62話 春翔と美織と純一と
「美織は研究所の中でも私になついていてな。 私としても娘のような存在だった。 今年で二十歳の筈だが、やはり成長度合いはお前と同じようだ 」
親父は昔を懐かしむように目を細め、コーヒーカップを見つめながら軽くため息を吐く。 確かに見た目と話した感じに違和感を覚えた。 俺も成長遅延薬を飲まなければ、あんな感じに成長していくのだろう。
「徳間教授は春翔君が飲んでいるような薬を作らなかったのでしょうか? 」
「作れなかったと言った方が正しいかもしれん。 私と違い、3人の子供達を連れての逃亡は至難を極めたと思う。 事実、徳間教授も二人の子供達も亡くなった…… この10年近くを生きられたのは、徳間教授の財力で各地を転々としていたのだろう 」
「そうか、だから中里さんの身なりも持ち物も…… 」
徳間教授や他のクローンが亡くなった後どうなったのかは気になるところだが、彼女は一人で親父を頼ってここに来たのだ。 俺達は一人では行きていけない…… だから彼女を突き放すという選択肢はない。 だが彼女がここで暮らすようになったら、彼女も俺達も大丈夫なんだろうか?
「ハル、浮かない顔だな。 美織くんに緊張しているのか? 」
「そんな楽観的なもんじゃねぇよ。 ホントに大丈夫なのか? 関係者が中里さんを追って来たとかはないのか? ここの存在がバレれば、被害はもう俺達だけじゃ済まないんだぞ? 」
「その時はその時だ。 ハル、あのな…… 」
「お父様、私に言わせてもらえませんか? 」
ゆかり先輩が親父の言葉を遮って俺に向き直る。 その目は圧が強かったが、怒っている様子ではない。
「最悪の事態を考えるのは悪いことではありません。 ですが、ネガティブな心は表面に現れます。 最悪を招く要素にもなり得ます。 ですから、最悪を回避する事を考えませんか? 」
重ねられる手があたたかい。 俺はこの手を…… 美紀や絵里の笑顔を守りたい。 この平凡な生活を壊したくない。 面識のない姉よりもそれが最優先だった。
「中里さんに困惑しているのは私も同じです。 ですが話した感じでは、彼女が危険因子とは思っていません。 春翔君も一度、落ち着いて話をしてみて下さい 」
ゆかり先輩はそう言って席を立ち、タクシーを呼んだのだった。
「…… 今日は泊まっていくとは言わないんですね 」
「姉弟の再会の場を壊したくないんです 」
「俺は初対面ですよ 」
「彼女はカプセルの中のあなたの誕生を心待ちにしていたようですよ。 私は一人っ子なので、ちょっと羨ましいんです 」
フフッと首をすくめて笑う彼女は、俺に全ての判断を任せると言い残して帰っていった。 タクシーのテールランプを見送り、俺は自室に寝かせた中里さんの横に椅子を持ってきてその寝顔を見つめる。
「うん? 」
熟睡している中里さんの頬に乾いた涙の跡を見つけた。
「姉弟か…… 」
目の前の人が姉と言われたって、急に受け入れられる筈がない。 どんな人なのか、チカラについてどう思っているのか、姉弟になれるかどうかはこれからの話だ。
常夜灯を点けて部屋から出ると、親父がリビングで一服していた。 ゆかり先輩が錠剤を持ってきて以来また禁煙していたのに珍しいな。
「どうしたんだよ? 禁煙してたのに 」
「んん? ああ…… 美織くんの顔を見たら無性に吸いたくなってな 」
昔はヘビースモーカーだったらしいから、中里さんに会った事で昔を思い出したのだろう。
「まだ寝ないのか? 明日…… いや、今日も学校があるだろう? 」
「寝れねぇよ。 今日は学校を休むつもりだ 」
『そうか』と親父は盛大に煙を吐き出す。
「…… ハル、美織くんを頼むぞ 」
「まだわかんねぇよ。 姉と言われたってピンとこないし、俺はあの人がわからない 」
「そうだな…… だが美織くんは、カプセルの中のお前を穴が開くほど張り付いて見ていたよ。 研究員の我々よりもお前の誕生を楽しみにしていたのはわかってくれ 」
「ゆかり先輩に聞いたよ 」
そうとしか答えなかった。 彼女が俺を望んでいたって、俺が彼女を受け入れられるかは別問題だ。
「親父…… 俺達の寿命ってどのくらいなんだ? 」
俺は成長遅延薬を飲み始めた頃の質問をもう一度聞いてみた。 当時は『人間だってわからないだろ?』とはぐらかされたが、もうそんなことは言わせない。
「…… 40年くらいだと思っていい 」
煙を吐き出しながら親父は呟いた。
「お前の経過と美織くんの様子、お前の兄二人が亡くなった事からの推測だ。 遅延薬を使わなければの話だがな 」
「40年…… 」
今は十分生きれると思うが、実際は人間の半分だ。 中里さんは事実上10年で20年分を生きたことになる。
「ハル…… 私は美織くんと仲良くしろとは言わない。 お前の人生だ、悔いのないよう精一杯生きろ 」
「親父…… 」
「何もしてやることは出来ないが、父親としての私の願いだ 」
先ほどの研究員の顔ではなく、親父のいつものすました笑顔。 まだまだ気持ちの整理は出来そうにないが、その笑顔に少し前向きになれたような気がした。




