50話 絵里ー!
後を付けていたわけじゃなかった。 美紀との道場帰りに、たまたま絵里の後ろ姿を見つけたのだ。
「こんな時間まで何してたんだ? アイツ 」
「またまたぁ! 練習中もずっと絵里ちゃんの事が気になってたんでしょ? 」
絵里に全てを打ち明けたと美紀に話し、最後にケンカ別れをしてフェードアウトすると言った瞬間、道場で渾身の回し蹴りを食らった。 『ちゃんと話し合え』と、いつもの倍以上こき下ろされたのだ。
「ほら、絵里ちゃんだってきっと仲直りしたいと思ってるよ? 行った行った! 」
いつも降りる筈のバス停を降りずに見送ったのも美紀の仕業。 こうして途中で見つけられたわけだが、直接家に行ってこいと背中を押されたのだった。
「春君! 」
突然美紀が俺に叫ぶ。
「どけぇ!! 」
振り替える間もなく俺はマスクをした男に背中を突き飛ばされた。 女性もののハンドバッグを抱えていたから、ひったくりかその類いだ。
「きゃぁー!! 」
振り返るとスーツ姿の女性が四つん這いで必死に手を伸ばしていた。
「あのやろ! 」
俺が駆け出すより先に美紀が飛び出す。 心配なのは前方を歩いている絵里だ。 橋の上ををまだぎこちない足取りで歩く絵里は歩道の真ん中。 ひったくり犯は真っ直ぐ絵里に向かって行っていたのだ。
「絵里ちゃん! 危ない!! 」
「絵里! よけろぉ! 」
俯いている絵里には、俺の声も美紀の声も届いていない。
「絵里ー!! 」
力いっぱい叫んだが遅かった。 絵里はひったくり犯に突き飛ばされて、前転するように欄干を越えてしまったのだ。
「絵里ちゃん!! 」
美紀はすぐに欄干に駆け寄っていたが、俺が欄干から飛び出す方が先だった。 頭から落ちていく絵里を視界にとらえて即座に跳ぶ。
パシュン!
絵里の体を抱き寄せ、橋げたの下に目線を合わせてもう一回!
パシュン!
落下の勢いまではテレポートでは殺せない。 二人分の体重と落下速度に俺の足は耐え切れず、その場に尻もちをついてしまった。
「あたたた…… 」
「…… はる…… と? 」
痛がってる場合じゃない! 橋げたの影に身を隠すためにもう一度跳ぶ。
「うっ…… 」
テレポート酔い。 絵里は俺の肩で吐いてしまったが、そんなことはどうでもよかった。
「ごめ! うぇ…… 」
「いいから。 いいから 」
絵里は乗り物にも酔いやすいし、連続で跳んだのだから無理もない。 苦しそうに何回も吐く彼女の背中を擦ってやる。
「間に合ってよかった…… 」
ただそれだけだった。 靴が少し濡れたから水面ギリギリだったと思う。 ここの川は水深が浅く、だが橋の高さは10メートルもある。 あのまま頭から落ちていたらと思うと、背筋がゾッとした。
「は…… るとぉ…… 」
「大丈夫。 お前はちゃんと生きてるから 」
「うく…… ふえぇん…… 」
小さな声で子供みたいに泣き出した彼女の頭を撫でてやる。 やがて聞こえてきたパトカーと救急車のサイレンの音。 交通量は多くないとはいえ、路線バスが通る道だ。 誰かが『橋から落ちた』と通報したのだろう。 もしかしたら、俺が跳んだのも見られたかもしれない。
逃げようとは思わなかった。 絵里を一人残していくつもりはなかった。
「大丈夫ですか!! 」
堤防から降りて来た警察官と救急隊にとりあえず大丈夫と説明し、念の為に病院へ連れて行ってもらおうとしたのだが。
「いや。 はるとといっしょにいるぅ…… 」
絵里はまるで駄々っ子のように俺にしがみついて離れず、救急隊員は苦笑いで撤退していったのだった。
「それにしても凄いね君。 橋から落下した彼女を受け止めるなんて 」
残念ながら警察官は撤退せず、事情聴取されるハメに。 真田と名乗った中年の警察官は、橋を見上げて『はぁー…… 』と唸っていた。
「運がよかったん…… ですかね? たまたまここで遊んでいたもので 」
濡れた靴を見せて、これでなんとか納得してもらうしかない。
「高校生が川遊びか…… 」
「遊んじゃだめですか!? 中学生や小学生ならいいんですか!? それは俺納得できないっすねぇ! 」
わざとキレたフリをしてみる。 早く撤退してくれ……
「増水してるんだから川で遊んじゃいかんよ 」
あ…… はい。 といっても水位は膝くらいだけどな。
「いやでも、君みたいな高校生は貴重かもねぇ! 最近の若者は家にこもりがちだけど、自分が若かった頃はよく…… 」
ああ…… 地雷を踏んでしまった。 いや、チカラを追及されるよりマシか?
「春くーん! 」
真田さんの昔話を聞かされている最中に、美紀が橋の上から手を振ってきた。 その後ろにはさっきのひったくり犯とパトカーの赤色灯の明かり。 どうやら無事捕まえたらしい。
「それでは。 ご苦労様でした 」
ビシッと敬礼をした真田さんからやっと解放された。 さて…… 絵里を家に送っていくか病院に連れて行くか。 でも俺汚れてるしなぁ。
「美紀、絵里を病院に連れてってくれないか? 」
「ん? いいよ…… 」
「やだ! 春翔と一緒にいる! 」
おんぶしている絵里はまだ駄々っ子から戻らない。 仕方ない、ゲロまみれで病院に行くか。
「春翔の家がいい…… 」
ギュッと首にしがみつく絵里に、さすがの美紀もやれやれといった様子だ。
「じゃあおばさんに連絡しておけよ。 ただでさえ足怪我してるんだし、きっと帰り遅くて心配してるぞ? 」
「…… スマホない 」
ああ…… 突き落とされた時にどこかに飛んで行ったんか。 俺のスマホを渡して絵里の母親に連絡を取った後、俺は絵里をおんぶしたまま自宅へと向かったのだった。