70話 チカラという枷
「昨日さ、おじさんの新しい薬を断ったでしょ? 凄く嬉しかったんだ…… このチカラは体の一部だって、キミも理解してくれてたんだなって。 でもちょっと考えたの…… 元から使えなければ、こんな歯がゆい思いもなくなるんじゃないかなってね 」
「…… なくなったって、俺らがチカラを持っていた記憶は変わらないよ 」
逆にもっと苦しい思いをすると思う。 チカラがあればと憧れを持つゆかり先輩がそうなのだろう。
「そっか…… そうだよね 」
彼女は俺の手を離し、親猫に寄っておいでおいでと手招きする。 すると親猫は助けを求めるかのように彼女にすり寄り、木の上を向いて『なーご』と鳴いた。
「…… 美紀が言ってくれたんだ 」
「うん? 」
「俺らのチカラはテレポートだけじゃないんだって。 テレポートだけが俺らの全てじゃないんだって。 あの仔猫を助ける方法は他にあるよ 」
俺が近付くと親猫は逃げてしまったが、俺はそのまま子供達の元に向かう。
「どうしたの? 」
「猫ちゃんが泣いてるの 」
女の子は不安そうにまた木の上の仔猫を見上げる。 他の子もどうにかして助けたい様子だった。
「うーん…… 」
幹が細いから登ったら折れそうだし、下手をすれば仔猫がびっくりして落ちてしまいかねない。 仔猫の枝までは4メートルほど……
「ハル君、肩車して! 」
いい案だけど、美織はミニスカートだぞ! 躊躇していると彼女に『早く』とせがまれる。 しゃがんで彼女に背を向けると生の太ももが俺の顔を挟んだ。 やばっ…… 今は仔猫を助けるんだ、無心無心無心! と勢いをつけて立ち上がる。
「もうちょっと…… ! 」
上を向けないから状況はわからないが、少し場所を変えてみたり背伸びしてみたりして救出を試みる。
「頑張れお姉ちゃん! 」
「おねえちゃん左左! 」
子供達の声援を受けて美織も出来る限り背伸びをする。 その時だった。
「春君! 美織さん! 足場作って! 」
背中から聞こえた美紀の声に振り向き、咄嗟に両手を組んで踏み台を作る。 走り込んできた美紀は俺を踏み台にし、美織の肩に手をついて新体操ばりに宙を舞う。
「はい! 」
両手を上げて見事な着地を決めた美紀の手には、ブルブルと震える仔猫が握られていた。
「ナイスだ美紀…… おわっ! 」
バランスを崩して尻もちをつくが美織は決して落とさない。
「凄いよお兄ちゃ…… あっ! 」
美紀に子供達が走り寄った瞬間、今度は親猫がどこからか現れて頭の上に掲げていた仔猫をハイジャンプでさらって行った。 『あーあ!』と子供達は残念がっていたが、無事仔猫は降りられたのだから良しとしよう。
「お見事。 さすがの連携プレイね 」
パチパチと俺達の前で拍手をしていたのは大きな紙袋を腕に下げた本條先輩だった。
「恵ちゃん! 」
美織は喜んで先輩に抱き付くが、俺にはここに彼女がいる意味が分からない。
「なっ…… んでじゃなくて、どうしたんですかこんな所に 」
「…… 奇遇ね、ハルト君 」
そのセリフはデフォルトなんだ……
「サプライズであなたのお宅に押しかけようと思ったのだけれど、こんな所で美織とじゃれてるんだもの。 想定外だったわ 」
「朝早くに先輩から電話来たからびっくりしたよ。 今すぐに伝えなければならないことがあるって言われたらねぇ 」
美紀は手に付いた猫の毛を払いながら苦笑いをする。 先輩に道案内を頼まれたらしい。
「それなら俺に連絡してくれれば良かったのに 」
「サプライズと言ったでしょう? メインはあなたの驚く顔が見たかっただけなのだけれど。 はい美織、お土産よ 」
キョトンとしていた美織は、先輩から受け取った紙袋を覗いてびっくりしていた。
「これ恵ちゃんの服? それにブラシとか小物まで…… 」
「使わなくなったものばかりだから遠慮しないで。 いい処分先が見つかったとほくそ笑んでいるの 」
「ありがとう! 」
素直じゃないのは先輩の照れ隠しなのかもしれない。 考えや先を読まれるのは少し怖い部分はあるが、こういうサプライズは俺としても嬉しいものがある。
「それはそうと、どうして跳ばなかったの? 」
先輩は子供達が周りにいない事を確認してから、俺達の顛末を聞いてきた。
「子供達の注意を引くとか、目を瞑らせるとか、やりようはいくらでもあった筈よ。 美織はピンクのパンツ丸出しだったし、転んで怪我でもしたら…… スマートじゃないわ 」
「…… 先輩たちは、俺らがチカラを失ったとしたらどうしますか? 」
本来ならば、先に絵里やゆかり先輩に話すべきなのかもしれない。 だがこの人はもう信頼できる仲間だと思っている。
「…… あり得ない話ね。 私にとってあなた達はクローンの存在を証明する唯一無二の存在。 父の研究成果である多能性幹細胞を消滅させるなどさせはしないわ 」
「そんな言い方って! 」
美紀が食って掛かろうとするのを腕で制する。
「だけどあなたがそのチカラを捨てたいと願うのなら仕方がない事。 せいぜい私にバレないようにすることをお勧めするわ 」
「俺らはチカラありきの存在ですか? 」
「持って生まれたチカラなのでしょう? それも含めて、飛島春翔や中里美織だと思うのだけれど? 失くしてしまうのなら譲って欲しいくらいよ 」
「苦労しますよ? 」
「望むところよ。 それが父が生涯をかけて追い求めたチカラなのだから 」
チカラを譲る方法などないと先輩はわかっていると思う。 それでも欲しいと言うのは、恐らく俺らは親父に宣言した通りこのチカラを手放しちゃいけないんだ。
「ありがとうございます、先輩 」
「感謝されることなど何もしてないわ。 それじゃ、あなたのお父さんにご挨拶してもいいかしら? 」
「もちろん! 行こ、恵ちゃん! 」
俺が返事するよりも先に美織が腕を組んで先輩を引っ張っていく。
「良かったね、春君 」
「うーん…… 良かったのか? 」
俺と美紀も彼女達の後に続いて自宅に戻ったのだった。




