイト達を樫村に頼んで、俺はカルダットへ向かった。
ベルトナールが死んだ事をフンダールに伝え、今後の打ち合わせをするためだ。
エッシャーム商会を訪ねると、フンダールはすぐに俺を奥の部屋へと通した。
「ヒョウマさん、まさか……」
「ベルトナールは死んだようだ」
サンドロワーヌの異変に始まり、王都で聞いた挙兵の話、決起の宴での様子などを順を追って説明したが、あえて俺が毒殺したとは伝えなかった。
王城で出くわしたオミネスのスパイと思われる女性の存在も話したが、フンダールは頭を抱えた。
「ヒョウマさん、せめてサンドロワーヌの騒動が収まるまで待っていただきたかった……」
エッシャーム商会では、国境の街ノランジェールを通り、サンドロワーヌまで足を伸ばして行商を行っているらしい。
そのサンドロワーヌから住民が逃げ出すような事態が起こり、しかも、それを鎮圧する立場のベルトナールが毒殺されてしまえば、更に事態は混迷の度合いを増していくだろう。
「悪いが、俺も余裕が無くて、一杯いっぱいだったんだよ。それで、残りの王子はどうする?」
「そちらは、情報を集めてからにいたしますが、ヒョウマさん、ノランジェールの様子は分かりますか?」
「いや、ノランジェールの様子は見ていない」
「今、千里眼で見ることは?」
「ちょっと待ってくれ……ノランジェールはどっちだ?」
「あちらの方角になります」
フンダールの指差す方向を辿り、千里眼でノランジェールの様子を見たが、特段変わった様子は見られない。
まだサンドロワーヌからの情報が届いていないのだろう。
「普段と変わった様子は見られないな」
「サンドロワーヌの現状も見られますか?」
「ちょっと待ってくれ……うわぁ」
「どうされました?」
「なんと言うか、ゴーストタウンみたいだ」
サンドロワーヌの街は、住民の殆どが退去してしまい、残っているのは一部の住民と騎士、兵士の姿しか無い。
西の街道へと視線を向けると、王都を目指しているのか、ゾロゾロと歩く人の列が見えた。
サンドロワーヌの現状を伝えると、フンダールは再び頭を抱えた。
一つの街が、こんなに容易く崩壊してしまうとは、想像もしていなかったのだろう。
「ヒョウマさん、うちの支店の者がどうなったか分かりませんか?」
「サンドロワーヌに支店があるのか?」
「はい、支店と言っても裏通りの小さな店で、商売よりも情報を集めることに重きを置いております」
そう言われても詳しい場所が分らないので、フンダールを地図を書いてもらい、それを頼りにサンドロワーヌの街を見回して、目標の店を見つけた。
「店の戸は閉まっているが、奥に人が二人、テーブルを挟んで何か話しているようだ」
「うちの者みたいですね。慌てて逃げ出すような事はしなかったようだ……」
サンドロワーヌの街は住民の姿が消えてゴーストタウンのように見えたが、エッシャーム商会の支店以外の建物を覗いてみると、意外に多くの人が残っていた。
殆どの人が家の中に立て籠もっているような状態で、街から逃げ出すか、このまま残るべきか決めかねているように見えた。
「どうする? 二人を連れ戻すか?」
「そうですね……いや、そのままにして下さい」
「良いのか? 二人を連れ戻す程度は訳ないぞ」
「いえ、この状況を独力で乗り切れば、商売人として得難い経験を得られるはずです」
「だが、危険じゃないのか?」
「街の治安はどうですか? 略奪とかが行われていますか?」
フンダールに尋ねられて、改めてサンドロワーヌの街を眺めてみたが、街中を馬に乗った騎士が巡回しているし、人の姿は無いが街が荒れている様子は見られなかった。
その様子を伝えると、フンダールは二度三度と頷いた後、支店の者はそのままで良いと告げた。
第一王子、第三王子の暗殺についても、まずはベルトナールの死がどのような影響を及ぼすか見極めてからという話になった。
宿敵は暗殺出来たが、再度王都へ情報収集のために潜入する必要がありそうだ。