ダンムールでも無難に生きたい症候群
チャベレス鉱山にいた獣人族をマーゴの里へと送った翌日、俺はアルマルディーヌの王都ゴルドレーンに来ている。
目的は、食糧の奪取だ。
当初の約5万人の予定からすると、6分の1程度の人数になってしまったが、それでも一度に人が増えれば食べる物が不足しかねない。
そこで、手っ取り早く調達するために、王城の食糧庫へと忍び込んだのだ。
主食となる小麦やトウモロコシ、芋などの穀物と、塩や砂糖、油などを警備の目を盗んでアイテムボックスに放り込んだ。
肉などが不足した場合には、狩りで調達してもらおう。
王城で食糧泥棒を終えた後は、人化して街の様子を見て歩いた。
以前、ゴルドレーンの街を見て回った時は、三人の王子がそれぞれ同じだけの兵を率いてサンカラーンを攻めると言われていた時だった。
その後、次期国王の声も多かった第二王子ベルトナールが死去し、第四王子も表沙汰にはなっていないが死亡して、前回来た時の浮足立つような活気は感じられなかった。
それでも、街の平穏は保たれているように見える。
サンドロワーヌに潜入した時の商人に偽装する格好で街を歩き、お茶を売る出店に立ち寄った。
「一杯もらえるか?」
「砂糖はどうしやす?」
「入れてくれ」
「へい、毎度」
店の親父は手慣れた手付きでお茶を淹れ、ミルクを注ぐ。
砂糖も入れたが、ほんの少量、角砂糖の半分程度だった。
「へい、お待たせ」
金を払って受け取ると、フワっとバターの匂いがした。
濃厚な味わいのお茶を一口啜ってから、店の親父に話し掛けた。
「さっきサンドロワーヌから着いたところなんだが、王都の景気はどうだい?」
「そうだねぇ……良くもなく、悪くもなくといったところだね」
「ベルトナール様が亡くなったと聞いたが」
「あぁ、そういうお触れがあったけど、俺ぁ今でも信じていねぇよ。きっと何かの事情があって、表には出ていらっしゃらないだけで、ご存命でいらっしゃるに違いねぇ」
既にベルトナールの葬儀が行われ、棺は王都の街を通り、住民に見送られながら墓所へと向かい埋葬されたそうだ。
それでも、まだベルトナールの存命を信じる者が少なからずいるようで、隣の屋台の親父も無言で頷いていた。
「王都では大きな騒ぎは起きていないが、サンドロワーヌでは暴動が起こったと聞いたが……」
「あぁ、フェスティバルの時だな……ありゃ酷かった」
暴れ馬が群衆に突っ込んだ話や、獣人族の奴隷を襲うために起こった暴動の話をすると、隣の屋台の親父まで商売そっちのけで話を聞いていた。
「俺は、その暴動の直後にサンドロワーヌを離れて、行商をしながら王都まで来たんだが、どうも俺が離れた後の方が酷かったらしい。だが、途中でカストマール様の軍勢とすれ違ったから、治安は回復するだろう」
「あぁ、カストマール様は戦巧者だと聞くからな……」
普通、戦巧者というと誉め言葉のはずだが、屋台の親父の言葉には侮るような響きがあった。
「何にしても、余計な戦いとかは勘弁してもらいたいものだ」
「あぁ、全くだ。不景気は、俺達しがない商売人の所に最初に来て、最後まで居座っていやがるからな」
「まったくだ……」
カップを返却して、屋台を後にする。
今は平穏な王都だが、ノランジェールの闘いが伝えられたら、どのような反応になるのだろう。
屋台の親父と商売の話をして、カルダットの商人フンダールにノランジェールの件を伝えていないのを思い出した。
盗み出した食糧をマーゴに届けたら、カルダットに向かおう。
途中、人化を解いて着替えた後で向かったマーゴの里では、救出された元奴隷の一部が地元に戻る準備を進めていた。
一刻でも早く家族の下に戻りたのと、マーゴの里の負担になっているという思いもあるようだ。
「おぉ、ヒョウマ殿、これは有難い。正直、穀物の不足は心配だった」
「本来は準備を進めてから鉱山を制圧する予定でしたから、準備不足で迷惑を掛けて申し訳ない」
「とんでもない。ここまで尽力してくれているヒョウマ殿やイッテツ殿には感謝しかない」
「もう自分の里に帰る支度を始めている人がいるんですね」
「とりあえず、儂の名前で事情を記した手紙を持たせるようにするつもりだ。途中の里の者達も、便宜を図ってくれるだろう」
元々、サンカラーンでは移動をするといっても隣の里まで出掛ける程度で、遠くまで旅をする者は殆どいないそうだ。
なので、路銀や旅支度といった観念が乏しく、何を用意すれば良いのか迷っているらしい。
そこで、マーゴの里長ビエシエが書いた手紙を持たせて、旅の手助けをしてもらおうと考えたようだ。
里同士で、あまり仲の良くない所もあるそうだが、それでもアルマルディーヌ絡みで難儀している者ならば、助けないはずがないそうだ。
「みんな、無事に里に戻ってくれるといいな」
「体調に不安のある者は、うちで休ませてから送り出すつもりだし、なんなら若い者に送らせても良いと考えておる。これからは、ベルトナールによる突然の攻撃に備える必要も無いし、他の里との交流も増やしていこうと思っておる」
「そうですね。俺も皆さんの手助けが出来ればと思っています」
今回、鉱山に囚われていた人達の受け入れを頼みにマーゴや周辺の里を訪れて、ダンムールと暮らしの質の違いを感じてしまった。
王国に近いほど、襲撃を受ける可能性が高く、労働力が奪われてしまうので暮らしも苦しくなっているようだ。
そうした事情を考えるならば、鉱山からは全員を空間転移で引き上げさせた方が良かったように感じる。
一日でも早く、生まれ育った里に戻って、復興に力を注いでもらいたいものだ。
また様子を見にくるとビエシエに約束して、マーゴの里を離れてカルダットへ向かった。
途中、ノランジェールの近くの森から様子を窺うと、戦闘は完全に停止、国境の封鎖は解かれていないが、アルマルディーヌ側に兵士の姿はなく、戦死者の埋葬が進められていた。
アルマルディーヌには、もう戦闘を継続するための戦力は無く、オミネスには戦う意思が無いらしい。
この先どうなるかまでは分からないが、今の時点でのカルダット侵攻の可能性は無さそうだ。
そのカルダットの様子を街の外から窺うと、ノランジェールに向かう街道に多くの兵士が駐留していた。
おそらく、アルマルディーヌの侵攻に備えているのだろう。
エッシャーム商会を訪れると、待ちかねていたといった様子のフンダールに奥の部屋へと連れていかれた。
「ヒョウマさん、アルマルディーヌの軍勢は、どの辺りまで来ているのですか?」
「一昨日……いや、三日前になるのか、ノランジェールで壊滅させた」
「何ですって……壊滅?」
「あぁ、数千人規模だと思うが、橋を越える前に壊滅させた」
ノランジェールで起こった戦闘の様子を伝えると、フンダールは言葉を失っていた。
「カストマール第三王子まで……それは本当……なのでしょうね」
「馬車ごと粉々に吹き飛ばしたから、助かるはずがないが……死亡を確認するのも難しいかもしれないな」
「私としては、死者は出来るだけ抑えていただいて、追い払ってもらいたかったのですが……」
「気持ちは分かるが、状況的に無理……」
ふとフンダールに状況を説明している俺は、鉱山での虐殺を俺に説明するテーギィとダブっているように感じてしまった。
サンカラーンの軍勢を守るためには、相手を壊滅させるしかなかったというのは、俺の言い訳のように感じてしまう。
同時に、俺にテーギィを責める資格なんて無いと思ってしまった。
「ヒョウマさん、どうかなさいましたか?」
「あぁ、もう一つ知らせておかなきゃいけないんだが……」
「まさか、チャベレス鉱山ですか?」
「あぁ、首輪の無効化が済んでいた者達が反乱を起こして制圧した」
「では、鉱山は止まっているのですね?」
「止まっているし、もぬけの殻だ」
健康な者達は自分の足で、健康に不安を感じていたり、早く里へ戻りたい者は空間転移でサンカラーンに届けたと伝えると、フンダールは頭を抱えた。
「これで、当分の間は鉄の輸入は難しくなります。まぁ、オミネスの軍隊がノランジェール方面の守りを固めた時点で、鉄の値段は上がっていますが……」
既に、カルダットから出る者には、行けるのはノランジェールまでだと兵士から説明があるそうだ。
ノランジェールから先、つまりアルマルディーヌ王国に入れる可能性は極めて低いと告げられるらしい。
「せめて、どちらか一方にしていただければ良かったのですが」
「俺も、同時に行うつもりはなかったが、ノランジェールから戻った時には反乱は終わった後だった」
「そうですか……そもそも、ノランジェールとチャベレス鉱山の状況を同時にコントロールするなど無理な話です。失礼しました」
フンダールは頭を下げた後、気持ちを落ち着かせるようにお茶で喉を湿らせた。
「ヒョウマさん、この後はどうなさるおつもりですか?」
「それなんだが、暫くは状況を見極めながら、生活の基盤を安定させることに専念しようかと思っている」
「と言いますと、あちらの世界の知識を使って、新しい商売とかをなさるおつもりですか?」
「そうだな、正直そっちは樫村……イッテツに任せきりなんで、俺は約束していた街道の整備でも進めようかと思っている」
「それはそれは……カルダットの者達も、アルマルディーヌとの往来が止まればサンカラーンに視線を向けます。そこに街道の整備を進めていだければ、往来は更に増えるでしょう」
「あぁ、出来れば、サンカラーンの西の地方も発展できるようにしたい」
鉱山から救出した者の受け入れを頼みに行ったマーゴなどの里が、ダンムールよりも経済的に苦しい現状を話すと、フンダールも頷いていた。
「ただ、道を整備すれば行き来はしやすくなるだろうが、肝心の取り引きする物がなければ儲けには繋がらないよな」
「おっしゃる通りです。ダンムールには水晶という産業がありますが、他の里は魔物や獣の素材程度ですので、訪れる商人にとっても旨味が少ないのが現状ですね」
「そうか……俺達の懐だけでなく、サンカラーン全体を潤すような産業を考えないと駄目だな」
「ヒョウマさん達の知識とサンカラーンの特色を合わせた商品を作り出していただければ、私どもは喜んで扱わせていただきますよ」
「そう言われてもなぁ……まぁ樫村と相談してみるよ」
「えぇ、是非お願いいたします」
フンダールからは、ノランジェールやサンドロワーヌ、ゴルドレーンの状況なども探ってもらいたいと頼まれた。
俺達としても、アルマルディーヌ国内の状況は把握しておきたいので、定期的に見て回ると約束した。
「ところで、まだ先の話になるけど、ゆくゆくはアルマルディーヌに獣人族の解放を要求したいと思っているんだが、どういった手順で行えば効果的かアドバイスが欲しい」
「それは、奴隷の完全解放ということですか?」
「そうだ、獣人族限定だがな」
「繁殖場の廃止も含めてですね?」
「勿論だ、そこは一番の肝だからな」
「うーん……正直に申し上げて実現は難しいですよ」
「分かっている。ただ、現状のままではサンカラーンとアルマルディーヌの対立は決して解消しないし、相互不可侵の状況を作るにしても奴隷解放抜きでは無理だと思うんだ」
「確かに、同族が囚われの身では対立の解消は難しいですね。分かりました、オミネス政府の伝手にも当たってみましょう。ついては、カストマール死亡の情報を流しても構いませんか?」
「あぁ、利用できるなら使ってくれ」
オミネスからも圧力を掛けてもらえれば、実現の可能性も高まるだろう。
それにオミネス政府との繋がりが持てれば、クラスメイトが帰還方法を探す一助ともなるだろう。
今後も互いに連絡を取り合い、情報を共有していくとフンダールと約束し、ダンムールへと戻った。